第33話 帳の前の問い
二度目の葬式の翌朝、玉座の間に呼ばれた。
首のない騎士が、脇に抱えた兜の中から、俺の名前を呼んだ。
前と同じだ。ただ、今度は、ギギが籠手の端をつまんでくることはなかった。
「行ってらっしゃいませ、ヴァルガス様」
ギギは、丸眼鏡をまっすぐに直して、深く頭を下げた。
白霧の神殿から戻って以来、この小さなゴブリンは、少しだけ背筋が伸びた気がする。
***
玉座の間には、ゼクスの姿はなかった。
黒い柱のあいだを、帳の前まで歩く。
片膝をつくと、帳の奥から、あの若くて疲れた声が聞こえた。
「セレスが、討たれた」
「……は」
「お前は、それを見ていたか」
「勇者の監視中でしたので。遠くから」
嘘ではない。巨人の目を通して、ずっと近くから見ていたが。
帳の奥は、しばらく静かだった。
「ヴァルガス」
「は」
「お前は、勇者に負けたことを、悔やんでいるか」
予想していなかった問いだった。
顔を上げる。分厚い帳の向こうに、魔王の姿は見えない。ただ、帳のわずかな揺れから、そこに誰かが座っていることだけが分かる。
どう答えるべきか。
ヴァルガスなら、何と答えるか。尊大な魔将なら、悔やんでいると言うだろう。あれは恥だった、次こそは勝つ、と。
でも、俺は。
「……悔やんでは、おりません」
気づいたら、そう答えていた。
「ほう」
「あの小僧は、あの日、震えながら剣を握っておりました。それでも、目を閉じなかった。……あれに負けたのなら、恥ではございません」
言ってから、しまったと思った。
魔王の前で、勇者を褒めてどうする。
帳の奥で、小さく息が漏れた。
――笑ったのだと、今度は分かった。
「そうか」
声が、少しだけ柔らかくなる。
「ガルムが、砂漠へ発つ」
「存じております」
「あれは、我の古い友だ」
帳が、かすかに揺れた。
「魔王軍は、五魔将のうち二人を失った。ガルムは、それを恥じている。次は自分が出ると言って、聞かない。……勝つまで、止まらぬつもりだ」
「……」
「ヴァルガス。勇者の監視に加えて、もう一つ命じる」
帳の奥の声が、低くなった。
「ガルムを、死なせるな」
息を、呑んだ。
死なせるな。
勇者を倒せ、ではなく。勝たせろ、でもなく。
「……ガルム殿が、勇者に討たれぬようにせよ、と」
「討たれても構わん。負けても構わん。ただ、死なせるな」
魔王の言葉は、それで終わりだった。
「下がれ」
***
玉座の間を出て、長い廊下を歩きながら、俺は考えていた。
(負けても構わん。ただ、死なせるな……)
原作の三章で、ガルムは勇者に負けて、生き残る。
負けを認めて、砂漠の奥へ去っていく。五魔将の中で、唯一。
つまり、原作どおりに進めば、魔王の命令は自然に果たされる。
――原作どおりに進めば。
葬式の大広間で、ゼクスがガルムに手渡した小瓶。
赤黒い液体と、三本の線。
魔王は、あの小瓶のことを知っているのだろうか。
知っていて、「死なせるな」と言ったのだろうか。
帳の奥の声からは、やはり何も読み取れなかった。
でも、一つだけ分かったことがある。
魔王は、自分の部下が死ぬことを、望んでいない。
少なくとも、ガルムについては。
(原作の魔王ノクスって、どんなキャラやったっけな)
思い出そうとして、何も出てこなかった。
立ち絵は、最後まで黒い影のままだった。台詞も、最終決戦のわずかな数行だけ。デザインが決まったのは、発売の半年前。シナリオは、たぶん、何度も書き直されていた。
――誰が書いて、誰が書き直したのか。
ゼクスの顔が、頭をよぎった。
窓のない廊下の燭台を数えながら、三章の段取りを頭の中で組み直す。
原作のガルム戦は、勇者と獣王が大闘技場で一騎打ちをする、五魔将の中でいちばん後味のいい章だったはずだ。テストのときも、この章だけは、バグの報告がほとんど出なかった。
だからこそ、ゼクスがそこに手を入れてくるのなら、狙いはたぶんその後味のよさそのものなのだろう。誇り高い獣王が負けを認めて去っていくという結末を、あの男は、いちばん壊したがっているはずだ。
***
中庭に出ると、地面が揺れていた。
ずん。ずん。ずん。
規則正しい、重い音。中庭の真ん中で、獅子の頭をした巨体が、石の柱に拳を打ち込んでいた。
ガルムだ。
柱は、すでに四本目らしかった。
足元には、砕けた石の山が三つ。ギギが「三本折れた」と報告してから、また一本増えている。
ずん。
ガルムの拳が、柱にめり込んだ。
打つ瞬間、右の肩が、開いていなかった。
(……ほんまに、直しとる)
拳の軌道が、まっすぐだ。
力が、一点に集まっている。前よりも、明らかに重い。
ガルムが、拳を引き抜いた。
獅子の目が、こちらを向く。
「……ヴァルガス」
「精が出るな」
「貴様に言われた癖だ。直すのに、柱を四本使った」
ガルムは、拳についた石の粉を払った。
「出陣の前に、一つ頼みがある」
「なんだ」
「手合わせを、願いたい」
ガルムが、俺を見る。
「勇者に討たれ、死の淵から戻った貴様の拳を、受けておきたい。……我は、あの小僧に負けるわけにはいかんのだ」
腰の革袋が、かすかに揺れた。
中で、硝子の小瓶が、かちりと鳴った気がした。




