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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第3章 獣王の負け方

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第42話 獣王の決闘

 正午、大闘技場は獣人で埋め尽くされていた。


 すり鉢状の観客席の、最上段まで。

 狐の耳、豹の尾、熊の毛皮。色とりどりの獣人たちが肩を寄せ合って、砂の舞台を見下ろしている。太鼓が鳴り、角笛が吹き鳴らされ、歓声が真昼の太陽よりも熱く渦を巻いていた。


 俺は、観客席の最前列、舞台の縁の石の壁のすぐ後ろにいた。

 黒騎士の姿で。練習用の鉄兜に、灰色のマント。


 少し離れた場所に、砂色のフードをかぶったセレスが座っている。

 顔を覆った布の下で、たぶんもう溶け始めている。それでも、膝の上で組んだ指先から冷気を絶やさずにいた。


 観客席の反対側、最上段の柱の陰を見上げる。


 ――いた。


 黒い礼服に、片眼鏡。ゼクスが柱にもたれて、舞台を見下ろしている。俺の視線に気づいたのか、こちらに向かって軽く手を振った。


(……ほんまに、来とる)


 太鼓の音が、ひときわ大きく鳴り響く。


 舞台の東の門が開いた。

 獅子の頭に、熊のような巨体。首には、太い獣の牙をつないだ首飾り。獣王ガルムが、砂を踏みしめて現れた。


 観客席が、地鳴りのような歓声に包まれる。


 西の門が開いた。金髪の少年が、聖剣を腰に下げて歩いてくる。後ろには、ノエルとボルドとミレイユ。三人は舞台の手前で足を止めて、リオだけを送り出した。


 歓声の中に、どよめきが混じった。

 獣王の半分ほどの背丈しかない少年が、たった一人で砂の舞台の真ん中へ歩いていく。


 ガルムとリオが、向かい合った。


「――聖剣の勇者よ」


 ガルムの声が、闘技場じゅうに響く。


「よく来た。我は、獣王ガルム。魔王軍五魔将が一人。……正々堂々、拳と剣で語り合おう」

「勇者リオです」


 リオは、聖剣を抜いた。


「よろしく、お願いします」


 リオが、頭を下げた。決闘の相手に、深々と。


 観客席が、一瞬、静まり返る。


 ガルムの獅子の目がわずかに見開かれ、それから、ガルムもゆっくりと頭を下げた。


「……よろしく頼む」


***


 決闘が、始まった。


 ガルムが、踏み込んだ。

 魔王城の中庭で見たのと同じ、目で追えないほどの一歩目。右の拳が、まっすぐにリオへ飛ぶ。


 リオは、懐へ飛び込んだ。


 白霧の神殿で、巨人を相手に見つけた答え。

 大きな相手には、懐が安全。


 ――だが、ガルムは、それを知っていた。

 俺が、魔王城で見せたからだ。そして、宮殿の夜、ガルムはそれを盗んだと言った。


 懐に入ったリオを、ガルムの肘が迎え撃った。


「――っ!」


 リオが、横へ跳んだ。

 肘が、さっきまでリオの頭があった空間を砕くように通り過ぎる。


 観客席が、どっと沸いた。


 ガルムは、止まらない。

 肘、膝、拳、体当たり。宮殿の夜、俺に見せたのと同じ連撃。


 リオは、それを一つずつ受けていく。

 受けきれないものは、避けた。避けきれないものは、聖剣の腹で逸らした。


 まっすぐではなく、ほんの少しだけ、遅らせた剣で。


(……昨日、二十本負けて覚えた剣や)


 速い相手に、まっすぐな剣は当たらない。

 だから、相手の動きを見てから、ほんの一拍だけ遅らせて合わせる。


 リオの聖剣が、ガルムの拳の側面を叩いた。

 拳の軌道が、指一本分だけずれる。


 ガルムの体が、わずかに泳いだ。


 ――そこに、リオが踏み込んだ。


 聖剣が、ガルムの脇腹を浅く斬りつけた。

 獅子の毛並みに、赤い線が走る。


 観客席が、悲鳴とも歓声ともつかない声に包まれた。


 ガルムが後ろに跳んで、距離を取った。

 脇腹の傷に、手を当てる。手のひらに、血がついていた。


 ガルムは、その血をじっと見下ろす。


「……強いな、勇者」


 低い声だったが、闘技場じゅうにはっきりと届いた。


「我の拳を、受け流したか。……ヴァルガスと、同じことをする」


 リオの肩が、ぴくりと動く。


***


 決闘は、半刻近く続いた。


 ガルムの拳は、重い。リオは、何度も砂の上に転がされた。そのたびに、足で砂を固めて立ち上がった。


 リオの剣は、浅い。でも、確実に、ガルムの体に傷を増やしていった。


 太陽が、真上から少し西に傾いたころ。


 ガルムの右の拳が、空を切った。

 リオが、その拳の内側にほんの一拍遅れて滑り込んだ。


 聖剣の柄が、ガルムの膝の裏を打った。


 ガルムの巨体が、砂の上に片膝をつく。


 ――観客席が、静まり返った。


 獣王が、膝をついている。

 何千人もの獣人が、息を呑んでそれを見ていた。


 リオは聖剣を構えたまま、ガルムを見下ろしていた。

 追撃は、しない。ただ、静かに、待っていた。


 負けを、認めてくれるのを。


 ガルムは砂の上に膝をついたまま、うつむいていた。

 肩が、大きく上下している。


 ――ガルム、認めろ。


 俺は、石の壁を握りしめていた。


 お前の師が言ったとおりに。負けを、認めろ。


 ガルムの拳が、砂を、ぎりりと握りしめた。


「……我は」


 低い、かすれた声。


「我は、負けられん……」


 ガルムの首の後ろで、何かが赤く光った。


 毛並みの下から、三本の線が浮かび上がってくる。

 焼けた鉄のように、脈を打って、明滅しながら。


(――来た)


「魔王様を……守らねば……我が、負けたら……」


 ガルムの声が、途中から人の声ではなくなっていった。


 低い唸り声が、喉の奥から漏れる。

 獅子の目が、真っ赤に染まっていく。


 ガルムの体が、膨れ上がり始めた。


 筋肉が、毛皮を押し広げる。

 骨が、きしむ音を立てて伸びていく。熊のようだった巨体が、さらに倍に、三倍に。


 観客席から、悲鳴が上がった。


「獣王様……!?」

「なんだ、あれは……!」


 ガルムだったものが、砂の上で四つ足をついた。

 獅子の頭に、山のような背中。爪の一本一本が、人の腕ほどもある。


 首には、まだ、獣王の牙の首飾りが揺れていた。


 ――獣に、堕ちた。


 獣が天を仰いで、咆哮する。


 闘技場じゅうの空気が、震えた。

 観客席の最前列の獣人たちが、耳を押さえてうずくまる。


 獣の真っ赤な目が、ぎょろりと動いた。


 目の前の、聖剣を構えた少年ではなく。

 観客席の、ある一点を見ていた。


 舞台の縁の、低い石の壁のすぐ向こう。

 逃げ遅れた獣人の子供たちが、身を寄せ合って震えていた。


 獣が、跳んだ。


「セレス!」


 叫んだのと同時に、舞台の縁に氷の壁が立ち上がった。


 透き通った、青白い壁。

 獣の巨体が、壁に激突した。


 壁に、蜘蛛の巣のようなひびが走った。

 真昼の太陽の下で、壁の表面がみるみるうちに溶けて、湯気を上げ始める。


 二撃目で、壁が砕けた。


 獣の爪が、子供たちに向かって振り下ろされる――。


 その前に、大きな影が子供たちの前に飛び込んでいた。


 ボルドだった。大斧を盾のように掲げて、子供たちの前に立ちはだかる。

 獣の爪が、大斧ごと、ボルドの体を薙ぎ払った。


 鈍い音。ボルドの体が、観客席の石段に叩きつけられた。

 大斧が二つに折れて、砂の上に転がった。


「ボルドさん!」


 ノエルの悲鳴が、闘技場に響く。


 ボルドは、動かない。

 石段の上に、赤いものがゆっくりと広がっていった。


 獣が、再び子供たちのほうへ首を向ける。


 俺は、もう、石の壁を飛び越えていた。


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