第40話 勇者の負け方
決闘の二日前、リオが負けた。
大闘技場の裏手には、獣人の戦士たちが稽古に使う小さな砂の広場がある。
昼過ぎ、そこでリオは獣人の若い戦士と、練習試合をしていた。
俺は広場の外の日陰から、それを見ていた。
相手は、豹の獣人。背丈はリオと同じくらい。細身で、手には木の短剣を二本。闘技祭の予選に出る、まだ見習いの戦士だという。
「勇者様と手合わせできるなんて、光栄です!」
豹の少年は目を輝かせて頭を下げ、リオも、照れくさそうに頭を下げ返した。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
リオは、木剣を構えた。
足で砂を固め、重心を前に、脇を締める。雪原の稽古で教えた、そのままの構えだ。
――そして、その構えには、余裕があった。
白霧の神殿で氷の魔将を倒し、ブランシュでは、町を救った勇者と呼ばれた。
この少年は、今、自分が強いと思っている。
見習いの戦士になど、負けるはずがないと。
(……あかんな)
試合が、始まった。
豹の少年が、跳んだ。
速い。砂を蹴る音が、ほとんど聞こえない。
リオは、木剣を振った。
まっすぐに。脇を締めて。――でも、そこにはもう、相手はいなかった。
豹の少年は、リオの剣の外側をするりと回り込んでいた。
木の短剣が、リオの脇腹を軽く叩く。
「一本!」
審判役の獣人が、声を上げた。
リオが、目を瞬いた。
何が起きたのか、分からない顔をしている。
「も、もう一本、お願いします!」
二本目も、同じだった。
三本目も、四本目も。
リオの剣は、まっすぐに振られる。
まっすぐに振られるから、豹の少年にはどこに来るか、全部読まれていた。
――大きな相手には、懐が安全。
小さくて速い相手には、まっすぐな剣は当たらない。
リオは、まだそこまでは知らなかった。
俺が、教えていなかったからだ。
十本目で、リオの木剣が手から弾き飛ばされた。
砂の上に、尻もちをつく。
広場が、静まり返った。
豹の少年が、困ったような顔でリオを見下ろしている。
「あ、あの……勇者様、大丈夫ですか?」
「……大丈夫です」
リオは砂の上に座ったまま、うつむいていた。
「ありがとう、ございました」
声が、震えている。
***
広場から誰もいなくなっても、リオは砂の上に座り込んだままだった。
俺は日陰から出て、リオの前に立った。
リオは、顔を上げない。
「……見てたんですか、先生」
「ああ」
「かっこ悪いところ、見られちゃいましたね」
リオは、膝を抱えた。
「僕、強くなったと思ってたんです。ブランシュでヒュドラを倒して、雪の国で氷の魔将を倒して。だから、見習いの人になんて、負けるはずないって」
「……」
「でも、全然、駄目でした。一本も、取れなかった」
ヒュドラを倒したのは、半分以上、俺だ。
氷の魔将の巨人を動かしていたのも、俺だ。
それを、この子は知らない。
知らないまま、自分の力だと思っている。
(……俺のせいか)
勝たせすぎた。
勝ったと思わせることに、夢中になりすぎた。
テストで、ボスの難易度を下げすぎるとプレイヤーは成長しない。
そういう報告を、何度も書いたはずなのに。
「小僧」
「……はい」
「負けを、認めろ」
リオが、ようやく顔を上げた。
目の縁が、赤くなっていた。
「お前は、今日、負けた。十本とも。それを、認めろ」
「……認めて、ます。だから、悔しくて」
「悔しいのと、認めるのは、違う」
俺は、リオの前にしゃがみ込んだ。
鉄兜の高さが、リオの目と同じになる。
「悔しいだけなら、相手が強すぎた、運が悪かった、調子が悪かった、と思えば済む。それは、負けを認めていない。……認めるというのは、自分のどこが駄目だったのかを、自分の目で見ることだ」
リオは、黙って聞いている。
「お前の剣は、まっすぐだった。それは、いいことだ。だが、まっすぐすぎて、相手に全部読まれていた。速い相手には、それでは当たらない。……今日、お前が負けた理由は、それだけだ」
「……まっすぐ、すぎた」
「そうだ」
「じゃあ、どうすれば」
「それは、次に教える。……負けを認めた者だけが、次に勝てる」
ガルムの師の言葉を、少しだけ借りた。
リオは、しばらく自分の手のひらを見つめてから、袖でごしごしと目元を拭った。
砂の上に転がっていた木剣を、拾い上げる。
「先生」
「なんだ」
「もう一回、さっきの人と、やってきます」
リオは、立ち上がった。
足で砂を固めて、木剣を構える。
「今度は、負けるところを、ちゃんと見てきます。どこが駄目なのか」
(……ええ顔や)
ブランシュの河原で、まっすぐ振れたと泣いた顔とは、違った。
負けて、それでも、もう一度立ち上がる顔。
リオは広場の外に走っていって、帰りかけていた豹の少年を呼び止めた。
少年は驚いた顔をしてから、嬉しそうに木の短剣を構え直す。
***
夕暮れまでに、リオは、二十本負けた。
そして、二十一本目で、初めて一本取った。
豹の少年の短剣を、まっすぐではなくほんの少しだけ遅らせた剣で、迎え撃って。
「一本!」
審判役の声に、リオはぽかんと口を開けた。
それから、砂の上に大の字に倒れ込んだ。
「……取れた」
夕焼けの空を見上げて、リオは笑っていた。
豹の少年が駆け寄ってきて、リオの手を引っぱり起こした。
二人で砂だらけの顔を見合わせて、笑い合っている。
広場の外の日陰で、俺は、それを見ていた。
ふと、隣に人の気配がした。
三つ編みの金色の髪。翡翠色の目。いつの間にか、ミレイユが、俺の隣で腕を組んで立っていた。
「……二十本、負けさせたのね」
「俺は、何もしていない。あいつが、自分で負けた」
「ふうん」
ミレイユは、広場のリオを見つめていた。
「いい先生ね。負け方を、教えるなんて」
皮肉なのか、本気なのか、分からない声。
夕日の中を、リオがこちらへ駆けてくる。
砂だらけの顔で、手を振りながら。
「先生! 見ててくれましたか! 一本、取れました!」
「見ていた」
「先生も、負けたことって、あるんですか?」
リオは息を弾ませながら、無邪気に聞いてきた。
少し、考える。
廃砦で、兜を割られた。
白霧の神殿で、巨人ごと砕かれた。
テストの仕事では、ボスの代わりに何千回、何万回とプレイヤーに倒されるのを見てきた。
「……数えきれないくらいな」
リオが、目を丸くする。
ミレイユが、隣で小さく吹き出した。




