第16話 作戦会議は氷の間で
氷の間は、魔王城でいちばん寒い部屋だった。
壁も床も天井も、青白い氷でできている。
部屋の真ん中に置かれた氷の卓の上に、セレスが一枚の地図を広げた。
「雪の国、ノルドヴァルの地図よ」
羊皮紙ではなく、薄く削った氷の板に、細い線で国の形が刻まれている。
北に雪山、南に針葉樹の森。国境に、小さな建物の印が一つ。
「勇者がここに来るまで、早くて二十日。遅くても一月はかかる」
「白霧の神殿だな」
俺は、国境の印を指でなぞった。
セレスの眉が、わずかに動く。
「……私、まだ神殿の名前を言っていないわよね」
「言っていない」
「なのに、知っているのね」
セレスは、責めるでもなく、ただ確かめるように言った。
もう、隠しても仕方がない。
この女とは、これから一月、同じ計画を進めることになる。中途半端に隠し事をしていたら、どこかで必ず歯車が狂う。
「……少し、長い話になる」
「構わないわ。時間はあるもの」
俺は、話した。
前世のことは伏せ、ゲームという言葉も使わなかった。
代わりに、こう伝える。――俺には、この先に起きることが、ある程度見えている。勇者がどこへ行き、誰と戦い、どうなるのか。夢のような形で、見たことがある、と。
セレスは、黙って聞いていた。途中で一度も、口を挟まずに。
「勇者は、白霧の神殿で、お前と戦う」
「ええ」
「お前は、二度戦う。一度目は、お前自身の姿で。二度目は、氷の巨人を纏って」
セレスの指が、地図の上でぴくりと止まった。
「……氷姫の鎧」
「そうだ」
原作の二章のボス戦は、二段階になっている。
第一形態は、セレス本人。体力を一定まで削ると、彼女は氷の巨人を纏って、第二形態に移る。
巨人の額には、氷冠と呼ばれる冠がある。
それが、セレスにとっての「魔将の証」だ。俺の兜と同じで、それが割れたとき、勇者の第二の封印が解ける。
「巨人の氷冠が割れると、勇者の聖剣の封印が一つ解ける。そして――」
言葉を、切った。
セレスは、地図から目を上げなかった。
氷の卓の縁を、指先でなぞっている。
「そして、私は死ぬのね」
俺は、何も言わなかった。
「氷姫の鎧は、纏う者の命を燃やして動くの。小さいころに母から教わったわ。使えば使うほど、命が削れていく。鎧が割れれば、中にいる者の命も、一緒に砕ける」
セレスの声は、静かだった。
まるで、天気の話でもするように。
「だから母は、一度も使わなかった。百年前、先代の勇者と戦ったときも」
(……設定資料にも、そこまでは書いてなかったな)
原作のセレスが、第二形態のあとに砕け散った理由。
テストのときは、ただの演出だと思っていた。ボスが死ぬときの、少し派手な散り方だと。
違った。
鎧が、彼女の命を燃やし尽くしていたのだ。
「で、あなたは、どうするつもり?」
セレスが、ようやく顔を上げた。
青い目に、試すような光が浮かんでいる。
「勇者が私に勝たなければ、封印は解けない。勝てば、私は死ぬ。……あなたは、どちらを選ぶの」
「どちらも選ばん」
俺は、氷の卓に両手をついた。
「中の人を、入れ替える」
「……なかのひと?」
セレスが、きょとんとした顔で聞き返す。
この女がこんな顔をするのを、初めて見た。
「第一形態は、お前が戦う。勇者が、お前の体力を削る。お前が氷姫の鎧を纏う、その瞬間に――俺が、お前と入れ替わって、鎧の中に入る」
「……」
「鎧は、纏う者の命を燃やして動く。だが、俺の魔力なら、命を削らずに動かせるはずだ。俺は五魔将で、いちばん魔力が多い」
これは、賭けだった。
ヴァルガスの魔力量は、ゲームの数値の上ではセレスの三倍ある。命の代わりに魔力を燃やせば、鎧はたぶん動く。
「勇者は、鎧の氷冠を割る。封印は解ける。鎧が砕けても、中にいるのは俺だ。俺は、たぶん死なない。そして、お前は――」
「鎧の中には、いない」
セレスが、俺の言葉を引き取った。
「私は、死なない」
氷の間に、しばらくの沈黙。
セレスは、地図の上の白霧の神殿の印をじっと見つめていた。
顔を上げて、俺の頭のてっぺんから足の先までを眺め回す。
「あなたが、私の鎧に入るの?」
「……そうだ」
「私の鎧、私の体に合わせて作ってあるのだけど」
俺は、自分の体を見下ろした。
身の丈は、セレスより頭二つ分は高い。肩幅は、たぶん倍ある。
「……大きめに、作れないか」
「作れるわ。ただ、巨人の外側は大きくできても、中の空洞は、そんなに広げられない」
「どのくらいだ」
セレスは、少し考えてから、両手で空中に四角を描いた。
俺の肩幅より、明らかに狭い。
「……縮こまれば、なんとか」
「縮こまったまま、勇者と戦うの?」
「戦うのではない。負けるのだ」
セレスは、ぽかんと口を開けた。
こらえきれないというように、小さく肩を震わせた。
「……ふふ」
「笑うな」
「ごめんなさい。でも、五魔将最強の男が、私の鎧の中で縮こまって、勇者に負ける練習をするのかと思ったら」
セレスは、口元を手で押さえている。
氷の間に、彼女の笑い声がかすかに響いた。
笑うと、ずいぶん印象が変わる女だ。
――そう思ったのは、黙っておいた。
「リュシーのことも、ある」
俺が言うと、セレスの笑みが、すっと消えた。
「お前が鎧を纏う前に、妹を取り返しておかなければならない。お前が勇者に負けたふりをしたと、ゼクスに知られた瞬間、妹が危ない」
「……ええ」
「妹は、どこにいる」
「北の廃坑。ゼクスの氷牢があるの。何度か、外から様子を見に行ったわ。結界が強くて、中までは入れなかったけれど」
セレスは、地図の北の端、雪山の麓の小さな印を指さす。
「二人なら、入れるかもしれない」
「入れる」
結界の構造なら、たぶん分かる。
ゼクスが、開発中の仮のデザインを使い続けているのなら。
「なら、決まりね」
セレスは、氷の地図をくるくると巻いた。
巻いた氷の板は、彼女の手の中でただの水に戻って消える。
「まず、妹を取り返す。それから、勇者に負ける。……あなたが、私の鎧の中で」
「ああ」
「縮こまって」
「……ああ」
セレスが、また小さく笑った。
そのとき、氷の間の扉が、音もなく開いた。
冷気の中に、ふわりと香の匂いが流れ込んでくる。
黒い礼服に、片眼鏡。柔和な笑み。
「おや。お二人で、何のご相談ですか?」
ゼクスが、扉の枠に寄りかかって、こちらを見ていた。




