第49話 四番目の中ボス
ザハルを発つ朝、ガルムが宮殿の門まで見送りに出てきた。
獣王の牙の首飾りは、もう首にかかっていなかった。
代わりに、折れた牙の片割れが一本、革紐で首から下がっている。
「民に、残すことにした」
ガルムは、もう片方の牙を手のひらに載せて、俺に見せた。
「折れた牙の片方は、我が持つ。もう片方は、宮殿の玉座の上に飾る。……獣王が、負けを認めた証としてな」
ガルムは、牙を懐にしまった。
「我は、しばらく砂漠の奥へ行く。獣に堕ちた体を、元に戻さねばならん。……それに、民の前で、少し恥ずかしい」
獅子の顔が、照れくさそうに歪んだ。
――原作どおりだ。負けを認めて、砂漠の奥へ去っていく。五魔将で唯一、生き残る魔将。
ただ、原作のガルムは、こんなふうに笑わなかった。
「ヴァルガス」
「なんだ」
「魔王様に、伝えてくれ。……ガルムは、獣にならずに済んだ、と」
ガルムは、大きな手を差し出した。
握り返す。重くて温かい、砂でざらついた手だった。
***
魔王城に戻ったのは、その二日後だった。
セレスは、没座標の森でボツから降りる。
リュシーが森の入口で待ちかまえていて、姉の腰に飛びついた。ギギが、その後ろで、丸眼鏡を外しては袖でこすっていた。
「おかえりなさいませ、ヴァルガス様……! ガルム様は、ご無事で……!」
「無事だ」
「よ、よかった……! ギギは、ギギは……!」
「泣くな」
「は、はい……!」
泣き止まない。
***
玉座の間で、帳の前に片膝をついた。
ゼクスの姿は、柱の横になかった。
玉座の間には、俺と、帳の奥の気配だけ。
「報告せよ」
「は」
俺は、報告した。大闘技祭で、獣王ガルムと聖剣の勇者が決闘したこと。
ガルムが、決闘の途中で理性を失い、獣に変じたこと。それを止めたのは、勇者とその仲間と、名も知らぬ傭兵。
正気に戻ったガルムが、民の前で負けを認め、獣王の牙を勇者に折らせたこと。
ガルムは生きて、砂漠の奥へ去ったこと。
「ガルム殿から、伝言がございます」
「申せ」
「ガルムは、獣にならずに済んだ、と」
帳の奥は、しばらく静かだった。
それから、ほんの小さな声が聞こえた。
「……そうか」
帳が、かすかに揺れる。
「友を、救ったな。ヴァルガス」
息を、呑んだ。
――友を、救ったな。
俺が何をしたのか、名も知らぬ傭兵が誰なのか、魔王は知っているのだろうか。
「……ヴァルガス。いずれ、勇者は、我の前に立つ」
帳の奥の声が、少しだけ低くなった。
「そのとき、我を斬った者が、どう――」
声が、途切れた。
帳の向こうで、衣擦れの音が一つだけ聞こえる。
「……いや。よい。下がれ」
我を斬った者が、どうなるか。
その続きを、帳の奥の声はとうとう口にしなかった。原作の魔王は、勇者に倒されて、それで終わりだ。その先のことは、一行も描かれていない。
***
玉座の間を出ると、廊下の柱の陰で、ギギが帳面を抱えて待っていた。
「ヴァ、ヴァルガス様……! お耳に入れておかねばならぬことが……!」
ギギは帳面をめくって、震える指で一行をなぞる。
「五魔将、四番手。……海魔将、ゼクス殿」
「……何?」
「ヴァルガス様がザハルにおられるあいだに、参謀殿が、魔王様から四番手の御席をお許しいただいたそうでございます。席次を、そう書き換えておくようにと……」
五魔将の四番手。誰も顔を知らない、空いたままの席。
原作の四章の舞台は、南の海の都。ボスは、海魔将だ。
「参謀殿は、今朝早く、南へ発たれました」
ギギが、帳面を胸に抱きしめた。
「ヴァルガス様への言伝は、ないそうで……」
――言伝が、ない。
これまでは、いつも、わざわざ顔を見せに来た。耳打ちをして、手紙を置いて、肩を叩いて。
あの男が、今度は何も言わずに出ていった。
中ボスが負けなければ、封印は解けない。封印が解けなければ、勇者は魔王の前に立てない。
その中ボスの席に、作者が自分で座ったのだ。
――中ボスが、負けてくれない。
三章のガルムと、同じだ。
いや、違う。
ガルムは、本当は、負けを認められる男だった。楔を断てば、戻ってこられた。
ゼクスには、断つべき楔がない。あの男は、自分の意思で、負けないと決めている。
(……負けを認めへん作者を、どうやって負けさせるんや)
懐の伝声貝が、かすかに震えた。
耳に当てると、聞こえてきたのはセレスの声ではなかった。
涼しい、少しだけ皮肉の混じった声。
『――聞こえる? ヴァルガス』
ミレイユだった。
ザハルを発つ前、取引のしるしに、伝声貝を一つ預けておいたのだ。ギギが魔王城の倉庫から、予備の一組をボツに持たせて送ってよこしていた。
隣で、ギギが誇らしげに帳面の在庫の欄を指でとんとんと叩いている。
『リオたちが、次の目的地を決めたわ。聖剣が、第四の封印の場所を教えてくれたって』
ミレイユは、間を置いた。
『南の海の都、マリネラ。……どうしたの? 急に黙って』
伝声貝の向こうで、波の音が聞こえた気がした。
(第3章 獣王の負け方 完)




