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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第3章 獣王の負け方

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第47話 ボルドの傷

 ボルドの傷は、深かった。


 獣の爪は、大斧ごと、ボルドの左の脇腹を裂いていた。

 ノエルの治癒の光が、傷口を塞ごうとしては押し戻されている。


「塞がらない……!」


 ノエルの声が、震えていた。


「血が、止まらないの……! 治しても、治しても、すぐに開いて……!」


 獣の爪には、楔の魔力が、まだ残っていたのだろう。

 傷口の周りの肌が、赤黒く変色している。


 ミレイユが、杖の先の水晶を傷口にかざした。

 眉間に、深い皺が寄る。


「……呪いの残り滓が、傷の中にこびりついてる。治癒の魔法を、弾いてるのよ。取り除くには、時間がかかる」

「時間って、どれくらい……!」

「半日。でも、このままじゃ、半日もたない」


 ノエルの顔から、血の気が引いた。


 リオが、ボルドの手を握っていた。

 何も言わずに。ただ、大きな手を両手で包み込むように。


 ――半日。


 俺は、観客席の上のほうを見上げた。


 砂色のフードの女が、石段の陰にうずくまるように座っていた。

 さっき、真昼の太陽の下で、何千人を守る氷の壁を立てた女だ。壁は二撃で砕かれた。それでも、あの壁がなければ、子供たちは間に合わなかった。


 フードの奥で、セレスが、こちらを見ている。


 俺は、小さくうなずく。


***


 セレスはフードを目深にかぶったまま、石段を降りてきた。


「……誰?」


 ノエルが、怯えたように身を引く。


「旅の者よ。少しだけ、氷が使えるの」


 セレスは顔を覆った布の下から、低い声で言った。

 ボルドの横に膝をつくと、傷口の上に両手をかざす。


 指先から、白い冷気が静かに降りていった。


 傷口の周りに、薄い霜が張った。

 霜は、傷口の縁を覆っていく。噴き出していた血が、少しずつ勢いを失っていった。


「冷やして、血の流れを遅くするの。傷を塞ぐことはできないけれど、時間は稼げる」


 セレスの声は、かすれていた。


 真昼の太陽が、まだ真上から照りつけている。

 セレスの肩が、細かく震えていた。顔を覆った布が、溶けた水でじっとりと濡れている。


「……その人、大丈夫なんですか」


 リオが、セレスを見上げる。


「すごく、苦しそうですけど」

「平気よ」


 セレスは、即答した。


「私は、暑いのが少し苦手なだけ。……この人は、子供たちを守ったんでしょう。なら、私が倒れるわけにはいかないわ」


 リオは、何かを言いかけて、口を閉じた。


 セレスの布の隙間から、銀色の髪が一筋、こぼれ落ちている。

 リオの目が、その髪に一瞬だけ止まった。


 ――白霧の神殿で、氷の巨人の前に立っていた女の髪と、同じ色。


 リオは、何も言わない。

 ただ、ボルドの手を握り直して、セレスに深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


***


 日が沈むまで、セレスはボルドの傷を冷やし続けた。


 ミレイユが呪いの残り滓を、一つずつ取り除いていく。

 ノエルが取り除かれた場所から順に、治癒の光で傷を塞いでいく。


 闘技場の医務室の、石の寝台の上。


 俺は医務室の入口の柱にもたれて、それを見ていた。

 顔には、まだ布を巻いている。


 日が完全に沈んで、砂漠の夜風が医務室に流れ込んできたころ。

 ミレイユが杖を下ろして、大きく息を吐いた。


「……終わったわ」


 ノエルの治癒の光が、最後の傷口をそっと塞いだ。


 ボルドの脇腹には、長い傷跡が残っていた。

 でも、もう血は流れていなかった。赤黒く変色していた肌も、少しずつ元の色に戻り始めている。


 ノエルが、寝台の横に、へたり込んだ。

 声を上げずに、泣いていた。


 セレスが、ふらりと立ち上がった。

 足元がおぼつかない。俺は柱から離れて、彼女の腕を支えた。


 黒鎧の籠手が、熱かったのだろう。

 セレスが、小さく顔をしかめた。


「……熱い」

「我慢しろ」

「あなたの鎧、本当に嫌い」


 セレスはそれでも、俺の腕に体重を預けたまま医務室を出ていく。


***


 ボルドが目を覚ましたのは、夜更けだった。


 医務室には、俺一人が残っていた。

 リオとノエルは、寝台の横で椅子に座ったまま眠っている。ミレイユは、宿に戻って薬の調合をすると言って出ていった。


「……まだ、いたのか。あんた」


 低い、かすれた声。


 振り返ると、ボルドが寝台の上で目を開けていた。

 天井を見上げたまま、こちらを見ずに言う。


「……傷は、塞がった」

「ああ。……坊主が、ずっと手を握ってた気がする」

「握っていた」

「そうか」


 ボルドは、しばらく黙っていた。


「子供たちは」

「全員、無事だ」

「……そうか」


 ボルドの口元が、少しだけ緩んだ。


 天井を見上げたまま、ボルドは言った。


「あんた、魔将だろう」


 医務室の灯りが、揺れる。


 椅子の上で眠っているリオとノエルは、目を覚まさなかった。

 ボルドの声は、俺にしか聞こえないくらい、低かった。


「……いつから、気づいていた」

「ブランシュの、少し前からだ。街道の切り通しで、盗賊の弓の弦が、全部いっぺんに切れた日があった」


 ボツの背中から、黒閃を撃った日だ。


「あの日、崖の上に、誰かの気配がした。ただ者じゃない気配が。……それから、ブランシュの広場で、あんたの背中を見たとき、同じ気配だと思った」


 ボルドは、顔をこちらに向けた。


「俺は、昔、兵士だった。魔王軍と戦ったこともある。……魔将の気配は、一度覚えたら、忘れない」

「……」

「それに、あんたは、坊主に剣を教えるとき、いつも、あいつの足元から見る。重心がどこにあるか、真っ先に確かめる。……廃砦の魔将が、坊主に怒鳴ったのと、同じことを言うってのも、坊主から聞いた」


 何も、言い返せない。


 ボルドは、俺の布を巻いた顔をじっと見つめていた。

 それから、ふっと息を吐いた。


「坊主には、言わん」


 予想していなかった言葉。


「……なぜだ」

「坊主が、自分で気づくまでな」


 ボルドは、椅子の上で眠っているリオに、目をやった。

 リオは、ボルドの寝台の端に頭を乗せて、すうすうと寝息を立てていた。


「あいつは、あんたのことを、先生って呼んでる。……あんたが何者でも、あいつに剣を教えて、あいつを守ってきたのは、あんただ。それは、変わらん」


 ボルドが、目を閉じる。


「いつか、あいつは気づく。目のいい坊主だからな。……そのときに、あいつが自分で、どうするか決めればいい。俺が先に言っちまったら、あいつは、自分で決められなくなる」


 医務室に、静かな夜風が流れ込んできた。


「……礼を言う」


 それだけを、口にする。


「礼を言うのは、こっちだ」


 ボルドは、目を閉じたまま、言った。


「あんた、獣の牙の下で、坊主を守ってくれたんだろう。……あの坊主に、何かあったら、俺は、あいつの村の村長に、顔向けできん」


 しばらくして、ボルドの寝息が聞こえ始める。


 俺は入口の柱にもたれたまま、夜明けまで三人の寝息を聞いていた。


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