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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第3章 獣王の負け方

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第46話 獣王の負け方

 裂けたマントの切れ端を拾って、顔に巻いた。


 目元だけを残して、額から顎まで。

 割れた鉄兜の代わりにはならないが、少なくとも、リオが目を覚ましたときに素顔を見られずに済む。


 血が、布に染みていく。

 額の傷は、思ったより深い。


「――黒騎士さん」


 背後から、涼しい声がした。


 ミレイユが、杖をついて、砂の上を歩いてくる。

 翡翠色の目が、布を巻いた俺の顔を、一度だけ見た。何も言わずに、リオの横に膝をつく。


 懐から、小さな瓶を取り出す。

 中の青い液体を、リオの唇に、少しずつ垂らした。


「魔力切れよ。聖域を、張りすぎたの。……すぐ、目を覚ますわ」


 ミレイユは、リオの額に手を当てたまま、俺のほうを見ない。


「顔、隠すのね」

「……」

「賢明だわ」


 それだけだった。


***


 リオが目を覚ましたのは、それから間もなくだった。


「……先生?」


 ぼんやりとした目で、布を巻いた俺の顔を見上げる。


「先生、兜は……」

「割れた」

「顔、怪我したんですか」

「かすり傷だ」


 リオは、しばらく俺の顔を見つめていた。

 布の隙間の、目のあたりを。


 はっとしたように、体を起こした。


「ガルムさんは!?」


 振り返ったリオの目に、砂の上に膝をついた獣王の姿が映る。


 ガルムは、まだ、同じ場所にいた。

 膝をついたまま、観客席の、抉られた石段のほうを見つめている。


 石段の上で、ノエルが、ボルドの体に両手をかざしていた。

 白い光が、ボルドの胸の上で明滅している。ノエルの肩が、小刻みに震えていた。


「ボルドさん……!」


 リオが、立ち上がろうとして、よろめいた。

 ミレイユが、その腕をつかんで支える。


「ノエルが診てる。今は、あなたにできることはない」

「でも……!」

「あなたには、まだ、やることがあるでしょう」


 ミレイユは、砂の上のガルムを、杖で指した。


***


 ガルムが、立ち上がった。


 足元が、ふらついている。

 獣になったときの反動で、体じゅうの筋が、悲鳴を上げているのだろう。


 それでも、ガルムは、自分の足で立った。


 観客席を、見上げる。

 何千人もの獣人が、息を詰めて、獣王を見下ろしていた。


 ガルムは、大きく息を吸い込んだ。


「――ザハルの民よ」


 その声は、かすれていた。

 でも、闘技場の最上段まで、はっきりと届いた。


「我は、獣王ガルム。……今、この舞台で、我は獣に堕ちた」


 観客席が、ざわめく。


「負けを認められず、聖剣の勇者に膝をつかされたことを受け入れられず。……師の教えに背き、理性を失い、我が民に、牙を向けた」


 ガルムは、観客席の石段を見た。

 抉られた石。砕けた氷の残骸。ノエルの腕の中で、動かない男。


「我が民を守ったのは、我ではない。……人間の戦士だ」


 ガルムの拳が、震えている。


「師は言った。負けを認められぬ者は、獣に堕ちる、と。……我は、それを、身をもって知った」


 ガルムは、リオのほうに向き直った。


 聖剣を握った少年は、ミレイユに支えられて、まだふらつきながら立っていた。

 ガルムは、その少年の前まで歩いていくと――。


 砂の上に、両膝をついた。


 観客席が、どよめいた。

 獣王が、人間の少年の前で、両膝をついている。


「聖剣の勇者よ」


 ガルムは、首にかけた獣王の牙の首飾りを、両手で外した。


「我の、負けだ」


 牙の首飾りを、リオの前に、差し出す。


「我は、負けを認める。……この牙を、折ってくれ。それが、獣人の決闘の、負けの証だ」


 リオは、差し出された牙を、見下ろしていた。


 大人の腕ほどの長さの、白い獣の牙だった。

 何代もの獣王が、首にかけてきた、獣人の王の証。


「……僕が、折っていいんですか」

「貴様でなければならん」


 ガルムは、まっすぐにリオを見上げた。


「貴様は、獣になった我の前に、聖剣を突き立てに来た。爪の届く場所へ、自分から。……あれは、勝つための剣ではなかった。誰かを守るための剣だった」


 ――師の言葉だ。


 中庭で聞いた、ガルムの話。

 魔王の拳には迷いがなかった。誰かを守るための拳だった。だから、師は負けを認めた、と。


「師が、魔王様に負けたのと、同じ負け方だ。……誇らしい負けだ」


 ガルムの獅子の顔が、ほんの少しだけ、笑ったように見えた。


 リオは、長いあいだ、牙を見つめていた。

 それから、聖剣を、ゆっくりと持ち上げる。


 白い刃が、牙の真ん中に、そっと当てられる。


「……ありがとうございました、ガルムさん」


 聖剣が、振り下ろされた。


 ――パキン。


 乾いた音。獣王の牙が、真ん中から、二つに折れた。


 白い光が、聖剣の刃から、リオの全身に広がった。

 リオが、はっとしたように、聖剣を見下ろす。


 頭の奥に、あの声が響いているのだろう。

 眠たげな、女の人の声が。


「……第三の封印、解放」


 リオが、呟いた。


***


 観客席から、最初の拍手が起きたのは、それから少し経ってからだった。


 最前列の、獣人の子供。

 さっき、獣の爪から逃げ遅れて、ボルドに守られた子供たちの一人。


 小さな手で、ぱち、ぱち、と。

 ゆっくりと、拍手をしている。


 その隣の子供が、真似をした。

 そのまた隣の大人が、真似をした。


 拍手が、波のように、観客席全体に広がっていく。


 歓声ではなかった。ただ、静かな、長い拍手だった。


 負けを認めた獣王と、その負けを受け取った勇者への。


***


 拍手の中で、ガルムが、ゆっくりと立ち上がった。


 膝の砂を払いもせずに、俺のほうへ歩いてくる。

 布を巻いた顔の前で、足を止めた。


 ガルムは、俺にしか聞こえない声で言った。


「……貴様だったのだな」

「……」

「我の首の後ろに、何かを打ち込まれていたことは、獣になって初めて分かった。それを断ち切ったのも、貴様の剣だ。……違うか」


 俺は、何も答えない。


 ガルムはそれ以上は聞かず、代わりに、低く言った。


「宮殿の夜、貴様は言った。負けそうになったら、負けを認めろ、と」

「……ああ」

「負けを認めるのも、強さだ。……師と、同じことを言う奴だ」


 ガルムは、俺の肩に、大きな手を置いた。重くて、温かい手。


「ヴァルガス。貴様が何者になったのかは、聞かん。……だが、礼は言う」


 ガルムは、手を離して、背を向けた。


 観客席の石段へ。

 ノエルの腕の中で動かない、大柄な人間の戦士のほうへ。


 獣王は、自分の民を守った男の前に、膝をついた。


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