第5話 ボツ
厩舎の一番奥は、ほとんど洞窟だった。
松明の明かりが届くぎりぎりのところに、黒い塊がうずくまっている。
近づくと、塊が身じろぎした。鱗のこすれる音がして、金色の目が二つ、闇の中に浮かび上がる。
「……でかいな」
翼を畳んだ状態で、馬車二台分はある。
ただ、体のあちこちが妙だった。鱗の色が部分ごとに微妙に違い、尻尾の先だけが妙にのっぺりしている。
(テクスチャが貼りかけや)
間違いない。開発中に没になった、乗り物用の飛竜だ。
色の違う鱗は、仮の素材が残ったまま。のっぺりした尻尾は、細かい形を作り込む前に開発が止まった跡だ。
「ヴァ、ヴァルガス様、お気をつけを! 前に近づいた者は、尻尾で壁まで飛ばされまして!」
入り口から、ギギが叫んでいる。
飛竜が低く唸った。喉の奥で、火の粉がちらつく。
俺は、その場にしゃがみ込んだ。
目の高さを合わせると、金色の目が、まっすぐこちらを見返してくる。
「お前、ずっとここにいたのか」
唸り声が、少しだけ小さくなった。
誰にも乗られず、名前もなく、帳面には「用途不明」。
作られた理由ごと、消された存在だ。
――俺も、似たようなものか。
十五分で倒されるために作られて、本来なら、もう消えているはずの中ボス。
「名前がないなら、つけてやる」
飛竜の耳が、ぴくりと動く。
「お前は、ボツだ」
「グルル……?」
「没になったから、ボツ。……悪い意味ではない。我もお前も、捨てられた側だということだ」
ボツは、しばらく俺の顔を見ていた。
それから、のっぺりした尻尾を一度だけ振った。
尻尾の起こした風で、入り口のギギがひっくり返った。
***
ボツの背中は、思っていたより乗り心地がいい。
鞍はない。手綱もない。それでも、首の付け根の窪みに腰を落とすと、体がすっぽりと収まる。
乗り物として作られた名残が、骨格に残っているのだろう。
山脈を二つ越えるのに、半日もかからなかった。
雲の切れ間から、街道が見える。
廃砦からブランシュへ続く道を、三つの人影が歩いていた。
金髪の少年。白い法衣の少女。大きな斧を背負った男。
リオと、僧侶のノエルと、戦士のボルドだ。
「高度を下げろ、ボツ。あの林の上で止まれ」
ボツは言葉を理解しているかのように、すっと滑空を始めた。
いや、実際に理解しているのかもしれない。没になる前の仕様書には、「騎乗者の音声指示に従う」と書いてあった。
林の上から、三人の様子を見下ろす。
ノエルが、何かをしきりにリオに話しかけていた。
リオは、相づちを打ちながら、ときどき腰の聖剣に手をやっている。歩き方が、廃砦のときと少し違った。
(重心が、前に出とる)
俺が怒鳴ったことを、まだ覚えているらしい。
歩くたびに、踵ではなく、つま先の付け根に体重が乗っている。
(いいぞ。歩き方、十点満点で六点)
そのとき、ボツの喉が低く鳴った。
金色の目が、街道の先をにらんでいる。
街道は、少し先で切り通しになっていた。両側を崖に挟まれた、細い道だ。
崖の上の茂みに、人影がいくつも伏せている。
――盗賊だ。
数は八人。全員が弓を持ち、矢をつがえて、切り通しを見下ろしている。
原作では、この街道に盗賊は出ない。
目を凝らすと、盗賊たちの弓に、見覚えのある紋様が刻まれていた。
魔王軍の工房で作られた、黒い弓だ。人間の盗賊が持てる品ではない。
(……ゼクスか)
金で人間を雇って、魔王軍の武器を渡したのだ。
魔物が勇者を襲えば、魔王軍の仕業だとすぐに分かる。だが、人間の盗賊が旅人を襲うのは、この世界ではよくある話だ。
リオたちは、もうすぐ切り通しに入る。
八本の矢が一斉に放たれれば、ボルドでも防ぎきれない。
俺は、大剣の柄を握った。
降りて斬り込めば、話は早い。
だが、リオに姿を見られる。死んだはずの黒い鎧の魔将が、盗賊から勇者を守ったら――原作どころか、話の筋がめちゃくちゃになる。
(姿を見せずに、矢だけを止める)
盗賊たちとの距離は、およそ五百歩。
黒閃を全力で撃てば、崖ごと吹き飛ぶ。それでは、下を歩くリオたちまで巻き込んでしまう。
狙うのは、弓だ。
正確には、弦。
大剣を、ゆっくりと抜く。
力は、テストのときの百分の一。刃の軌跡を、極限まで細く、薄く。
(没技のテスト、二百回やらされたのは伊達やないぞ)
振った。
音は、ほとんどしなかった。
髪の毛ほどの黒い線が、崖の上を横一文字に走り抜ける。
次の瞬間、崖の上で、八つの小さな音が重なった。
――ぷつん。
「……あ?」
「お、俺の弓が」
「弦が……全部、切れてやがる……!」
盗賊たちが、手の中の弓を呆然と見つめている。
八本の弦が、同時に、同じ高さで断ち切られていた。
「風か? いや、風で弦が切れるかよ……」
「だ、誰もいねえぞ……どこにも……」
「おい、まさか……この崖、昔、旅人が落ちて死んだって……」
誰かが、その一言を口にした瞬間だった。
「ひいいいいいっ!」
「出たああああっ!」
盗賊たちは、黒い弓を放り出して、崖の向こうへ転がるように逃げていった。
八人とも。一人残らず。
(……幽霊扱いされた)
まあ、いい。姿を見られるより、ずっとましだ。
少し遅れて、リオたちが切り通しに入ってきた。
ボルドが足を止め、崖の上を見上げる。
「……妙だな。誰かいた気配がしたんだが」
「え、どこ? ボルドさん、怖いこと言わないでよ!」
ノエルが、リオの背中に隠れた。
リオも崖の上を見上げたが、そこにはもう、捨てられた黒い弓が転がっているだけだ。
「気のせいか」
ボルドは首をひねりながら、また歩き出した。
「まあいい。今日はやけに運がいい日だ。この調子なら、日暮れまでにブランシュに着ける」
「運がいいって、勇者のおかげかな?」
「さあな。聖剣のご加護ってやつかもしれん」
ノエルとボルドが笑い合う。
リオだけが、もう一度だけ崖の上を振り返った。何かを探すように、目を細めて。
(……勘のいい子や)
俺はボツの首を軽く叩いて、高度を上げさせた。
***
日が傾き始めたころ、地平線の先に町が見えてきた。
川沿いに、白い壁の家並みが続いている。
広場には木の骨組みが組まれ、紙を貼った灯籠が、いくつも吊るされ始めていた。
――川沿いの町、ブランシュ。
原作では、勇者が冒険者として登録をして、初めての仲間と依頼をこなす町だ。
そして三日後の夜、灯籠祭りが開かれる。
ゼクスは言っていた。勇者くんには、次の街で死んでもらう予定だと。
祭りの夜。
人が集まり、灯りがともり、誰もが空を見上げている夜。
(……仕掛けるには、最高のタイミングやな)
ボツが、心配そうに喉を鳴らした。




