第18話 先生ではない
ノルドヴァルの王都は、真っ白だった。
屋根という屋根に雪が積もり、通りの両側には、人の背丈ほどの雪の壁ができている。
吐く息は白く、空気は肺に刺さるほど冷たかった。
練習用の鉄兜に、新しく買い直した灰色のマント。
ブランシュでヒュドラの毒に溶かされたので、二枚目だ。今度のは、裏に毛皮が張ってある。
(防寒は大事。テストで雪山のマップを歩いたとき、操作キャラの息が白くなるエフェクトだけで、なんか寒く感じたもんな)
勇者たちは、三日前にこの王都に着いていた。
ボツで上空から追いかけて、宿の場所までは確かめてある。
今日の目的は、勇者の様子を見ることと、王都で白霧の神殿についての噂を集めること。
それだけだ。
――それだけの、はずだった。
「せんせええええいっ!」
通りの向こうから、聞き覚えのある声が飛んできた。
雪の壁の間を、金髪の少年が一直線に走ってくる。
革の胸当ての上に、毛皮の外套。腰の聖剣が、走るたびに揺れている。
(声がでかい)
王都の通りを歩く人々が、一斉にこちらを見た。
リオは、俺の前で急停止した。
雪の上で、ずざざっと靴が滑る。息を切らしながら、満面の笑みで見上げてくる。
「先生! やっぱり先生だ! ブランシュの丘の上にいたの、先生でしたよね!? いなくなっちゃったから、もう会えないかと思って……!」
「……先生ではない」
「来てくれたんですね、雪の国まで!」
「たまたまだ。傭兵の仕事で」
「傭兵の仕事って、何の仕事ですか?」
「……雪かきだ」
(雪かきて。もうちょっとましな嘘、なかったんか、俺)
「リオ! 一人で走っていかないでって、何回言ったら――」
通りの向こうから、白い法衣の少女と、大きな斧を背負った男が追いかけてきた。
ノエルとボルドだ。
ノエルは息を弾ませながら、リオの襟首をつかんだ。
そこで俺に気づいて、目を丸くした。
「あ……ブランシュの、黒騎士さん」
「……」
「その節は、ありがとうございました。子供たちを、守ってくださって」
ノエルは、丁寧に頭を下げる。
だが、頭を上げたその目は、値踏みするように俺の鉄兜の隙間を見つめていた。
ボルドは、その横で腕を組んだまま、黙っていた。
無言で、俺の足元を見ている。
「紹介します!」
リオが、俺の腕をつかんで、二人の前に引っぱり出した。
「僕の先生です!」
「だから、先生ではない」
「ブランシュで、僕に剣の振り方を教えてくれた人です! それで、ヒュドラを倒すときも――」
「リオ、その話は、もう百回は聞いたわ」
ノエルが、ため息まじりに遮る。
「先生でもなければ、弟子入りも断られた。なのに、リオはずっと先生って呼んでる。……そういうことですよね、黒騎士さん?」
「……そういうことだ」
「でも、先生は先生だよ」
リオは、まったく引かなかった。
誰に似たのか、頑固なところだけは一人前だ。
(村長さんの言うとおりやな)
ボルドが、ようやく口を開いた。
「あんた、名前は」
「……名乗るほどの者ではない」
「そうか」
それだけ言って、ボルドはまた黙った。
納得したのか、していないのか、分からない顔。
***
結局、王都の大通りを、四人で並んで歩くことになる。
断ろうとしたのだが、リオが「宿まで送ります」と言って聞かなかった。
送られる側が逆だと言うと、「じゃあ、先生が送ってください」と言われた。どちらにしても、並んで歩くことに変わりはない。
雪の積もった石畳は、ひどく滑りやすかった。
リオが、三歩に一回、足を取られている。
ノエルはその腕にしがみついて、二人分よろけている。ボルドだけが、さすがに慣れた足取りで黙々と歩いていた。
(……見てられへん)
「小僧」
「はい!」
「雪道は、つま先で歩くな。足の裏全体で、真上から踏め」
「足の裏全体……?」
「重心を、少しだけ後ろへ。剣を振るときとは、逆だ」
リオは言われたとおりに、足の裏をぺたりと雪につけて歩き出した。
一歩、二歩、三歩。
「……滑らない」
「歩幅も、半分にしろ」
「本当だ、全然滑らない! ノエル、やってみて!」
「え、ええ? こう?」
ノエルが、おそるおそる真似をする。
三歩目で、また滑りかけた。
「僧侶。お前は、腰が引けている。怖がると、かえって転ぶ」
「こ、怖がってなんか……!」
「法衣の裾を、片手で持ち上げろ。足元が見えれば、怖くなくなる」
ノエルは、むっとした顔のまま、法衣の裾を持ち上げた。
一歩、二歩、三歩、四歩。
「……滑らない」
ノエルが、悔しそうに呟いた。
俺は、何も言わずに歩き続ける。
内心では、二人の歩き方を採点していた。リオ、七点。ノエル、五点。ボルドは最初から九点だ。
――待て。
俺は今、何をしている。
傭兵の振りをして、勇者たちの様子を見に来ただけのはずだ。
なのに気づけば、勇者パーティの雪道の歩き方を、一人ずつ直している。
(……完全に、引率の先生やんけ)
ボルドが横目でこちらを見て、ふっと鼻を鳴らした。
笑ったのかもしれない。
***
宿の前に着くと、リオが振り返った。
「先生。僕たち、四日後に、王都を出ます」
さっきまでの、はしゃいだ声とは違った。
落ち着いた声。
「王様から、頼まれたんです。国境の白霧の神殿に、氷の魔将が住みついていて、それを倒してほしいって」
リオは、腰の聖剣の柄を握った。
「聖剣が、教えてくれたんです。第二の封印は、氷の魔将のところにあるって。――だから、行きます」
十五歳の少年が、まっすぐな目で、そう言った。
氷の魔将を倒しに行く、と。
その魔将の中に、誰が入る予定なのかも知らずに。
(……頼もしくなったな)
廃砦で震えていた少年と、同じ人間とは思えない。
「先生も、来てくれますか?」
「……仕事がある」
「雪かき、ですか」
「雪かきだ」
リオは、少しだけ寂しそうに笑った。
それから、深く頭を下げて、宿の中へ入っていく。
ノエルが、最後に一度だけ振り返った。
鉄兜の隙間を、まだ疑うような目で、じっと見つめてから。




