第24話 決戦の招待状
魔王軍の正式な命令は、その夜のうちに届いた。
トウヒの村の外れの森で、ボツの腹にもたれていたとき、懐の伝声貝が震えた。
いつもより、ずっと低いギギの声。
『ヴァルガス様。玉座の間で、先ほど、決定がございました』
「言え」
『氷のセレス様に、勇者討伐の正式なご命令が下りました。決戦は、三日後の正午。場所は、白霧の神殿』
三日後。
ゼクスの手紙にあった、「決戦の日」だ。
『それと……』
ギギが、言いよどんだ。
『参謀殿が、玉座の間で、こう申されました。トウヒの村の雪崩は、自分が起こしたものだ、と。勇者の足止めのために。ところが、何者かが氷の壁を立てて、村を守ってしまった――と』
息が、止まった。
『参謀殿は、魔王様の前で、セレス様のほうを見て、にこにこしておられました。「村を守った氷の壁には、雪の結晶の紋が浮かんでいたそうですよ」と』
(……試されとったんか)
雪崩は、勇者の足止めのためではない。
セレスが勇者を守るかどうかを、確かめるためだったのだ。
そしてセレスは、守ってしまった。
『セレス様は、何もおっしゃいませんでした。ただ、ご命令を、お受けになりました』
「……分かった」
『ヴァルガス様。あの、セレス様は、大丈夫でしょうか。玉座の間を出るとき、お顔が、真っ白で……もともと白い方ですが、それ以上に……』
ギギの声が、震えている。
「ギギ」
『は、はいっ』
「お前、空を飛ぶのは怖いか」
『……は?』
***
セレスが森に現れたのは、真夜中だった。
月明かりの中、針葉樹の間を銀色の髪の女が、音もなく歩いてくる。
足元の雪が、彼女の歩いたあとだけ、薄く凍っていた。
「……ここにいると思ったわ」
セレスは、ボツの前で足を止めた。
ボツが、小さく喉を鳴らす。セレスは、その鼻先に、そっと手を触れた。
「命令は、聞いた」
俺が言うと、セレスはうなずいた。
何か言いかけて、それからふいに森の奥を振り返る。
こつ、こつ、と靴音が近づいてくる。
雪の森には、似合わない音だ。硬い革の靴底が、凍った根を踏んでいく。
ボツが、低く唸り声を上げた。
「――こんばんは。夜分に、失礼します」
針葉樹のあいだから、黒い礼服の男が現れた。
片眼鏡が、月明かりを白く跳ね返している。
ゼクスだった。
(……さっきまで、玉座の間でにこにこしとったんちゃうんか)
「お二人とも、お揃いでよかった。招待状は、手紙にするより、直接お渡ししたほうが確実ですからね」
俺は、大剣の柄に手をかけた。
ゼクスは、それを見ても足を止めない。
「どうぞ、斬ってください。……ただ、そのときは、妹さんの居場所を知る者が、一人もいなくなりますが」
柄を握った指が、止まる。
ゼクスは、俺の三歩手前で立ち止まり、セレスのほうへ向き直った。
「トウヒの村の件、拝見しました。お優しいですね、セレス殿。勇者くんを、守ってしまうなんて」
「……」
「ですから、はっきり申し上げておきます」
ゼクスは穏やかに笑ったまま、続ける。
「三日後、勇者くんが死ねば、妹さんは生きたままお返しします。勇者くんが生き残れば、妹さんは、そのまま氷像になります。……あなたの氷よりも、ずっと美しい氷像に」
セレスの足元で、雪が、ぱきりと鳴った。
白い冷気が、指先から噴き上がる。踏みしめた雪が、一瞬で、青い氷に変わっていく。
ゼクスは、その氷の縁から、半歩だけ下がった。
怯えた様子は、少しもない。
「妹さんは、神殿の地下で、お姉さんの戦いを見守っていますよ。……では、三日後に。いい山場にしましょう」
礼服の背中が、こちらを向く。
去りぎわに、ゼクスは一度だけ、俺を振り返った。
「今回は、楽しい仕様の穴は、ありませんよ」
靴音が、森の奥へ遠ざかっていく。
やがて、それも聞こえなくなった。
命令と同じ夜に、本人が来た。
手紙では、こちらに考える間を与えてしまう。だから、自分の口で言いに来たのだろう。逃げ道を、すべて塞ぐために。
「……計画は、中止よ」
セレスの声は、静かだった。
その目は、俺のほうを見ていなかった。
月を見上げている。
「私は、勇者を殺す」
「セレス」
「あなたが鎧に入る必要は、もうないわ。第二形態にもならない。第一形態のまま、私が勇者を殺す。それで、リュシーは帰ってくる」
「ゼクスが、約束を守ると思うのか」
「思わないわ」
即答。
「でも、守らないと決まったわけでもない。……守らなかったら、そのときは、ゼクスを殺す。私の命と引き換えにしてでも」
セレスは、ようやく俺を見た。
「あなたの計画は、リュシーが無事なことが前提だった。でも、リュシーは見つからなかった。神殿の地下のどこにいるのかも分からない。決戦のあいだに探せば、間に合わないかもしれない」
「……」
「勇者が生き残れば、リュシーは死ぬ。それだけは、確かなの」
俺は、何も言い返せなかった。
セレスの言うことは、正しい。
計画の前提が、崩れている。バグの報告書なら、「再現性あり、致命的」と書くところだ。
「あの子は、まだ十二歳なの」
セレスの声が、初めて揺れた。
「母が死んだとき、あの子は三歳だった。母の顔も、ほとんど覚えていない」
外套の下で、セレスの手が、固く握りしめられていた。
「それから百年、私が、あの子の髪を結ってきたの。……百年かけて、やっと十二。氷の作り方も、全部、私が教えた」
「あの子の名前を呼びながら死ぬのは、嫌。……でも、あの子が死ぬのは、もっと嫌」
原作の、セレスの最期の台詞。
ごめんね、リュシー。
この女は、その台詞を言わないために、勇者を殺そうとしている。
セレスは、俺の前に手を差し出した。
「髪飾り、返して」
ブランシュのあと、魔王城の廊下で彼女が俺に託した、雪の結晶の髪飾り。
妹を取り返すのを、手伝って。そう言って。
「もう、手伝ってもらう必要はないから」
月明かりの中で、差し出されたセレスの手のひらが、かすかに震えていた。
俺は、懐に手を入れた。
冷たい銀の感触が、指先に触れる。
――返すべきなのかもしれない。
計画は崩れた。この女は、自分で決めた。中ボスの俺に、二章のボスの選択を止める権利はない。
でも。
(……仕様にないルートは、もう慣れたって、言うたやろ、俺)
俺は、髪飾りを懐から出さなかった。
「返さん」
セレスの目が、見開かれる。
「これは、リュシーに返す。本人に、直接」
「……ヴァルガス」
「計画は、作り直す。三日ある。三日あれば、バグの一つや二つは直せる」
セレスは、差し出した手を、ゆっくりと下ろした。
「……勝手にすればいいわ」
背を向ける。
銀色の髪が、月明かりの中で揺れた。
「でも、私は止まらない。三日後、私は勇者を殺しに行く。あなたが何をしようと」
足音が、森の奥へ遠ざかっていく。
ボツが、心配そうに、俺の背中に鼻先を押しつけてきた。
「……大丈夫や」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。




