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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第3章 獣王の負け方

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第43話 負けかける

 砂の上に着地すると同時に、大剣を抜いた。


 獣の爪が、子供たちの頭上に振り下ろされる。

 その爪の側面を、大剣の腹で叩いた。


 ――重い。


 腕が肩まで痺れる。ヒュドラの毒の息もセレスの氷の鉄槌も、これほど重くはなかった。


 それでも、爪の軌道は、わずかに逸れた。

 子供たちの頭の上を抜けて、観客席の石段をごっそりと抉り取る。


「逃げろ!」


 低く、短く叫んだ。

 子供たちが悲鳴を上げながら、観客席の上へ這い上がっていく。


 獣の真っ赤な目が、俺を見た。


 ――来る。


***


 獣の右の前脚が、横なぎに振られた。


 大剣を立てて、受ける。

 受けた瞬間、足が砂の上を三歩分滑った。


(なんやこれ……!)


 ヴァルガスの体がどれほど頑丈でも、受け流す技が通じない相手と正面から押し合えば、いずれ削られるのは図体の小さいほうだ。テストで何百回もボス戦を見てきたから、嫌というほど分かる。


 中庭の手合わせのときとは、比べ物にならない。

 ゼクスの楔が、ガルムの力を何倍にも引き上げている。


 獣は、止まらなかった。

 左の前脚、右の前脚、牙、体当たり。


 一つ受けるたびに腕が軋み、鎧の継ぎ目から嫌な音がする。


 ――それでも、まだ受けられる。

 ヴァルガスの体は、五魔将最強だ。力では負けていても、受け流す技なら。


 獣の右の前脚が、また来た。

 今度は、払う。籠手の甲で、側面を。軌道を、指一本分だけずらす――。


 ずれなかった。


 前脚は、まっすぐに俺の胸を打った。


 息が詰まり、体が砂の上を転がっていく。舞台の反対側の石の壁に叩きつけられて、ようやく止まった。


(……右肩が、開いてへん)


 獣になっても、ガルムの体は、覚えていた。

 柱を四本折って直した、打ち方の癖を。


 右肩が開かないから、前脚の軌道はまっすぐだ。

 まっすぐだから、力が一点に集まって、側面を払っても逸れない。


 ――あの癖を直させたのは、俺だ。


「……直させたの、俺やんけ」


 口の中に、鉄の味が広がっていた。


***


 立ち上がる。


 獣は、舞台の真ん中で、こちらを睨んでいた。

 首の後ろの三本の線が、脈を打つように赤く明滅している。


 黒閃を、撃てば。

 全力の黒閃なら、獣の巨体ごと断ち切れる。


 だが、そうすれば、ガルムは死ぬ。

 それに、獣の背後には観客席がある。斬撃が何千人もの獣人を巻き込む。


 狙うのは、首の後ろの、真ん中の楔だけ。

 髪の毛ほどの細さの、一本だけ。


 ――今の獣の動きでは、狙えない。


(三歩の内側に、連れていかな)


 舞台の向こう、西の門の近くに、リオが立っていた。


 聖剣を構えたまま、こちらを見ている。

 その目が、迷っていた。黒騎士を助けに飛び込むべきか、それとも言われたとおりに待つべきか。


「――小僧! 剣を突き立てろ!」


 叫んだ。


 リオの目が、見開かれた。

 それから、迷いが消えた。


 聖剣が、砂の舞台に、深々と突き立てられた。


 白い光が、刃から砂へ、波紋のように広がっていく。

 リオの周り、三歩ほどの範囲の砂が、かすかに光を帯びた。


 ――聖域。


 あそこまで、獣を連れていく。


***


 獣が、跳んだ。


 俺のほうへ。

 山のような巨体が、真昼の太陽を遮って、影が落ちてくる。


 横へ転がって、避ける。

 獣の前脚が、さっきまで俺のいた場所の砂を、爆ぜるように吹き飛ばした。


 走った。

 聖域に向かって。リオのいる、西の門の方角へ。


 獣が、追ってくる。

 砂を蹴る音が、背中のすぐ後ろで響いている。


 ――あと、二十歩。


 獣の爪が、背中をかすめた。

 灰色のマントがずたずたに裂けて、砂の上に舞い散る。四枚目、決定。


 ――あと、十五歩。


 獣の牙が、横から迫った。

 大剣で受ける。足が止まる。牙と刃が噛み合って、火花が散る。


 押し返せない。

 じりじりと、膝が砂に沈んでいく。


(あかん……このままやと……)


 獣の真っ赤な目が、すぐ目の前にあった。

 獅子の顔は、もうガルムの顔ではない。理性のかけらもない、ただの獣の顔。


 その瞳の奥で、何かが揺れた気がした。


「……ガルム」


 思わず、名前を呼んでいた。


「お前の師は、何と言った。……負けを認められぬ者は、獣に堕ちる。そう言ったんだろう」


 獣の牙が、ほんの一瞬、止まる。


「お前は、もう十分戦った。勇者に、膝をつかされた。……負けを、認めろ。認めて、戻ってこい」


 獣の喉の奥で、唸り声が、震えた。


 ――届いたか。


 その瞬間、獣の首の後ろの三本の線が、ひときわ強く光った。


 獣の目から、揺らぎが消えた。

 牙にさらに力がこもる。押し返される。膝が、完全に砂に沈んだ。


(……楔が、邪魔しとる)


 負けを認めようとする心を、楔が押し潰している。

 ゼクスの作った呪いは、ガルムが自分の意思で戻ってくることさえ許さない。


 獣の前脚が、上から振り下ろされた。


 大剣は、牙を受け止めるのに使っている。防げない。


 前脚が、俺の頭を打った。


 ――パキン。


 乾いた音がした。


 廃砦で、聖剣に兜を割られたときと、まったく同じ音だった。


 練習用の鉄兜が、真っ二つに割れた。


 割れた兜の破片が、砂の上に転がっていく。

 頭から生暖かいものが、額を伝って流れ落ちてきた。


 視界が、半分、赤く染まる。


 ――素顔が、陽の光の下に、さらされていた。


***


 獣の牙の向こう、聖域の縁で、リオが聖剣を握ったままこちらを見ていた。


 距離は十歩。陽炎と舞い上がる砂ぼこりと、俺の額から流れる血で、顔ははっきりとは見えないはずだ。


 リオの後ろで、もう一人。三つ編みの金色の髪の女が、杖を構えて立ち尽くしていた。


 ミレイユの翡翠色の目が、俺の素顔を見ていた。


 大きく、見開かれて。

 研究対象を見る目ではなかった。答え合わせが、終わった目だった。


(……見られた)


 獣が、牙をさらに押し込んでくる。

 膝はもう、これ以上は沈まない。腕の感覚が、なくなりかけていた。


 負ける。


 生まれて初めて、本気で、そう思った。


 廃砦でも白霧の神殿でも、負けたのは自分で選んだからだ。

 負けることを、自分で決めて、負けた。


 今は、違う。


 ――本当に、負ける。


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