第23話 吹雪の村
リオたちがトウヒの村に着いたのは、王都を発った翌日の昼過ぎだった。
国境の手前、雪山の斜面にへばりつくようにして二十軒ほどの家が並んでいる。
村の名前の由来になった針葉樹の森が、家々の背後に黒い壁のように迫っていた。
俺はボツの背中から、雲の切れ間を通して村を見下ろしていた。
リオたちはこの村の宿を拠点にして、白霧の神殿の様子を探るつもりらしい。
決戦の日取りは、まだ決まっていない。
そして、セレスは今ごろ魔王城で、魔王軍からの正式な命令を待っているはずだ。
――廃坑から戻った夜、セレスは一言も話さなかった。
翌朝、魔王城へ戻ると言って一人で去っていった。妹の件は、自分で考えると。
(考えて、どうするつもりなんやろな)
答えは、まだ聞いていない。
空気が、急に重くなった。
ボツが、低く唸り声を上げる。金色の目が、村の背後の雪山を睨んでいた。
雪山の斜面の上のほうで、白い煙のようなものがゆっくりと膨らみ始めていた。
(――雪崩や)
***
原作に、トウヒの村の雪崩はない。
この村は、二章の途中で立ち寄るだけの回復ポイントだった。
なのに今、雪山の斜面が目の前で崩れ始めている。
自然の雪崩か。
それとも、ゼクスの仕掛けか。
考えている暇はなかった。
白い煙は、みるみるうちに斜面いっぱいに広がっていく。
轟音が、雲の上まで響いてきた。雪の津波が、針葉樹の森をなぎ倒しながら村へ向かって駆け下りてくる。
村の中で、悲鳴が上がった。
宿の扉が開いて、三つの人影が飛び出してくるのが見えた。
リオ、ノエル、ボルド。
リオは雪崩を見上げて、一瞬だけ立ち尽くした。
それから、村の奥へ向かって走り出した。逃げ遅れた子供を抱えた母親が、雪に足を取られて転んでいる。
(あいつ、また一人で――!)
「ボツ、降りろ!」
ボツが、翼を畳んで急降下を始めた。
間に合うか。
村の手前で雪崩を止めるには、黒閃で斜面ごと吹き飛ばすしかない。だが、それをすれば雪崩の向きが変わって、隣の谷の集落を巻き込むかもしれない。
迷った、一瞬だった。
村の背後の森の、さらに奥。
雪崩の通り道の真ん中に、何かが立ち上がった。
氷の壁だった。
透き通った、青白い壁。
村の幅いっぱいに、地面から天へ向かってそびえ立っている。
雪崩が、壁にぶつかった。
轟音が、空を揺らした。
雪の津波が壁に押し返され、左右に割れて、村の両脇の谷へと流れ落ちていく。
村には、雪のひとかけらも届かなかった。
ボツの背中で、俺は息を止めていた。
あの氷の色を、俺は知っている。
神殿の雪原で俺を包んで、俺を転ばせて、俺を笑った氷だ。
(……セレス)
魔王城にいるはずの女が、ここにいる。
壁の根元に目を凝らす。
森の陰に一瞬だけ銀色の髪が見えた気がしたが、次の瞬間には、もう霧のように消えていた。
***
ボツを森の陰に降ろして、俺は黒騎士の姿で村へ入った。
村の真ん中の広場に集まった人々は、誰もが村の背後にそびえる氷の壁を、呆然と見上げている。
「魔女様だ……」
腰の曲がった老人が、震える声で言った。
「氷の魔女様が、また、守ってくださった……」
周りの村人たちも、口々に呟き始める。
手を合わせて、壁に向かって祈る者もいた。
リオが、広場の端に立っていた。
子供を抱えた母親をノエルに預けて、一人で壁を見上げている。
俺に気づいて、リオが振り返った。
「先生……! 見ましたか、今の!」
「……ああ」
「誰が、守ってくれたんでしょう。氷の魔女って、村の人たちは言ってますけど」
リオは、もう一度壁を見上げる。
「僕、行ってきます。お礼を言いたいから」
「待て、小僧」
止める間もなく、リオは村の背後の斜面を駆け上がっていき、俺も仕方なく後を追った。
氷の壁は、近くで見るとさらに大きかった。
家の屋根の三倍はある。
表面は鏡のように滑らかで、雪崩を受け止めた側には、ひびひとつ入っていない。
リオは壁の根元に立って、きょろきょろとあたりを見回していた。
「誰も、いない……」
当たり前だ。
セレスは、もうとっくに消えている。
「お礼、言えなかったな」
リオは少しだけ肩を落とし、何気なく壁の表面に手を触れた。
その手が、止まった。
「……先生」
「なんだ」
「これ」
リオが、壁の表面の一点を指さしている。
ちょうど、子供の目の高さくらいの場所。
透き通った氷の中に、小さな模様が封じ込められている。
雪の結晶の、模様だった。
六つの枝を持つ、細かく繊細な結晶の形。
壁を作った者が、無意識のうちに残してしまった、署名のように。
――雪の結晶の、髪飾りと、同じ形をしていた。
「綺麗ですね」
リオが、壁の模様を見つめたまま、呟く。
「ブランシュの地下で会った、氷の魔将……あの人の氷にも、こういう模様が浮かんでた気がするんです」
俺は、答えなかった。
「……まさか、ですよね」
リオは小さく笑ったが、その笑顔はどこか、迷っているように見えた。
「魔将が、村を守るなんて。そんなこと、あるわけ」
言いかけて口を閉じ、リオは壁の模様を指でなぞる。
そして、ぽつりと言った。
「先生。氷の魔将って、悪い人なんでしょうか」
風が、斜面を吹き抜けていった。
氷の壁が、かすかに、きいんと鳴る。
俺は長いあいだ、黙っていた。
「……それは、お前が、自分の目で確かめろ」
それだけ言うのが、精一杯だった。




