第58話 【ゼクス視点】没になった結末
会議室の窓のブラインドは、いつも半分だけ下りていた。
発売の一年半前。
夕方の四時。白い長机の向こうに、プロデューサーとディレクターと、宣伝の担当者が並んで座っていた。
机の上に、私の書いたシナリオの最終稿が置かれていた。
六百頁。三年かけて書いた、エルディア・サーガの、最初の版。
「――結末を、変えてほしい」
プロデューサーが、言った。
私は何を言われたのか、すぐには分からなかった。
「勇者が、四章の手前で死ぬ。魔王は倒されない。世界は、救われない。……これでは、売れない」
プロデューサーは、私の書いた最終稿の最後の頁を指で叩く。
「プレイヤーは、勝ちたいんだよ。何十時間も遊んで、最後に負けて終わるゲームを、誰が買う?」
私は、答えた。
これは、選ばれた者が選ばれたというだけでは主人公になれない話で、運命に抗っても届かないことがある、と。その痛みを、プレイヤーに持ち帰ってほしいのだ、と。
プロデューサーは、最後まで聞いてから、言った。
「いい話だと思うよ。小説なら」
***
その日から、私のシナリオは少しずつ切り刻まれていく。
勇者は、死ななくなった。
五魔将は、一人ずつ倒されるように。聖剣には封印が五つ付け足され、魔王は最後に倒されることになった。
書き直したのは、私ではない。
外部から呼ばれた別の書き手が、私の書いた台詞の上に新しい台詞を継ぎ足していった。
私は、まとめ役という肩書きのまま、会議室の隅でそれを見ていた。
残ったのは、ほんの少し。
二章の氷の魔将の最期の台詞。三章の獣王の、師の教え。四章の、没になった海魔将の能力の設定書。
――ごめんね、リュシー。
あの台詞だけは、誰にも書き換えさせなかった。
あれは、選ばれなかった者たちの物語の、最後のかけらだったから。
***
発売の前の晩、私は、遅くまで会社に残っていた。
誰もいない開発室の床で、一人の男が寝ていた。
デバッグチームの、いつも疲れた顔をした男。机の上には、書きかけの報告書が山のように積まれていた。
その一番上の束に、見覚えのある言葉があった。
――報告番号、四の二百十七。四章ボス「海魔将」の固有能力「改稿」について。
私の書いた設定書から、生まれた能力。
この男の報告書のせいで、没になった能力。
私は、その報告書を手に取って、読まずにそのままくず籠に捨てた。
男は、床で眠ったまま、目を覚まさなかった。
――あの夜のことを、私はこの世界で目を覚ましてから、何度も思い出している。
あの男が、なぜ、目を覚まさなかったのか。
***
この世界で目を覚ましたとき、すぐに分かった。
ここは、私の物語の世界だ。
ただし、改変された版のまま、動いている。
勇者は、旅の途中で死なない。
五魔将は、一人ずつ倒されていく。魔王は、最後に倒される。
誰かが継ぎ足した、売れるための物語。
――だから、直すことにした。
勇者には、序盤で退場していただく。
そうすれば、物語は、本来の形に戻る。選ばれた者が、選ばれたというだけでは主人公になれない物語に。
最初は、うまくいくと思っていた。
私は、物語を知っている。どこに罠を仕掛ければ、勇者が死ぬのかも。
ところが、一人目の中ボスが、死ななかった。
チュートリアルで消えるはずの黒鎧の魔将が、生きて戻ってきて、しかも勇者に剣を教えて、勇者を勝たせた。
――デバッガーくん。
あの夜、床で眠っていた男だった。
***
あの男は、私の罠を、一つずつ潰していった。
ブランシュの陣も、雪の国の人質も、獣王の楔も。
仕様の穴を突いて、没になった技を使って。私の知らない直し忘れを、私の知らないところで見つけて。
そして、勇者は、強くなっていった。
――妹さんは、僕たちが助けます。
――先生のところへ、聖域を持っていきます。
私の書いた台詞ではない。
継ぎ足した書き手の台詞でもない。誰も書いていない台詞を、あの少年は、自分で口にする。
私には、書けない種類の台詞だった。
それが、なぜか、いちばん腹立たしかった。
***
海底の宮殿の一番奥の部屋で、私は白紙の本を一冊、開いている。
何も書かれていない頁。
改稿の力で作り上げた、この宮殿の本棚には、白紙の本しかない。
胸元から、栞を取り出した。
白紙の栞。私の魔将の証であり、改稿の起点。
何度でも、書き直せる。
勇者の剣が届いても、届かなかったことに。勇者が勝っても、勝たなかったことにできる。
これは、私の書いた設定書から生まれた力だ。
あの男の報告書のせいで、一度は没になった力。
――あの報告書には、何が書いてあったのだろう。
ふと、そう思った。
読まずに捨てた、あの夜の報告書。没になった理由。
考えても、仕方がない。
この世界では、私が書いている。あの男は、ただの中ボスだ。
水の宮殿の外で、氷の割れる音がした。
港の津波は、凍らされた。
氷の魔将だろう。死んだはずの、二章の中ボス。
――構わない。
津波は、ただの招待状だ。勇者を、ここへ連れてくるための。
凍った海の上に、私は氷の道を一本、引いてやった。
渦の中心へ続く道を。
白紙の本の、最初の頁に、栞を挟んだ。
「さあ、最終稿を書きましょう」
誰もいない部屋に、自分の声が響いた。




