第32話 二人目の死人
魔王城の大広間は、また黒い布で埋め尽くされていた。
正面には、銀色の髪の女の肖像画。黒いリボンつきで。
その前に並んだ雪女の侍女たちが、袖で目元を押さえて、すすり泣いていた。
――二度目の葬式だ。
俺は大広間の端に立って、それを眺めていた。
隣では、ギギが丸眼鏡の奥で、何とも言えない顔をしている。
「……ヴァルガス様」
「なんだ」
「本当のことを知っているのに、泣いている方々を見るのは、なんだか、胸が痛うございます」
「我慢しろ」
「はい……」
ギギは、帳面で顔を半分隠した。
セレスとリュシーは、今ごろ、廃砦の裏手の森にいる。
原作のマップには存在しない、没になった座標だ。ボツに頼んで、二人を送ってもらった。ゼクスの目が届かない場所は、今のところ、あそこしかない。
玉座の脇の、五魔将の席。
五つあった席のうち、一つには黒いリボンがかけられ、もう一つは空っぽだった。
残っているのは、二人。
獣王ガルムと、まだ一度も顔を見せたことのない、五魔将の四番手。その席には、今日も誰も座っていない。
ガルムが腕を組んだまま、セレスの肖像画をにらみつけていた。
「……情けない」
低い声。
「ヴァルガスに続いて、セレスまで。たかが人間の小僧一人に、五魔将が二人も討たれるとは」
ガルムの拳が、ぎりりと握りしめられた。
右の肩が、打つ前の構えで、開いていなかった。
(……ほんまに直しとる)
ギギの報告どおりだ。
中庭の柱を、三本折ってまで。
「次は、我が出る」
ガルムが、大広間じゅうに響く声で言った。
「勇者が次に向かうのは、南の砂漠の獣人国だろう。我の領土だ。……今度こそ、あの小僧の首を、魔王様の前に並べてやる」
配下の獣人たちが、雄叫びを上げた。
――原作どおりだ。
三章の舞台は、南の砂漠。ボスは、獣王ガルム。
原作のガルムは、勇者に倒されたあと、死なない。
負けを認めて、自分の足で、砂漠の奥へ去っていく。五魔将の中で、唯一、生き残る魔将だ。
(三章は、たぶん、楽な章や)
そう思ったのが、間違いだった。
***
「――ガルム殿」
柔らかな声が、雄叫びを割った。
ゼクスが、大広間の中央をゆっくりと歩いてくる。
黒い礼服に、片眼鏡。柔和な笑み。
手に、小さな硝子の小瓶を持っていた。
「ご出陣の前に、これを」
ゼクスは、小瓶をガルムに差し出した。
瓶の中で、赤黒い液体がどろりと揺れている。
光の加減で、液体の表面に三本の線のような模様が、一瞬だけ浮かんで見えた。
「……なんだ、これは」
「獣王の血を、さらに濃くする薬です。勇者くんに、二度も後れを取るわけにはいきませんからね。これを飲めば、ガルム殿の力は、倍にも、三倍にもなる」
「……ふん」
ガルムは、小瓶をひったくるように受け取った。
鼻を近づけて、匂いを嗅ぐ。顔をしかめた。
「我は、薬などに頼らん」
「もちろんです。お守りとして、お持ちください。――もしものときのために」
ゼクスは、深々と一礼する。
ガルムは舌打ちをしながらも、小瓶を腰の革袋にしまった。
(……三本の線)
背筋に、冷たいものが走った。
あれは、ただの薬ではない。
リュシーの首に刻まれていたのと、同じ模様だ。開発中の、仮のデザインの。
原作の三章に、あんな薬は出てこない。
ガルムは自分の力だけで勇者と戦い、負けを認めて、去っていく。
その筋書きを、ゼクスが書き換えようとしている。
***
葬式が宴会に変わったころ、俺は大広間を抜け出した。
廊下の角を曲がったところで、待ち構えていたように、ゼクスが立っていた。
壁にもたれて、片眼鏡を布で拭いている。
「お疲れさまでした、ヴァルガス殿」
「……」
「二人目、ですか」
ゼクスは、片眼鏡をかけ直した。
「一人目は、あなた自身。二人目は、セレス殿。……五魔将のうち、二人が、死んだことになって、どこかで生きている。私の書いた物語では、ありえない展開です」
穏やかな声。怒っているようには、聞こえなかった。
「正直に言うと、少し、楽しくなってきました」
「……楽しい?」
「ええ。私の書いた筋書きを、誰かが、目の前で書き換えていく。シナリオライターにとって、こんなに刺激的なことはありません。……会社にいたころは、書き換えられるたびに、腹が立ったものですけど」
ゼクスは、壁から背中を離した。
「だから、三章では、ルールを変えましょう」
「ルール?」
「あなたは、二度、勇者くんの前で、中ボスとして上手に負けてみせた。一度目は自分の兜を割らせて。二度目は、セレス殿の鎧の中に入って」
ゼクスは、一歩、俺に近づく。
片眼鏡に燭台の火が映って、その奥の目は見えなかった。
「では、三章のボスが、"負けられない"としたら?」
――負けられない。
「ガルム殿は、原作では、負けを認めて去っていく。あの方は、誇り高い獣王ですから。でも、もし、ガルム殿が、負けを認められない体になっていたら? 負けそうになった瞬間に、理性を失って、勇者くんを殺すまで止まらない獣になっていたら?」
腰の革袋に、しまわれた小瓶。
赤黒い液体と、三本の線。
「あなたは、どうやって、勇者くんに勝たせますか。中ボスが、負けてくれないのに」
ゼクスは、俺の肩をぽんと叩いた。
一度目の葬式のときと、同じように。
「楽しみにしていますよ。……三章の、あなたのデバッグを」
足音が、廊下の向こうへ遠ざかっていった。
俺は、その場に立ち尽くしていた。
懐の伝声貝が、かすかに震える。
耳に当てると、聞き覚えのある、冷たい声が聞こえてきた。
『――聞こえる?』
セレスだった。
ギギの持っていた対の貝を、預けておいたのだ。
『リュシーが、寝る前に、あなたにお礼を言いたいって。代わるわね』
少しの間があって、小さな声が聞こえてきた。
『……あったかい人、おやすみなさい』
ぷつり、と貝の光が消えた。
廊下の燭台の火が、静かに揺れている。
(……三章は、楽な章やない)
大広間から、ガルムの雄叫びと、配下たちの歓声が聞こえてくる。
次の戦いを前に、獣王の軍勢が盛り上がっている。
あの獅子が、腰に下げた小瓶を、いつ開けることになるのか。
開けさせないためには、どうすればいいのか。
俺は、廊下を歩き出した。
負けてくれない中ボスを、どうやって負けさせるか。
――デバッガーの仕事は、まだ、終わらない。
(第2章 氷の魔将 完)




