第59話 海底宮殿へ
凍った海の上を、四つの人影が歩いていった。
港の突堤から、沖の渦の中心へ。
ゼクスが引いた白い氷の道は、朝日を浴びてまぶしいほどに光っている。
先頭は、金髪の少年。その少し後ろを、白い法衣の少女がついていく。
そして、さらに少し離れて、大きな斧を背負った男と三つ編みのエルフが歩いていた。
――四人。
ミレイユの話では、リオは一人で行くと言っていた。
ノエルだけがついていくと。ボルドとミレイユには、来なくていいと。
それでも、ボルドとミレイユは、ついてきている。
リオは、二人を追い返さず、振り返りもしなかった。ただ黙って、前を歩いていた。
(……ぎこちない、十点満点で三点のパーティや)
突堤の陰からそれを見送りながら、内心で採点する。
三点。それでも、零点ではない。
零点のパーティは、そもそも一緒に歩かない。ばらばらの方向を向いたまま、それでも同じ道の上を同じ速さで歩いているのなら、それはまだ壊れきってはいないということだ。
テストで見てきた何百というパーティの挙動を思い出しながら、そう自分に言い聞かせる。
***
「行くわよ」
隣で、セレスが言った。
突堤の陰の海面に、セレスは小さな氷の泡を作っていた。
人が二人、やっと入れるくらいの大きさ。海底宮殿に招かれたときよりも、ずっと小さい。
「あの子たちに見つからないように、氷の道の真下を、潜っていくわ。泡が小さいほうが、目立たないから」
「……狭いな」
「氷姫の鎧の中より、ましでしょう」
言い返せなかった。
肩を斜めにして、泡の中にもぐり込む。
セレスが、俺の背中にぴたりと寄り添うように入ってきた。
「……熱くないのね、今日の鎧」
「海の上だからな」
「よかった」
泡が、海の中へ沈み始める。
***
凍った海の下は、青い光に満ちていた。
頭の上に、分厚い氷の天井が広がっている。
朝日が氷を透かして、海の中にゆらゆらと光の模様を落としていた。
氷の天井の上を、四つの影が歩いていくのが見える。
足音が、氷越しに、かすかに響いてくる。
「……あの子、ちゃんと仲間を連れてきたのね」
セレスが、天井を見上げながら言った。
「一人で行くって言ってたんでしょう」
「……ああ」
「でも、追い返さなかった。……あなたに似てるわ」
「どこがだ」
「一人で決めたって言いながら、結局、一人じゃないところ」
答えられなかった。
泡は、氷の道に沿って、沖へと進んでいく。
やがて、氷の天井の先に、黒い闇が見えてくる。
渦の中心だ。
氷の道は、渦の縁でぷつりと途切れていた。
その先は、底の見えない闇がゆっくりと回り続けている。
氷の天井の上で、四つの影が、渦の縁で足を止めた。
***
――声が、聞こえた。
氷越しに、くぐもって。
でも、確かに、リオの声だった。
「……来なくていいって、言ったのに」
後ろの二人に向けた声だった。
「私が呼んだの」
ノエルの声。少しも、震えていない。
「黙ってた大人は、嫌い。……でも、黙ってた大人を宿に置いていって、リオが一人で負けるのは、もっと嫌」
泡の中で、セレスが、小さく息を呑んだ。
あの子は、ずっと、俺を怪しんでいた。兜の奥を、いつも、じっと睨んでいた。
その子が、知っていて黙っていた大人を、二人ともここへ連れてきたのだ。
(……連れてきたのは、リオやなかったんか)
「……ここから、降りるんですね」
「降りるって、どうやって? 泳いで?」
ノエルの声が、今度は、震えている。
「見て」
ミレイユの声。
「渦の縁に、階段がある。水でできた階段。……招かれてるのよ、私たちも」
氷の天井越しに目を凝らすと、渦の内側の壁に沿って、水の段が螺旋状に下へと続いているのが見えた。
水なのに、崩れない。改稿の力で、そういうふうに書かれているのだろう。
しばらく、氷の上の影は動かなかった。
それから、ボルドの低い声。
「坊主。……一つだけ、言っておく」
「……なんですか」
「俺は、あんたの先生が魔将だって、ずっと知ってた。黙ってたのは、悪かった」
氷の上の影が、ぴたりと動きを止めた。
「でもな。あの男が、あんたを守ってきたのも、本当だ。……それだけは、知っておけ」
長い沈黙。
波の音も、渦の音も、遠くに聞こえた。
泡の中で、セレスが俺の籠手をそっと握る。
「……分かってます」
リオの声が、聞こえた。
「分かってるから、怒ってるんです」
氷の上の影が、水の階段に、一歩、足をかけた。
――分かってるから、怒ってる。
その言葉が、泡の中で、いつまでも響いていた。
***
リオたちが、水の階段を降りていく。
セレスの泡は、そのあとを、少し離れて追いかけた。
渦の中の水は、外の海よりも、ずっと暗かった。上も下も分からない闇の中を、水の階段だけが白く光りながら、下へ下へと続いている。
どれくらい降りただろう。
闇の底に、白い光が見えてきた。
海底宮殿。
円い屋根に、細い尖塔。回廊の柱の、頁の模様。招かれたときと、何も変わっていない。
ただ、一つだけ、違うものがあった。
宮殿の正面の、大扉が開いていた。
扉の奥の大広間から、白い光が漏れ出している。
水の階段は、その大扉の前で、途切れていた。
リオが、大扉の前に立つ。
聖剣を、ゆっくりと抜いた。
大広間の奥から、柔らかな声が響いてきた。
「――ようこそ、勇者くん。最終稿へ」




