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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第3章 獣王の負け方

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第34話 師の教え

 中庭の真ん中で、ガルムと向かい合った。


 武器は、使わない。

 ガルムがそう言った。獣王の手合わせは、拳でやるものだ、と。


 大剣を地面に突き立てて、籠手の拳を握る。

 ガルムの拳は、俺の頭ほどの大きさがあった。


 中庭の回廊に、いつの間にか配下の魔物たちが集まってきていた。

 オークに、トロルに、スケルトンに。その一番前で、ギギが帳面を胸に抱いて、心配そうにこちらを見ている。


「――参る」


 ガルムが、踏み込んだ。


 速い。

 熊のような巨体なのに、踏み込みの一歩目が、目で追えないほど速い。


 右の拳が、まっすぐに飛んでくる。


 籠手の甲で、側面を払う。

 一度目の葬式の大広間で、こいつの拳をいなしたときと、同じ動きだ。軌道を、指一本分だけずらす――。


 ――ずれなかった。


 払おうとした籠手が、拳の勢いに押し戻された。

 拳が、俺の頬をかすめて、背後の空気を切り裂く。風圧だけで、首が持っていかれそうになった。


(重い……!)


 ガルムの拳は、葬式の大広間でいなしたときよりも明らかに重く、それでいて速さはまったく落ちていなかった。受けるたびに、籠手の内側で指の骨がきしむような感覚があった。


 右肩が開かないぶん、拳の力が、一点に集まっている。

 前は、側面を軽く押すだけで逸れた。今は、押す力が、拳の芯に届かない。


 ガルムは、止まらなかった。

 左の拳。右の膝。体当たり。間を置かずに、次々と打ち込んでくる。


 一つ受けるたびに、腕が痺れた。

 足が、少しずつ後ろに下がっていく。


「どうした、ヴァルガス!」


 ガルムが吠えた。


「死の淵から戻って、拳が鈍ったか!」


(鈍ったんやない。お前が強なったんや)


 しかも、強くした原因の半分は、俺だ。


 右肩の癖を指摘したのは、俺だ。

 ガルムは、それを律儀に直した。柱を四本折って。


 ――自分で自分の首を絞めた。

 テストで報告したバグが修正されたら、別の場所で新しい不具合を生んだときと、同じ気分。


 ガルムの右の拳が、また来た。


 今度は、払わなかった。

 半歩、内側に踏み込む。拳の軌道の内側、ガルムの懐へ。


 大きな相手には、懐が安全。

 ――白霧の神殿で、リオが自分で見つけた答えだ。


 ガルムの拳が、俺の肩の上を抜けていく。

 懐に入った俺の拳が、ガルムの腹に軽く触れた。


 当てただけだ。打ち込んではいない。


 ガルムの動きが、止まった。


 中庭が、静まり返った。

 回廊の魔物たちが、息を呑んでいる。ギギが、帳面で顔を半分隠していた。


 ガルムは、自分の腹に当てられた俺の拳をしばらく見下ろしてから、拳を下ろした。


「……一本、だな」

「打ち込んではいない」

「打ち込めた。それで十分だ」


 ガルムは、大きく息を吐く。


「今の動きは、誰に習った」

「……勇者から、盗んだ」


 ガルムの目が、わずかに見開かれた。


「勇者から?」

「白霧の神殿で、あの小僧がセレスの巨人と戦うのを、遠くから見ていた。大きな相手の懐に、迷わず飛び込んでいった」


 ガルムは、黙り込んだ。

 低い声で、笑った。


「……ふ。ふはは。勇者から盗んだ、か」


 笑い声が、中庭に響く。


「面白い男になったな、ヴァルガス。昔の貴様なら、たとえ盗んでも、盗んだとは言わなかった」


***


 手合わせのあと、ガルムは中庭の端に腰を下ろした。


 俺も、その隣に座る。

 配下の魔物たちはギギに追い払われて、それぞれの持ち場に戻っていく。


「我には、師がいた」


 ガルムが、ぽつりと言った。


「先代の獣王だ。我の父ではない。砂漠で行き倒れていた子供の我を拾って、育ててくれた」


 葬式の大広間で、ガルムはそう言った。

 ――我が師以外に、それを指摘されたのは初めてだ。


「師は、強かった。だが、一度だけ、負けたことがある。若いころの魔王様と、手合わせをしてな」

「……魔王と」

「師は、負けを認めた。それから、魔王様と盟を結んで、獣人の国を魔王軍の側につけた」


 ガルムは、自分の拳を見下ろした。


「師は、よく言っていた。――負けを認められぬ者は、獣に堕ちる、と」


 獣に、堕ちる。


「力だけを求めて、負けを認めず、ただ勝つことだけを考える者は、いずれ理性を失う。そうなれば、もう王ではない。ただの獣だ、とな」


 ガルムの声は、静かだった。


 原作の三章で、ガルムが勇者に負けたあと、負けを認めて去っていく理由。

 ――それは、この教えだったのだ。


 設定資料には、書いていなかった。

 先代の獣王は、名前しか出てこない。


「だがな、ヴァルガス」


 ガルムが、顔を上げた。

 獅子の目に、硬い光が宿っている。


「今の魔王軍は、負けすぎた」

「……」

「貴様が負けた。セレスが負けた。五魔将のうち、二人が、たかが人間の小僧一人に。……魔王様は、何もおっしゃらない。だが、魔王軍の誇りは、もう地に落ちている」


 ガルムの拳が、固く握りしめられた。


「我は、もう負けられん。師の教えに背いてでもだ。我が負ければ、獣人の国も、魔王軍も、終わる」


 俺は、何も言えなかった。


 ガルムの腰で、革袋が揺れている。

 中の硝子の小瓶が、またかちりと鳴った。


「……その薬は、飲むのか」


 思わず、口に出していた。


 ガルムが、腰の革袋に手をやる。


「これか。ゼクスがよこした、獣王の血を濃くする薬」

「……」

「飲まん。薬に頼って勝っても、それは我の勝ちではない」


 ガルムは、きっぱりと言う。


「お守りとして、持っていくだけだ。ゼクスが、そう言ったからな」


(お守り……)


 セレスの妹が、髪飾りのことをそう呼んでいた。


 ガルムは立ち上がると、俺を見下ろす。


「手合わせ、礼を言う。勇者から盗んだという技、我も盗ませてもらった」

「……」

「砂漠で、あの小僧を待つ。正々堂々、決闘でな」


 ガルムは、中庭を去っていった。

 腰の革袋を、軽く叩きながら。


 その背中を、俺はずっと見送っていた。


(飲まん、か)


 本当に、飲まないのならいい。

 でも、ゼクスは、「もしものときのために」と言った。


 ゼクスは、物語を作る男だ。

 山場の前に、いちばん大事なものを取り上げておく。そして、もしものときが、必ず来るように仕組む。


 ――もしものとき。

 ガルムが、負けそうになったとき。


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