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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第3章 獣王の負け方

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第44話 【ミレイユ視点】聖域の使い方

 答え合わせは、終わった。


 割れた鉄兜の下から現れたのは、記録の挿絵で見たとおりの顔だった。


 黒い髪。鋭い目。頬に走る、古い傷跡。

 百年以上前から魔王軍の先陣に立ち、今は五魔将の最古参に数えられる男。廃砦で、勇者に兜を割られたと記録されている男。


 ――黒鎧の魔将、ヴァルガス。


 予想していた。鎧の魔力の質を調べたときから。黒い三日月の斬撃の話を聞いたときから。


 予想していたのに、膝が少しだけ震えた。


 賢者の端くれとして、魔将の記録を何年も研究してきた。

 百年前の大戦で、黒鎧の魔将が一夜にして人間の砦を三つ落とした記録も読んだ。配下を道具としか見ず、倒れた兵を蹴り起こして前線へ送ったという記録も。


 その男が、今、目の前で。

 獣王の牙を大剣一本で受け止めて、砂の中に膝を沈めている。


 ――背中の後ろに、聖剣を突き立てた少年がいる場所へ、獣を近づけないために。


***


「先生……!」


 隣で、リオが聖剣の柄を握りしめていた。


 あの子には、顔が見えていないと思う。

 陽炎と、砂ぼこりと、血で。それに、あの子は黒騎士の素顔を知らない。知っているのは、廃砦で戦った魔将の兜だけだ。


「ミレイユさん、先生が……!」


 リオの声が、震えていた。


「助けに行かなきゃ! あのままじゃ、先生が……!」

「動いちゃ駄目」


 自分でも、驚くほど冷たい声が出た。


「あの人は、あなたに、ここを動くなと言った。三歩の内側を守れ、と」

「でも……!」

「あの人が、なぜ、獣をここに連れてこようとしたのか、考えなさい」


 リオが、言葉に詰まった。


 ――考えなさい。

 自分に言ったのかもしれない。


 黒鎧の魔将は、聖域のことを私から聞いた。

 聖域の中に入れば、呪いの楔の働きが鈍る。


 だから、獣をここへ連れてこようとした。

 楔の働きを鈍らせて、何かをするために。


 でも、何を。


 杖の先の水晶の玉を、獣に向けた。

 玉の中で、獣の魔力が真っ赤な嵐のように渦を巻いている。


 その嵐の中心に、三本の黒い線が見えた。


 獣の首の後ろ。

 毛並みの下の皮膚に、深々と打ち込まれた三本の楔。


 ――左の一本と、右の一本は、太い。

 真ん中の一本だけ、少し細い。


(……細い)


 古い文献の、呪印の記述を思い出す。


 三本の楔は、互いに支え合って命を縛る。

 どれか一本を抜こうとすれば、残りの二本が締めつけを強める。だから、外からは解けない。


 ――でも、一本だけ細いなら。

 支え合う力が、そこだけ弱いなら。


 そこを先に断ち切れば、残りの二本は支えを失って崩れる。


 黒鎧の魔将は、それを知っているのだ。

 だから、狙っている。真ん中の、一本だけを。


 でも、今の獣は暴れている。

 聖域の外では、楔の働きも獣の動きも速すぎる。


 聖域の中に入れば、遅くなる。

 でも、獣は聖域に近づこうとしない。


(……本能で、分かってるんだわ。あの光が、自分の呪いを鈍らせるって)


 獣は黒鎧の魔将を押し潰しながら、聖域の縁のほんの数歩外側で止まっていた。


***


 ――なら。


 聖域のほうから、近づければいい。


「リオ」

「は、はい!」

「聖剣を、抜いて」


 リオが、目を見開いた。


「え……でも、先生が、動くなって……」

「抜いて、もう一度、突き立てるの。獣の、すぐそばに」


 私は杖で、砂の上の一点を指した。


 獣の前脚の、すぐ横。

 黒鎧の魔将が、膝をついている場所から、三歩。


「聖域は、聖剣を突き立てた場所から、三歩の範囲に広がる。……獣が聖域に来ないなら、聖域を、獣のところへ持っていけばいい」


 リオの顔から、血の気が引いた。


 あの場所は、獣の爪のすぐ届く距離だ。

 突き立てに行けば、リオ自身が獣の目の前に立つことになる。


「三歩の内側に入れば、獣の動きは遅くなる。楔の働きも。……あの人は、そのとき、真ん中の楔を斬るつもりよ」

「真ん中の……楔?」

「説明している時間はないわ」


 私は、リオの目を見た。


「ただ、これだけは分かる。あの人一人では、獣を聖域まで連れてこられない。あなたが、聖域を連れていくしかない」


 リオは、獣とその下で膝をついている黒い鎧の背中を見つめていた。


 あの子は、今、何を考えているのだろう。

 自分を守ってくれた先生が、目の前で獣に押し潰されかけている。その先生のところへ、獣の爪の届く場所へ、自分から飛び込めと言われている。


 ――怖いはずだ。

 膝が、また震えている。


 でも、あの子は、目を閉じていなかった。


「……分かりました」


 リオは、聖剣の柄を、両手で握った。


「先生のところへ、聖域を持っていきます」


 砂から、聖剣を引き抜く。

 白い光が、ふっと消えた。


 リオが、走り出した。


 獣と、黒い鎧の背中に向かって。

 砂を蹴って。足で砂を固めることも忘れて。ただ、まっすぐに。


***


 走っていく少年の背中を見ながら、私は杖を握りしめていた。


 ――賢者として、言うべきだっただろうか。

 あなたの先生は、黒鎧の魔将ヴァルガスよ、と。廃砦であなたが兜を割った、あの魔将よ、と。


 言わなかった。理由は、自分でもよく分からない。


 ただ、記録の中のヴァルガスは、配下を道具としか見ない男だった。

 今、目の前のヴァルガスは聖剣の勇者の背中を守るために、獣の牙の下で膝をついている。


 百年分の記録と、目の前の一人の男。

 どちらが本当なのか、今はまだ、分からない。


 分からないことを、分かったふりをして口にするのは、賢者のすることではない。


「先生ーっ!」


 リオの叫び声が、闘技場に響いた。


 獣の真っ赤な目が、ぎょろりと動いて走ってくる少年を捉えた。

 前脚が黒い鎧から離れて、少年のほうへ振り上げられる。


 黒い鎧の魔将が、血に濡れた顔を上げる。


 その目が、走ってくる少年を見て――大きく見開かれた。


 怒っているようにも、驚いているようにも見えた。


 でも、私には、それが。


 ――嬉しそうに、見えた。


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