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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第4章 作者の負け方

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第50話 冷たい海

 南の海は、思っていたよりずっと冷たかった。


 ボツの背中から見下ろすと、マリネラの港の沖に、濃い藍色の海流が帯のように流れ込んでいるのが分かる。

 北の果ての氷の海から、何千里もかけて南へ下ってくる冷たい潮だ。原作の設定資料には、そう書いてあった。


「――気持ちいい」


 背中の後ろで、セレスが言った。


 振り返ると、セレスはフードを脱いで、海から吹き上げてくる風に銀色の髪をなびかせている。

 砂漠でぐったりしていたのが嘘のように、頬に血の気が戻っている。指先から細く白い冷気が、楽しげに立ちのぼっていた。


「生き返ったようだな」

「生き返ったのよ。砂漠では、本当に一度、死にかけたもの」


 セレスは目を閉じて、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。


「この海、北の故郷と同じ匂いがする」


***


 マリネラは、白い石で造られた港町だった。


 入り江を囲むように、白い壁と青い屋根の家々が、段々畑のように斜面に並んでいる。

 港には大小の帆船がひしめき合い、桟橋の上では日焼けした漁師たちが網を繕いながら、威勢のいい声を掛け合っていた。


 ボツを町外れの岬の洞窟に隠して、俺たちは港へ降りていった。


 俺は黒騎士の姿で、新しい鉄兜をかぶっている。

 ザハルの市場で買い直したものだ。練習用の兜は、獣の前脚で真っ二つにされてしまったから。


「その兜、前のより安っぽいわね」

「……一番安いのにした」

「マントも?」

「五枚目だ」


 セレスは、小さく吹き出した。


 桟橋の先まで歩いていくと、海の色がよく見えた。

 透き通った青緑の水の底に、白い砂と、揺れる海藻が見える。小さな魚の群れが銀色の光を散らしながら、桟橋の杭のあいだをすり抜けていった。


「綺麗ね」


 セレスが桟橋の縁にしゃがみ込んで、水面に指先を浸した。

 指が触れたところから、水面に薄く氷の花が咲く。


「……冷たくて、気持ちいい」


 氷の花は、波に揺られて溶けていく。


 その様子を眺めながら、俺は桟橋の縁に一歩近づいた。

 ――それが、間違いだった。


 桟橋の板が、俺の足の下でみしりと鳴った。


 ヴァルガスの体に黒鎧の重さが加わると、たぶん、熊を二頭まとめたくらいの重さになる。

 古い桟橋の板は、そんな重さを想定して作られていなかった。


 ばきん。


 板が、真っ二つに割れた。


(あ、これ、落ちるやつや)


 片足が、海の上に突き出す。

 体が、ゆっくりと傾いていく。


 黒鎧を着たまま海に落ちたら、どうなるか。

 テストで一度だけ、海に落ちたヴァルガスの挙動を確かめたことがある。結果は、沈んだまま浮かんでこなかった。だから、海のマップには、ヴァルガスが入れないように見えない壁が張ってあった。


 この世界には、見えない壁はない。


「――っ、何してるの!」


 セレスが、俺のマントの裾をつかんだ。


 同時に、俺の足の下の海面が、ばきばきと音を立てて凍りついた。

 分厚い氷の板が、落ちかけた俺の足を受け止める。


 俺は氷の板の上に、片足で立っていた。

 もう片方の足は、割れた桟橋の穴に膝まではまったまま。


「……助かった」

「あなた、泳げないの?」

「……鎧が重いだけだ」

「泳げないのね」


 セレスはマントの裾をつかんだまま、肩を震わせていた。

 砂漠では、俺が暑さに弱いセレスを笑う側だった。海では、立場が逆らしい。


 桟橋の上で網を繕っていた漁師たちが、ぽかんとこちらを見ている。


「……あんた、その鎧で桟橋を歩くのは、やめといたほうがいいぜ」

「……ああ」

「それと、姉ちゃん、今、海を凍らせたか?」

「気のせいよ」


 セレスはすました顔で、桟橋の穴から俺の足を引っぱり出した。


***


 港の神殿の前の石段で、子供たちが木の棒を振り回していた。


「勇者の剣を、くらえっ!」

「ぐわあああ!」


 勇者ごっこらしい。魔将の役の子が、三人がかりで叩かれて、石段に転がっている。

 その魔将役が、起き上がるなり、俺を指さした。


「でっかい黒いの! 魔将やって!」


(……本職やぞ、俺)


 断る前に、棒を一本、手に押しつけられていた。

 勇者の役は、いちばん小さな男の子だ。棒を持つ手が震えていて、重心が踵に乗っている。


 怪しまれずに済ませるなら、負けるのがいちばん早い。

 大きく振りかぶって、わざと遅く振る。男の子が、目をつぶって棒を突き出した。


 こつん、と胸当てに当たる。


「ぐ、ぐわあああ……! 見事だ、勇者よ……!」


 石段に膝をついて、ゆっくりと倒れてみせた。

 子供たちが歓声を上げ、網を繕っていた漁師たちが、腹を抱えて笑う。


(よし、負けた。……目は、つぶったらあかんけどな)


 セレスだけが、笑いをこらえて、肩を震わせていた。


「――お上手ですな」


 石段の上から、声がした。

 白い法衣の、年老いた神官だった。胸に、王都の神殿の金の聖印を下げている。


(……原作の、最初の場面の神官や)


 祠で聖剣を抜いた少年の肩に手を置いて、旅に出す人。テストで、何千回も同じ台詞を聞いた相手だ。


「王都の方が、なぜ南の港に」

「勇者様の旅の記録を、集めて回っております。通られた町の神殿で話を書き留めて、王都の書庫へ送るのです」


 神官は、子供たちの棒きれを、目を細めて眺めた。


「百年前の勇者様の記録も、書庫にございます。北の小さな村の祠から、聖剣を抜いて旅立った、と」

「その先は」

「途切れております。旅立ちの一行のあとは、白紙で」


 神官は、穏やかに笑った。


「王都では、魔王と相討ちになられた、ということになっております」

「なっている、とは」

「そういうことになっております」


 それ以上は、何も言わなかった。


「今の勇者には、王は会ったのか」

「いいえ。陛下は、魔王を討ってから、お会いになるそうです」


 三日の稽古で、送り出して。勝って戻ってきたら、会う。


(戻ってこんかったら、また白紙のページが一枚、増えるだけか)


 原作の設定資料にも、先代の勇者の最後は、一行も書いていなかった。

 石段の下で、勇者の役の男の子が、棒を空に突き上げている。


***


 港の外れの安宿に部屋を取ったころ、懐の伝声貝が震えた。


『――聞こえる? ヴァルガス』


 ミレイユの声。


『リオたちと一緒に、マリネラに着いたわ。港の東側の、灯台の近くの宿にいる』

「そうか」

『リオは、元気よ。……少なくとも、見た目は』


 ミレイユの声が、曇った。


「何かあったのか」

『ザハルを出てから、あまり喋らないの。ノエルが話しかけても、上の空で。夜も、一人で兜のかけらを眺めてる』


 ――兜のかけら。


 廃砦の帰り道、トロルの残骸の上に落ちてきた、黒い金属の破片。

 リオは、それをずっと持ち歩いている。


『それと、白霧の神殿で拾ったっていう、黒い削りかす。あれも、一緒に並べて眺めてるわ』


 息を、呑んだ。


『色が、同じなのよ。同じ黒。私の目にも、そう見える』


 伝声貝の向こうで、ミレイユが小さく息を吐いた。


『あの子は、もう、つなぎ始めてる。……分かってるでしょうけど』

「……ああ」

『もう一つ。沖のほうを見て。港の人たちが、今朝から騒いでるの』


***


 宿の窓を開けて、沖を見た。


 夕暮れの海が、赤と藍に染まっている。

 その沖合、港から船で半刻ほどの場所の海面が渦を巻いていた。


 ただの渦ではない。

 家が丸ごと一軒呑み込めそうなほど大きな渦が、音もなく静かに回り続けている。


 渦の中心は、底が見えないほど深く、黒かった。


「……原作には、なかったわね。あんなの」


 隣で、セレスが言った。

 いつの間にか、俺が「原作」という言葉を使うのに、すっかり慣れてしまったらしい。


「なかった。原作の四章は、海の上の島の城が舞台だった」

「じゃあ、あれは」

「……書き換えられたんだ」


 渦の中心の黒い闇を、俺は見つめていた。


 五魔将、四番手、海魔将ゼクス。

 ギギの帳面に残っていたのは、その一行だけだ。言伝も、手紙もなかった。


 ――その代わりに、これを置いていったのか。


 渦の底から、かすかに何かが光った気がした。

 白い、紙のような光が。


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