第3話 自分の葬式に出る中ボス
やらかした。
岩喰いのトロルを斬ったところまでは、よかったのだ。
問題は、斬ったあとにあった。
(兜のかけら、大剣の溝に挟まってたんかい……)
林の奥、三百歩ほど離れた岩陰で、俺は頭を抱えていた。
ヴァルガスの大剣には、原作で一度も使われなかった技がある。剣を振った軌跡そのものを遠くまで飛ばす斬撃で、開発中の名前は「黒閃」。強すぎて調整を諦められ、データだけが残った没技だ。
デバッガーだった俺は、その没技のテストを二百回はやらされている。だから体が覚えていて、振ったら、そのまま出た。
トロルは真っ二つになり、リオは無傷。そこまでは完璧だった。
なのに斬撃と一緒に、割れた兜のかけらまで飛んでいった。よりによって、勇者の目の前に。
「……先生?」
風に乗って、リオの呟きが聞こえてきた。
(先生ってなんや。やめろ。それは仕様にない)
中ボスが勇者に「先生」と呼ばれるルートなんて、テスト項目のどこにもない。
俺はかけらの回収を諦めて、静かにその場を離れた。
***
トロルの残骸は、リオが立ち去ったあとで確かめた。
首の後ろに、焼き印のような紋様が刻まれている。
魔物を遠くから呼び出して操るための、召喚印だ。原作では、魔王軍の参謀だけが使う術だった。
しかも、この形には見覚えがあった。
開発中に一度だけ使われていた仮のデザインで、正式版ではまったく別の形に描き直されているはずのものだ。
(……正式版で消えたデザインを、知ってるやつがおる)
嫌な汗が、背中を伝った。
ともかく、魔王城に戻らなければならない。
死んだはずの中ボスが行方不明のままなら、魔王軍は必ず調べる。調べられれば、没座標のことも転移の札の仕掛けも、いずれ見つかってしまう。
それに、これから勇者の前に立つ魔将たちの動きを、近くで見張っておく必要もある。
転移の札は、残り一枚。
俺はそれを、魔王城の大広間の座標に合わせて握り潰した。
***
大広間は、黒い布で埋め尽くされていた。
正面には、黒いリボンをかけた俺の肖像画が飾られている。
その前にずらりと並んだ配下の魔物たちが、すすり泣いていた。
「ヴァルガス様ぁ……」
「あんなに怖かったのに……あんなに怖かったのに……!」
「毎朝の素振り千回、もうやらなくていいんですね……」
最後のやつ、ちょっと嬉しそうじゃなかったか。
――葬式だ。
原作にも、チュートリアルが終わったあとに残りの魔将たちが集まる短いムービーがあった。ヴァルガスの死を悼む……というより、魔将たちが「あれは五魔将の恥」と吐き捨てる場面だ。
その葬式のど真ん中に、俺は転移していた。
すすり泣きが、ぴたりと止まった。
百を超える魔物の目が一斉に俺に集まり、肖像画の俺と、ここにいる俺とを見比べている。
(……どうしよう。タイミングを完全に間違えた)
ここで慌てたら負けだ。
ヴァルガスは尊大な魔将で、何が起きても動じない。そういう設定になっている。
「――何を泣いておる」
俺は胸を張った。
「死んだふりも、魔将の嗜みよ」
沈黙が落ちた。誰かが、ごくりと唾を飲む音がした。
「さ、さすがヴァルガス様……!」
「死すら戦術のうち……!」
「素振り、明日から再開ですね……」
最後のやつ、ちょっと悲しそうじゃなかったか。
「――ふざけるな」
低い声とともに、床が軋んだ。
玉座の脇に並んだ五魔将の席から、獅子の頭に熊のような体をした巨体が立ち上がる。
五魔将の三番手、獣王ガルム。原作では、南の砂漠の国で勇者を待ち受けるボスだ。
「勇者に兜を割られておきながら、のこのこ戻ってくるとはな。貴様、本物のヴァルガスか? それとも、死体の鎧を被った偽物か?」
言い終わるより早く、ガルムの拳が飛んできた。
速い。だが――。
(右に流れてる)
体が、勝手に動いた。
籠手の甲で、拳の側面を軽く払う。力は要らない。軌道を指一本分ずらすだけでいい。
ガルムの拳は俺の頬の横をすり抜けて、背後の柱に突き刺さった。
石の柱が、根元から砕け散る。
「貴様の拳は、打つ瞬間に右肩が開く。だから右に流れる」
……言ってから、しまったと思った。
勇者のときの癖が、まだ抜けていない。
ガルムは拳を柱に埋めたまま固まり、獅子の目をまん丸に見開いていた。
「…………なぜ、それを知っている」
「見れば分かる」
「我が師以外に、それを指摘されたのは初めてだ」
知らんがな。
ガルムの戦闘モーションなら三百回は見ているし、当たり判定のずれを報告したのも俺だ。
大広間が、さっきとは違う種類の沈黙に包まれた。
配下たちが、ひそひそと囁き合っている。
「ガルム様の拳を、籠手一枚で……」
「死の淵から戻られて、さらにお強くなられたのでは……?」
「素振り、二千回に増えるんじゃ……」
増やさへんから、安心してくれ。
「――ヴァルガス」
氷のように澄んだ声が、ざわめきを断ち切った。
五魔将の二番手、氷のセレス。
銀の髪に青白い肌をした、原作では、北の雪の国で勇者に倒される魔将だ。
彼女は席に座ったまま、俺を見ていた。
いや、見ているのは顔ではない。首元のあたりを、じっと見つめている。
「兜は、どこへやったの」
「割れたのでな。捨ててきた」
「そう」
セレスはそれきり、目を伏せた。
納得したようには、見えなかった。
(……雪の国のボス、勘が鋭すぎひんか?)
伏せられた銀の睫毛を見ながら、俺は原作の、雪の国の筋書きを思い出していた。
セレスは国境の雪原で勇者と戦い、最後は自分の氷に呑まれて砕け散る。五魔将の中で唯一、勇者が「助けられなかった」と泣く相手だ。
しかも今のリオの腕前では、原作どおりに戦えば、砕けるのはセレスではなくリオのほうになる。
勝たせれば、セレスが死ぬ。
原作どおりに戦わせれば、勇者が死ぬ。
(……なら、俺が化けて出るしかないか)
氷の魔将の、替え玉。もちろん、そんなルートもテスト項目にはなかった。
そのとき、玉座の奥から乾いた拍手が聞こえた。ぱち、ぱち、と。
魔王の座る帳の前に、いつの間にか細身の男が立っている。
「いやあ、見事な生還劇でした」
黒い礼服に片眼鏡をかけ、柔和な笑みを浮かべた男。
魔王軍の参謀、ゼクス。原作では、最後まで本心を見せない男だ。
ゼクスは俺の前まで歩いてくると、旧友を迎えるように肩へ手を置いた。
そして、周りには聞こえない声で囁いた。
「おかしいですね。原作では、ヴァルガス殿はここで退場のはずですが」
背筋が、凍った。
――原作。
この世界の誰も、知らないはずの言葉だ。
「チュートリアルの道にトロルを置いたのは、私です」
ゼクスは笑みを崩さない。片眼鏡の奥の目だけが、少しも笑っていなかった。
「勇者くんには、次の街で死んでもらう予定なんです。……邪魔、しないでくださいね? 同じ"知っている側"同士、仲良くやりましょう」
肩から手が離れ、ゼクスは何事もなかったように自分の席へ戻っていった。
俺はまだ、胸を張ったまま立っている。
ヴァルガスは尊大な魔将で、何が起きても動じない。そういう設定になっている。
(……決めた)
残る魔将は四人。勇者があいつらに勝たなければ、封印は解けず、世界は終わる。
だから俺は、勇者の前に立つ魔将たちが、ちゃんと負けられるようにする。必要なら、俺が代わりに負けてやる。何度でも。
そして、勇者を殺そうとするやつは――。
(全部、ちゃんと潰す)
黒いリボンの下で、肖像画の俺が、少しだけ笑ったように見えた。




