第6話 黒騎士、弟子入りを断る
変装には、二つの条件があった。
一つ、黒い鎧の魔将ヴァルガスに見えないこと。
二つ、鎧を脱がないこと。
二つ目が問題だった。
ヴァルガスの黒鎧は、魔将の力そのものと結びついている。脱げば、ただの大柄な男になってしまう。それでは、いざというときに勇者を守れない。
悩んだ末に、俺は武器庫の隅から、練習用の鉄兜を引っ張り出した。
飾りも何もない、ただの丸い鉄の兜だ。それに、ギギが倉庫から探してきた灰色のマントを羽織る。
「いかがでございましょう、ヴァルガス様」
「……どう見える」
「その、大変申し上げにくいのですが」
ギギは丸眼鏡を押し上げて、目をそらした。
「黒い鎧に、灰色のマントに、練習用の兜……。歴戦の傭兵が、兜だけ買い忘れたように見えます」
ちょうどいい。少なくとも、魔王軍の五魔将には見えない。
***
ブランシュの門番は、俺の姿を見ても、あまり驚かなかった。
「祭りの稼ぎ目当ての傭兵か? でかいな、あんた」
「……ああ」
「揉め事は起こすなよ。祭りの間は、衛兵も手が足りねえんだ」
声は低く、短く。それが、今回の変装でいちばん気をつけていることだ。ヴァルガスの口調で話せば、一発でばれる。
町の中は、祭りの準備で賑わっていた。
広場では大工たちが灯籠を吊るす櫓を組み、川べりでは子供たちが紙の灯籠に絵を描いている。焼き菓子の甘い匂いが、通りいっぱいに漂っていた。
(原作のブランシュより、ずっと人が多いな)
ゲームの中の町には、住人が十二人しかいなかった。
処理の都合で、同じ顔の村人が、時間をずらして使い回されていたのだ。
今、目の前では何百人という人間が、それぞれ違う顔と違う声で笑っている。
この全員が、三日後の夜、ゼクスの仕掛けに巻き込まれるかもしれない。
まずは情報だ。原作で勇者が最初に立ち寄るのは、冒険者ギルド。ゼクスが町で何かを仕掛けるなら、ギルドに依頼の形で痕跡が残る可能性がある。
ギルドの扉を押し開けると、酒と汗と紙の匂いがした。
壁一面の依頼板の前に、冒険者たちが群がっている。
俺はその後ろから、依頼の紙を一枚ずつ目で追っていった。
薬草採り。迷い猫探し。灯籠の運搬の手伝い。
どれも、原作の序盤で見た依頼ばかりだ。
――その中に、一枚だけ、知らない依頼があった。
『旧水路の調査。報酬、銀貨五枚。依頼人、匿名』
(……旧水路?)
ブランシュの地下に、そんな場所はない。
少なくとも、発売された原作には。
開発の途中まで、町の地下には巨大な水路が作り込まれていた。処理が重すぎて、町に入るたびに画面が止まるという理由で、まるごと削られたマップだ。
没マップの存在を知っている人間は、開発チームの中でも限られている。
その紙に手を伸ばしかけたとき、すぐ横から、聞き覚えのある声がした。
「あの……すみません、その依頼、僕も見てて……」
俺の手が、止まった。
隣に、金髪の少年が立っていた。
継ぎの当たった服の上に、新しい革の胸当てをつけている。腰には、白く輝く剣。
――リオ。
(なんでここに……いや、そりゃおるわ。ここ、原作で勇者が最初に来る場所や)
自分の情報収集の初手が、勇者の動線とまるかぶりしていた。
当たり前だ。ゲームの攻略順を、いちばんよく知っているのは俺なのだから。
「あ、ご、ごめんなさい! 先に見てたのはあなたですよね」
リオは慌てて頭を下げた。
それから顔を上げて、俺を見て――動きを止めた。
俺の兜ではない。足元を見ている。
「……その立ち方」
「……」
「重心が、つま先の付け根に乗ってる。剣を抜いてないのに、いつでも踏み込めるように」
リオの目が、ゆっくりと俺の顔に上がってくる。
練習用の鉄兜。その隙間の、目のあたりを。
(落ち着け。兜が違う。マントもある。声も出してない。ばれる要素はない、はずや)
「どこかで……お会いしたこと、ありますか?」
「ない」
即答した。低く、短く。予定どおりの声で。
「そう、ですよね。ごめんなさい、変なこと聞いて」
リオは照れたように頭をかいた。
そして、ほんの少しためらってから、意を決したように口を開いた。
「あの! もしよかったら……僕に、剣を教えてもらえませんか!」
ギルドの中が、少しだけ静かになった。
近くの冒険者たちが、何事かとこちらを見ている。
「僕、剣の素人なんです。でも、どうしても強くならなきゃいけなくて。あなたの立ち方を見て、この人なら、って思って……」
(――待って。それは仕様にない)
勇者が、中ボスに弟子入りを申し込んでいる。
しかも、一度倒したはずの中ボスに。変装した姿の中ボスに。
断れ。断るしかない。
ここで師弟関係になったら、正体がばれる確率が跳ね上がる。
「我……」
しまった。
「……我、が、まあ……俺は、弟子は取らない」
苦しい。今のは、自分でも苦しかった。
リオは、きょとんと首をかしげている。
それから、少しだけ肩を落とした。
「そう、ですか……。すみません、いきなり」
「……」
「でも、ありがとうございます。断られたけど、なんだか、ちゃんと聞いてもらえた気がして」
リオは、もう一度頭を下げた。
そして依頼板から、旧水路の紙を剥がして、俺に差し出す。
「これ、どうぞ。僕は、薬草採りから始めなさいって、ノエルに言われてるので」
受け取るしかなかった。
紙を受け取ると、リオは嬉しそうに笑って、ギルドの奥にいる仲間のもとへ駆けていった。
「リオ、どこ行ってたの! 勝手にいなくならないでって言ったでしょ!」
「ごめん、ノエル。すごい人がいたんだ」
「すごい人?」
「うん。剣を教えてくださいって頼んだら、断られた」
「なんで嬉しそうなの……」
ノエルの呆れた声と、ボルドの低い笑い声が聞こえる。
(……今の会話、十点満点で何点や)
自分で採点しようとして、やめた。
零点に決まっている。
手の中の紙に、目を落とす。
依頼人は、匿名。報酬は、銀貨五枚。
紙の右下の隅に、小さな印が押されていた。
インクがにじんで、よく見ないと気づかないほどの、小さな紋様。
トロルの首にあったものと、同じ形だった。
(……招待状、ってわけか)
旧水路に来い、と。
ゼクスは、俺がこの紙を見つけることまで、計算していたのかもしれない。




