第15話 死人の報告書
翌朝、ブランシュの町は半分焼けて、半分笑っていた。
焼け落ちた屋台の残骸を、町の人々が片づけている。
その横で、子供たちが昨夜の勇者の真似をして、木の枝を振り回していた。
「えいっ! 聖剣の、ひかりー!」
「ずるい、ぼくも勇者やる!」
「だめー、ぼくが先に跳んだもん!」
町外れの丘の上から、俺はそれを眺めていた。
ボツは、丘の裏の森に隠してある。
肋骨は、まだ痛む。それでも、昨夜よりずいぶんましになっていた。
広場の冒険者ギルドの前に、人だかりができていた。
人だかりの真ん中で、金髪の少年が困ったように頭をかいている。
「勇者様、昨夜はありがとうございました!」
「うちの子を助けてくれて……!」
「灯籠祭りの勇者様だ!」
ギルドの扉の前に、新しい張り紙が貼られていた。
遠目にも読める、大きな字で。
『灯籠祭りの夜、聖剣の勇者リオ、双頭の怪物を討つ』
リオはその張り紙の前で、ギルドの受付嬢から真新しい冒険者の証を受け取っていた。
銅色の小さな札だ。原作でも、勇者はこの町で冒険者になる。
ただし原作では、受付嬢が「頑張ってくださいね」と言うだけの、短いイベントだった。
町じゅうの人々に囲まれて、拍手を浴びながら受け取るような場面は、どこにもなかった。
(……ええやん)
筋書きが、少しだけ変わった。
それも、悪くない方向に。
リオが、ふとこちらを見上げた。
丘の上だ。距離はある。木の陰に立っているから、見えるはずがない。
なのに、リオの目は、こちらを向いていた。
俺は木の陰で、一歩下がった。
「――リオ、聞いてる? 次の目的地の話!」
「あ、うん、ごめん、ノエル」
「もう。……誰か、いたの?」
ノエルの声が、風に乗って届いてくる。
リオは、少しだけ迷ってから、答える。
「黒騎士さん。たぶん、先生だと思う」
「先生? あの傭兵の人のこと? リオ、弟子入り断られたんでしょ?」
「うん。でも、先生なんだ」
ノエルが、呆れたようにため息をついた。
その横で、ボルドが低く笑っていた。
「坊主がそう言うなら、そうなんだろうよ」
***
魔王城に戻ると、玉座の間に呼ばれた。
帳の前で、片膝をつく。
今度は、ゼクスも最初から柱の横に控えていた。
「報告せよ、ヴァルガス」
「は」
俺は、昨夜のうちに頭の中でまとめた報告を、淡々と読み上げた。
「勇者リオは、ブランシュの町にて、灯籠祭りの夜に襲来した魔物の群れを撃退いたしました。岩喰いのトロル六体、双頭のヒュドラ一体。残りの魔物は、召喚の陣が途中で壊れたため、現れなかった模様です。勇者は聖剣にてヒュドラを討ち、町の者たちから"灯籠祭りの勇者"と呼ばれております」
「お前は、何をしていた」
「監視を、続けておりました」
嘘は、言っていない。
監視しながら、他にも少し、いろいろやっただけだ。
「……勇者は、強くなったか」
「わずかに。剣の振りが、まっすぐになっておりました」
帳の奥で、しばらく沈黙が続いた。
「そうか。……まだ、筆頭の席には、遠いな」
筆頭の席。
五魔将の筆頭のことだろう。原作でいえば最終章の直前に、名前だけが出てくる魔将だ。顔も台詞も、最後まで用意されていなかった。
(……会うたこともない上役と、比べられてもな)
帳の奥の声は、怒っているのか喜んでいるのか、やはり読み取れない。
「下がれ。引き続き、監視を続けよ」
「は」
立ち上がろうとしたとき、柱の横から、乾いた拍手が聞こえた。
「いやあ、残念でした」
ゼクスが、穏やかな笑みを浮かべて、こちらへ歩いてくる。
「町の工作は、私の担当でしたからね。勇者くんを仕留め損ねたのは、私の落ち度です。魔王様、まことに申し訳ございません」
「よい」
「ただ、一つだけ、気になることがありまして」
ゼクスは、俺の横で足を止めた。
片眼鏡の奥の目が、俺の胸元を見ている。セレスの鉄槌の形にへこんだ、黒鎧の胸当てを。
「陣を守らせていたセレス殿の報告によれば、旧水路に侵入者があったそうです。黒い鎧を着た、大柄な傭兵だったとか」
「ほう」
「セレス殿がその侵入者を撃退したところ、侵入者は運悪く陣の真ん中に落ちて、陣が壊れてしまったのだそうです。……いやあ、不運な事故でした」
ゼクスは、にこにこと笑っていた。
その笑顔のまま、視線だけが、へこんだ胸当てから離れない。
「その胸当て、どこでへこませたんですか? ヴァルガス殿」
「……勇者の監視中に、トロルに殴られた」
「なるほど、なるほど。トロルに」
ゼクスは、何度もうなずく。
「トロルの拳は、ずいぶん平らなんですねえ。まるで、氷の鉄槌みたいに」
玉座の間が、静まり返った。
帳の奥からは、何の声もしない。
魔王は、このやりとりを聞いているのか、いないのか。
「――ゼクス」
帳の奥から、声がした。
「下がれと言った。二人ともだ」
「失礼いたしました、魔王様」
ゼクスは優雅に一礼すると、俺の肩をぽんと叩いて、先に玉座の間を出ていった。
すれ違いざまに、小さな声で。
「次は、雪の国ですね。……楽しみにしていますよ、デバッガーくん」
背筋が、凍った。
(――なんで、それを)
デバッガー。
俺の、前世の仕事。この世界の誰にも、言ったことのない言葉だ。
ゼクスの背中は、もう廊下の角に消えていた。
***
自室へ戻る廊下の途中で、冷たい風が吹いた。
窓のない廊下に、風が吹くはずがない。
足を止めると、柱の陰から、銀の髪の女が姿を現した。
「肋骨は、治ったの」
「……三本いったぞ」
「手加減したら、あの子に見抜かれたでしょう」
「分かっている」
セレスは、それ以上何も言わずに、俺の横に並んで歩き始めた。
しばらく、二人とも黙っていた。
廊下の燭台が一つ、また一つと後ろへ流れていく。
「ゼクスに、何か言われた?」
「次は雪の国だ、と」
「そう」
セレスの足が、止まった。
俺も、足を止める。
彼女は、廊下の窓のない壁を見つめたまま、静かに言った。
「勇者が雪の国に来たら、私は戦わなければならない。……魔王様のご命令だし、ゼクスにも、そう言われている」
「ああ」
「でも、あなたは、それを知っていた。雪の国で、私とあの子が戦うことを。まだ、誰も決めていないうちから」
セレスが、こちらを向いた。
青い目が、俺の目を見ている。
「その戦いで、私がどうなるのかも、知っているんでしょう」
俺は、黙っていた。
原作の二章で、彼女は自分の氷に呑まれて、砕け散る。勇者が「助けられなかった」と泣く、唯一の魔将として。
沈黙を、セレスは答えとして受け取ったようだった。
口の端が動いた。笑ったのかもしれない。
「――あなた、私の代わりに負けるつもりでしょう」
廊下の燭台の火が、揺れた。
どうして分かった、と聞きかけて、やめた。
最初から、俺のことを一番よく見ていた女だ。
「……だとしたら、どうする」
「止めはしないわ」
セレスは、外套の内側から、雪の結晶の髪飾りを取り出した。
それを、俺の手のひらにそっと載せる。
「その代わり、手伝って。私の妹を、ゼクスから取り返すのを」
手のひらの上で、銀の髪飾りが、冷たく光っていた。
(……仕様にないルートや)
でも、もう慣れた。
この世界は、最初から、仕様どおりになんて動いていない。
俺は、髪飾りを握りしめた。
「――雪の国の地図を、持ってこい」
セレスの目が、わずかに見開かれた。
それから、今度ははっきりと、彼女は笑った。
(第1章 チュートリアル 完)




