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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第4章 作者の負け方

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第57話 海が凍る日

 夜明け前、港じゅうに鐘が鳴り響いた。


 カン、カン、カン、カン――。

 ブランシュの祭りの夜に聞いたのと同じ、早鐘だった。


 宿を飛び出すと、通りは寝間着のまま逃げ惑う人々であふれていた。

 誰もが、沖を指さして、何かを叫んでいる。


 沖を見た。海が、立ち上がっていた。


 入り江の幅いっぱいに、壁のような水の塊がゆっくりと持ち上がっていく。

 灯台の三倍、いや、五倍はある。夜明け前の薄明かりの中で、その壁は黒く、どこまでも高かった。


 ――津波だ。


 原作には、もちろん、ない。

 ゼクスが、改稿で書き加えたのだろう。


 水の壁の真ん中に、白い光がちらちらと明滅していた。栞の光。


(勇者を、おびき出すためか)


 渦の底へ来いと言った。

 それなのに、来るのを待たずに、町ごと呑み込もうとしている。


 ――いや、違う。勇者が町を見捨てられないことを知っているのだ。津波が来れば、勇者は必ず、町を守ろうとする。守ろうとして、波の前に立つ。


 ゼクスは、勇者を波の前に立たせたいのだ。


***


 灯台へ続く坂道の下から、金髪の少年が走り出てくるのが見えた。


 リオだった。聖剣を抜いて、港の突堤へ向かって走っていく。後ろから、ノエルが追いかけていた。


(あほか……!)


 あの水の壁に、聖剣一本で、何ができる。

 聖域を張っても、魔力の働きを遅らせるだけだ。遅らせても、あの量の水は、止まらない。


 追いかけようとして、足が止まった。


 ――先生の手を、借りずに。


 ゼクスの声が、耳の奥で聞こえた。

 そして、桟橋で、リオが言ったこと。もう、先生って、呼べません。


 俺が今、あの子の前に飛び出したら。


「――行かなくていいわ」


 隣で、静かな声がした。


 セレスが、フードを脱いでいた。

 銀色の髪が、夜明け前の潮風に大きくなびいている。


「今日は、私の番よ」


 セレスは、それだけ言うと、港の突堤へ向かって歩き出した。


***


 突堤の先端に、リオが立っていた。


 聖剣を両手で構えて、迫ってくる水の壁を見上げている。

 足が、震えていた。それでも、目は閉じていない。


 ノエルがリオの隣で、震える手で光の壁を張ろうとしていた。

 でも、光の壁は、あまりにも小さかった。あの水の壁の前では、ろうそくの火のように頼りない。


 水の壁が、港の入り江に、なだれ込み始める。


 ――そのとき。


 突堤の根元から、銀色の髪の女が、リオの横を通り過ぎていった。


「……え?」


 リオが、振り返る。


 セレスは、リオの前に出た。

 突堤の、本当の先端。足元のすぐ先が、海だった。


 セレスは、両手を前に差し出した。


 指先から、白い冷気が海へと降りていく。

 砂漠では指先に細くたなびくのがやっとだった冷気が、今は滝のように、海へと流れ落ちていく。


 ――冷たい海。北の果てから流れてくる、氷の故郷の潮。

 氷の魔将にとって、この海は、自分の体の一部のようなものだった。


 海面が、凍り始めた。突堤の足元から、沖へ向かって。

 ぱき、ぱき、ぱきと、乾いた音を立てながら、白い氷が海の上を走っていく。


 氷は、迫ってくる水の壁の根元に届いた。


 水の壁が、下から、凍り始めた。


 根元から、腰へ。腰から、胸へ。

 黒い水の壁が、透き通った青白い氷の壁に変わっていく。崩れ落ちようとしていた水の頂きが、空中で、そのまま凍りついた。


 夜明けの最初の光が、東の海から差し込んだ。


 港の入り江いっぱいに、巨大な氷の壁が、そびえ立っていた。

 灯台の五倍の高さの、透き通った青白い壁。朝日を浴びて、内側から虹色に光っている。


 波の音が、消えた。


 港じゅうが、静まり返っていた。

 逃げ惑っていた人々が足を止めて、凍りついた津波を見上げている。


***


 セレスの体が、ぐらりと揺れた。


 膝が崩れかけたところを、リオがとっさに支えた。


「だ、大丈夫ですか!」

「……平気よ」


 セレスはリオの腕に体重を預けたまま、息を整えている。


「この海は冷たいから。砂漠に比べれば、ずっと楽だわ」


 リオは、セレスの顔を、すぐ近くから見ていた。


 銀色の髪。青白い肌。青い目。

 白霧の神殿で、全力で来なさいと言った人。氷の巨人と一緒に、砕け散ったはずの人。


「……氷の、魔将」


 リオの声が、震えた。


「生きて、たんですね」

「ええ」

「妹さんは」

「無事よ。今は、北の森で、小さなゴブリンと一緒に、私の帰りを待ってるわ」


 リオの目から、涙がぽろりとこぼれた。


 桟橋では、最後までこらえていた涙。

 なのに、今はこらえる間もなく、次から次へとこぼれていく。


「よかった……」


 リオは、セレスの体を支えたまま、何度も言った。


「よかった、本当に、よかった……」


 セレスは、少しだけ驚いた顔をした。

 それから、リオの頭に、そっと手を置く。


「……あなた、本当に、あの人が言っていたとおりの子ね」


 リオが、顔を上げる。


「あの人に、助けられたのは、私も同じよ」


 セレスはリオの肩越しに、突堤の根元のほうを見た。

 俺が立っている場所を。


 リオも、セレスの視線をたどって、振り返った。


 目が、合う。


 リオは、何も言わなかった。俺も、何も言えない。


 ただ、リオは、目をそらさなかった。

 桟橋のときのように、背を向けることも、しなかった。


***


 凍りついた津波の壁の真ん中で、白い光が明滅している。


 栞の光だ。氷に閉じ込められて、身動きが取れなくなったように、弱々しく。


 その光の真下で、氷の壁に細い亀裂が入る。


 亀裂は、壁の根元から沖へ向かって伸びていった。

 まるで誰かが、氷の上に一本の線を引いたように。


 亀裂に沿って、氷が左右に割れていく。


 割れた氷の下に、道ができていた。

 凍った海の上を、沖の渦の中心へ向かってまっすぐに続く、白い氷の道が。


 道の先で、渦の中心の闇が、ぽっかりと口を開けていた。


 ――来なさい、と言っているようだった。


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