第31話 雪の結晶
隠し扉の氷の山を掘り返すのに、日暮れまでかかった。
魔力が、ほとんど残っていなかった。
大剣で氷を砕こうとしても、腕に力が入らない。結局、素手で一つずつ破片をどけていった。
地上に這い出したときには、神殿にはもう誰もいなかった。
リオたちは、トウヒの村へ戻ったのだろう。
霧が晴れて、白い石の柱が夕日に赤く染まっていた。北側の三本目は折れたまま。巨人の倒れた跡には、氷の破片が小山のように積もっている。
その小山の前に、足跡が残っていた。
小さな足跡だった。
氷の破片の山をぐるりと一周して、何かを探すように行ったり来たりしている。
(……リオか)
足跡は、山の北側のある一点で止まっていた。
そこだけ、氷の破片が手で掘り返されている。
掘り返された跡を、覗き込む。
氷の破片の中に、黒いものがわずかに混じっていた。
黒い、金属の削りかす。
巨人の空洞の中で、俺の鎧が氷の内壁にこすれたときにできたものだ。
ほんの、爪の先ほどの大きさの。
削りかすが、いくつか、なくなっていた。
誰かが、拾っていったように。
――兜のかけらと、同じ黒だ。
リオは廃砦の帰り道で拾った兜のかけらを、今もずっと持ち歩いている。
それと、見比べたのだろうか。
(……あの子、ほんまに目がいい)
俺は、掘り返された跡を見つめていた。
***
ボツは、神殿から少し離れた針葉樹の森で待っていた。
近づくと、ボツの腹の陰から小さな影が二つ、飛び出してくる。
「ヴァルガス様ぁっ!」
ギギだった。
雪の上を、転がるように駆けてくる。
「ご、ご無事で……! 氷の山に埋もれたまま、お出にならないので、ギギは、ギギはもう……!」
「生きている」
「は、はい……! はいっ……!」
ギギは俺の足にしがみついて、おいおいと泣き出した。
その後ろから、銀色の髪の少女がゆっくりと歩いてくる。
リュシーだ。セレスの外套を肩からかけて、その裾を雪の上に引きずっている。
リュシーは、俺の前で足を止めた。
しばらく、俺の顔を見上げていた。黒鎧の、兜のない顔を。
「……あったかい人」
ぽつりと、そう言った。
氷の柱から出たときに、腕の中で呟いた言葉だ。
「あったかくはない。鎧は冷たい」
「でも、あったかかった」
リュシーは首をかしげ、それから、セレスにそっくりな青い目で俺を見た。
「助けてくれて、ありがとう」
俺は、懐に手を入れた。
冷たい銀の感触を、指先で確かめる。
雪の結晶の、髪飾り。
ブランシュのあと、セレスに託された。
決戦の前夜、返してと言われて、返さなかった。本人に、直接返すと言って。
「……これは、お前のだろう」
髪飾りを差し出すと、リュシーの目が大きく見開かれた。
「……お守り」
小さな両手で、髪飾りを受け取る。
ぎゅっと、胸に抱きしめた。
「お姉ちゃんが、くれたの。いつでも、私を見つけられるようにって」
――私が、いつでもあなたを見つけられるように。この結晶の形は、私にしか作れないから。
トウヒの村の氷の壁に、その形が浮かんでいた。
リオはその形を見て、氷の魔将が村を守ったのだと気づいた。
見つけられたのは、妹だけではない。
「リュシー」
森の奥から、声がした。
針葉樹の陰から、銀色の髪の女が現れる。
外套を妹に貸したせいで、薄い衣一枚だけの姿だった。それでも、氷の一族は寒そうな顔ひとつしない。
セレスは、リュシーの前に膝をついた。
妹の手の中の髪飾りを、そっと取り上げる。
「……結ってあげる」
リュシーの銀色の髪を、指で梳いた。
不器用な手つきで、髪を一房すくい上げて、髪飾りで留める。
左右の高さが、少し違う。
「……お姉ちゃん、下手くそ」
「知ってるわ」
リュシーが、セレスの首に抱きついた。
セレスは妹を抱きしめたまま、しばらく動かなかった。
――ごめんね、リュシー。
原作で、セレスが最期に呟いた台詞。
ゼクスが書いた、たぶん、いい台詞。
この世界のセレスは、その台詞を一度も口にしなかった。
ギギが、俺の足元でまだ泣いていた。
ボツが、のっぺりした尻尾で、ギギの背中をそっと撫でている。
***
日が完全に沈んでから、セレスが俺の隣に来た。
森の外れの、倒木に腰を下ろす。
リュシーは、ボツの腹の陰でギギと並んで眠っていた。ギギの帳面を枕にして。
「……肋骨は?」
「今回は、無事だ。魔力が空っぽなだけだ」
「転ばなかったのね。鎧の中で」
「転ばなかった」
「北に倒れたのは、わざと?」
「鐘楼の下に、隠し扉があったからな」
セレスは、ふっと笑った。
「最初から最後まで、全部、計算していたのね。……夢で見た、とか言って」
「……」
「信じないって、言ったのに」
セレスは、夜空を見上げる。
「結局、全部、あなたの言うとおりになったわ。鐘が鳴って、リュシーが無事で、勇者は生きていて。私は、生きていて」
声が、少しだけ揺れた。
「私は、死んだことになるのね」
「ああ。氷の魔将セレスは、白霧の神殿で、勇者に討たれた。……公式には」
俺と、同じだ。
死んだことになって、どこへでも行ける。誰にも、警戒されずに。
「死人が、二人になったわね」
「……そうだな」
「ゼクスは、気づくわよ」
「気づいている。地下で、顔を合わせた」
セレスが、こちらを見た。
「今日は、私の負けにしておきます。……そう言っていた。物語は、まだ序盤だとも」
「……あの男、本当に、この世界をお話だと思っているのね」
「ああ」
「あなたも?」
まっすぐな問い。
俺は、少し考えた。
前世の俺にとって、この世界は、画面の中のデータだった。
当たり判定と、撃破判定と、没になった座標。テストの報告書に、数字で書き込むものだった。
でも、今は。
鐘楼の上で手を振った子供の声。
ボルドの膝を踏んで、空へ跳んだ少年の影。
下手くそに結われた、左右の高さが違う髪。
「……思っていない」
俺は、それだけ答えた。
セレスは、それ以上何も聞かずに、俺の肩に少しだけ頭をもたせかけた。
氷の一族の頭は、思っていたよりもずっと温かかった。




