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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第2章 氷の魔将

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第26話 【リュシー視点】氷の中の妹

 寒くは、なかった。


 それが、いちばん怖かった。


 私は、氷の一族の子だ。

 生まれたときから雪の中で眠って、氷柱をかじって育った。寒さで震えたことなんて、一度もない。


 なのに、この氷の中は寒くない。

 冷たいのに、寒くない。まるで、体の中の何かが少しずつ、氷に吸い取られていくみたいに。


 ――首の後ろが、痛い。


 ここに閉じ込められる前、あの片眼鏡の男に首の後ろを指で触られた。

 焼けるような痛みが走って、そのあと、そこに何かが刻まれた。三本の線のような、紋様のようなものが。


 それから、ずっと痛い。

 痛みが強くなると、手足の先が少しずつ動かなくなっていく。


***


 お姉ちゃんのことを、考える。


 氷の中で、ほかにできることはない。

 目は開いている。でも、見えるのは青白い氷の壁と、その向こうのぼんやりした暗闇だけ。


 お姉ちゃんは、怒ると怖い。

 でも、本当は、すごく優しい。


 私が小さいころ、お母さんがいなくなった。

 お姉ちゃんは、それから毎朝、私の髪を結ってくれた。下手くそで、いつも左右の高さが違ったけど。


 十歳の誕生日に、お姉ちゃんは雪の結晶の髪飾りをくれた。

 お姉ちゃんが自分の氷で一晩かけて形を作って、それを銀の職人さんに頼んで、本物の銀にしてもらったんだって。


 ――リュシー。これは、お守りよ。

 ――お守り?

 ――私が、いつでもあなたを見つけられるように。この結晶の形は、私にしか作れないから。


 あの髪飾りは、あの男に取られた。

 氷に閉じ込められる前に、髪から乱暴に引き抜かれた。


 お姉ちゃんは、私を見つけられるだろうか。


***


 足音が、聞こえた。こつ、こつ、と硬い床を歩く音。

 氷の壁の向こうの暗闇に、ぼんやりと灯りが近づいてくる。


 片眼鏡が灯りを反射して、きらりと光った。


「やあ、リュシーさん。ご機嫌いかがですか」


 あの男だった。黒い服を着て、いつもにこにこしている男。


「ああ、返事はしなくていいですよ。氷の中では、話せませんからね」


 男は氷の壁の前に椅子を引いてきて、腰を下ろした。

 まるで、お芝居でも観に来たみたいに。


「明日の正午、あなたのお姉さんが、勇者くんと戦います。この真上で」


 男は、細い指で天井を指さす。


「あなたには、特等席で見ていただこうと思いまして。ほら、ここからなら、お姉さんの声も聞こえるでしょう」


 何を言っているのか、分からなかった。分かりたくなかった。


「本当はね、リュシーさん。あなたのお姉さんは、明日、ここで死ぬ役なんです」


 子供に、寝る前のお話を聞かせるみたいな、優しい声。


「勇者くんに負けて、氷の巨人と一緒に砕けて、最期に、あなたの名前を呼ぶ。『ごめんね、リュシー』って。……いい台詞でしょう? 私が書いたんですよ」


 男は、胸に手を当てた。


「でも、今回は、少し筋書きを変えてあげました。お姉さんが勇者くんを殺せば、あなたは助かる。殺せなければ、あなたが死ぬ。……どちらに転んでも、お姉さんは、あなたの名前を呼ぶことになりますね」


 首の後ろが、焼けるように痛んだ。


 男が、懐から何かを取り出した。

 小さな水晶の玉だった。中で、三本の線のような光がゆっくりと明滅している。


 ――私の首に刻まれたのと、同じ形。


「この玉を握りつぶせば、あなたの首の呪印が、目を覚まします。あなたは、内側から凍りついて、そのまま、美しい氷像になる」


 男は、水晶の玉を指先でくるくると回した。


「明日、勇者くんが生き残ったら、私はこれを握りつぶします。……お姉さんが、どちらを選ぶか。楽しみですね」


 男は、椅子から立ち上がった。

 灯りが、遠ざかっていく。足音が、こつ、こつと小さくなっていく。


 また、暗闇だけが残った。


***


 泣きたかった。でも、氷の中では、涙も出ない。


 お姉ちゃん。

 お姉ちゃん、来ないで。


 勇者を殺したら、お姉ちゃんはもう、村を守る魔女じゃなくなる。

 勇者を殺さなかったら、私が死ぬ。そしたら、お姉ちゃんは一生、自分を許さない。


 どっちも、嫌だ。


 首の後ろが、痛い。手の指の先が、もうほとんど動かない。


 ――そのとき、だった。


 暗闇の向こうで、何かがかさりと動いた。


 足音ではなかった。もっと小さくて、もっと軽い、何かが這うような音。


 氷の壁の、すぐ外側に。

 小さな影が、ぺたりと張りついた。


 灯りは、ない。でも、氷の一族の目は、暗闇でも少しだけ見える。


 丸い、眼鏡が見えた。鼻の先までずり落ちた、丸眼鏡。

 その奥で、緑色の小さな目が、ぱちぱちとまばたきをしていた。


 ――ゴブリン?


 小さなゴブリンが氷の壁に顔をくっつけて、こちらを覗き込んでいた。

 鼻の頭が氷に押しつけられて、ぺちゃんこになっている。


 ゴブリンは私と目が合うと、びくりと飛び上がった。

 慌てたように、口元に人差し指を当てた。


 しーっ。


 懐から帳面を取り出して、羽ペンで何かを書き始めた。

 震える手で、一文字ずつ、ゆっくりと。


 書き終えると、ゴブリンは帳面を氷の壁に押し当てた。


 下手くそな字だった。お姉ちゃんの髪の結い方みたいに、左右の高さが、ばらばらな字。


『あした たすけに きます

 おねえさまは ぶじです

 ぎぎ』


 ――ぎぎ。


 それが、名前なのだろうか。


 ゴブリンは帳面をしまうと、もう一度しーっと人差し指を口に当てた。小さな体を丸めて、暗闇の向こうへころころと転がるように消えていった。


 氷の中で、私はずっと、その字を思い浮かべていた。


 あした、たすけに、きます。


 首の後ろは、まだ痛かった。

 でも、指の先がほんの少しだけ、温かくなった気がした。


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