第27話 決戦前夜
「――見つけたでございます!」
伝声貝の向こうで、ギギが押し殺した声で叫んだ。
決戦の前夜。
俺はボツと一緒に、神殿から少し離れた雪山の岩陰に身を潜めていた。
『神殿の、北側の鐘楼の、真下でございます! 鐘楼の土台の石の一つが、隠し扉になっておりまして、そこから階段が、ずっと下へ……! その奥に、氷の柱がございました! 中に、銀色の髪の、小さな女の子が……!』
「無事か」
『ご無事でございます! 目を開けて、こちらを見ておられました!』
息を、長く吐いた。
ギギに偵察を頼んだのは、昨日のことだ。
ゴブリンは体が小さく、気配も薄い。結界の隙間を潜り抜けるのは、魔将よりずっと得意だ。
『ただ、その……首の後ろに、何か、紋様のようなものが』
「三本の線か」
『は、はい! 三本、並んでおりました!』
(凍結の呪印……設定資料の、没ページのやつや)
ゼクスの開発中のデザインには、必ず描き損じの隙間がある。
三本の楔のうち、真ん中の一本だけ、ほかの二本とほんの少し太さが違っていた。テストで見たとき、デザイナーに「これ、わざとですか」と聞いたら「あ、直し忘れ」と言われた。
その一本だけを、正確に断ち切れば。
呪印は、目を覚ます前に崩れる。
『それと、ヴァルガス様。ギギは、その……つい、女の子に、手紙を』
「手紙?」
『明日、助けに来ます、と。お姉さまはご無事です、と。……勝手なことをして、申し訳ございません!』
伝声貝の向こうで、ギギがたぶん頭を下げていた。
「……いや」
氷の中で、一人で、明日を待っている子供だ。
その子に、明日があると伝えたのなら。
「よくやった、ギギ」
『……ひっ』
ギギが、変な声を上げた。
『ヴァルガス様に、お褒めの言葉を……! ギギは、ギギは……!』
「声が大きい」
『し、失礼いたしました……!』
***
夜が更けてから、俺は一人で神殿へ向かった。
霧の中に、二十四本の柱が白く浮かんでいる。
北側の三本目の柱は、俺がひっくり返ったときに折れたまま、雪に半分埋もれていた。
神殿の真ん中に、セレスが立っていた。
月の光を浴びて、目を閉じている。
両手を胸の前で組んで、祈るように。
足音を立てずに近づいたつもりだったが、セレスは目を閉じたまま言った。
「来ると思ったわ」
「……祈っていたのか」
「母が、戦いの前に、いつもこうしていたの。何に祈っていたのかは、知らないけれど」
セレスは、目を開けた。
青い目が、霧の中で静かに光る。
「止めに来たの?」
「いや」
俺は、セレスの三歩手前で足を止めた。
「一つだけ、伝えに来た」
セレスが、首をかしげる。
「明日、お前は本気で戦え」
セレスの目が、わずかに見開かれた。
「手加減するな。勇者を殺す気で戦え。そうでなければ、ゼクスに見抜かれる」
「……あなた、自分が何を言っているか、分かっているの?」
「分かっている」
「私が本気で戦えば、勇者は死ぬわ」
「死なない」
即答。
「あの小僧には、氷の槍の避け方を教えた。雪の上での足の運び方も。それに、あいつは、戦う理由を持っている」
「戦う理由?」
「お前の妹を、助けると言った」
セレスの顔から、表情が消えた。
「……勇者が?」
「妹のことは、俺が話した。お前に殺されるかもしれない理由を、知っておくべきだと思った」
「勝手なことを……!」
「あいつは、こう言った。なら、助けます、と。殺したいわけじゃない、と。村を守ってくれた人かもしれないなら、なおさら、と」
セレスは、唇を噛んだ。
霧の中で、彼女の周りの空気がぴりぴりと凍りついていく。
「……私は、勇者を殺すつもりなのよ」
「知っている」
「そんな相手を、助けるなんて」
「だから、あいつは勇者なんだろう」
霧が、二人のあいだを流れていった。
「もう一つ」
俺は、神殿の北側を指さした。
古い鐘楼が、霧の向こうにぼんやりと影を落としている。
「明日、あの鐘が一度だけ鳴ったら、妹は無事だ」
セレスが、鐘楼を見上げた。
「鳴ったら、第二形態に入れ。前に練習したとおりに。背中の扉を開けて、俺と入れ替われ」
「……鳴らなかったら?」
「鳴らす」
セレスは長いあいだ、鐘楼を見上げていた。
「……信じないわよ」
小さな声。
「あなたのことは、信じない。勇者のことも。私は、明日、勇者を殺しに行く。鐘が鳴っても、鳴らなくても」
セレスは、こちらを向かなかった。
俺は、懐から雪の結晶の髪飾りを取り出した。
月の光が銀の結晶に反射して、小さく光る。
「これは、明日まで預かっておく」
セレスの肩が、ぴくりと動いた。
でも、それだけだった。手も、差し出さない。
――返して、とは、言わなかった。
俺は、髪飾りを懐に戻して、背を向ける。
神殿の端まで歩いたところで、背後からセレスの声が聞こえた。
霧に溶けそうなくらい、小さな声で。
「……転ばないでよ。鎧の中で」
振り返ると、セレスはもう目を閉じて、また祈りの姿勢に戻っていた。
(……信じないんやなかったんか)
俺は何も言わずに、霧の中を歩き出した。
***
夜明け前、トウヒの村の宿の窓から灯りが一つ、漏れている。
ボツの背中から、上空を通り過ぎながら、ちらりと見下ろす。
窓の向こうで、金髪の少年が聖剣を膝の上に置いて座っていた。
眠っていない。じっと、剣を見つめている。
その隣で、白い法衣の少女が毛布にくるまって、こくりこくりと船を漕いでいた。
部屋の隅では、大柄な男が壁にもたれて、斧を抱いたまま目を閉じている。眠っているのか、起きているのか分からない。
三人とも、同じ部屋にいた。
一人で眠れなかったのかもしれない。
(……明日、全員、生きて帰すぞ)
ボツが、小さく喉を鳴らした。
東の空が、少しずつ白み始めていた。




