第11話 祭りの夜、氷の牢
日が沈むと同時に、町じゅうの灯籠に火がともった。
広場の櫓から、川沿いの家々の軒先まで。
橙色の灯りが、夜の町を端から端まで縁取っていく。人々の歓声と、笛と太鼓の音が、井戸の底まで響いてきた。
俺は旧水路を、中央の貯水槽へ向かって走っていた。
陣が目を覚ますのは、町じゅうの祈りが空に満ちたとき。
祭りの最後に、人々が一斉に灯籠を空へ放つ。その瞬間だ。原作のイベントでは、日没から半刻ほどあとだった。
(時間は、あと四半刻もない)
フードの魔術師たちは、もういなかった。
陣の仕上げを終えて、地上の祭りに紛れ込んだのだろう。
最後の角を曲がると、冷気が頬を打った。
貯水槽の底一面に描かれた陣が、赤黒く、脈打つように光り始めている。
触媒の石が、一つずつ、心臓のように明滅していた。
そして陣の中心、紋様の真上に、銀の髪の女。
「……来たのね」
セレスの声は、昨日よりも、ずっと静かだった。
「言ったはずよ。来たら、本気で止めるって」
「聞いた」
「それでも来たの」
「勇者を、ここで死なせるわけにはいかん」
セレスの目が、わずかに見開かれる。
言ってしまった。
魔王軍の魔将が、決して口にしてはいけない言葉を。
でも、もう隠しても意味がない。
この女は、俺が討たれたふりをしたことを知っている。そこから先を推理するのは、難しくないはずだ。
「……やっぱり、そうなのね」
セレスは目を伏せた。外套の内側で、何かを握りしめる気配がした。
「なら、なおさら通せない」
次の瞬間、足元から、氷の柱が噴き上がった。
横へ跳ぶ。
さっきまで立っていた場所を、人の背丈ほどの氷の槍が貫いていく。
続けて二本、三本。床から、壁から、天井から。逃げ場を塞ぐように、氷の槍が次々と生えてくる。
(速い。そして、狙いが正確や)
原作の二章のボス戦で、セレスが使う技だ。
テストのとき、この技の当たり判定を何度も調べた。避ける方向は、知っている。
右、左、もう一度左。
氷の槍の隙間を縫って、陣の中心へ近づいていく。
大剣を抜けば、この程度の氷は叩き割れる。
黒閃を使えば、セレスごと吹き飛ばせる。
だが、どちらもできない。
セレスを傷つければ、二章で勇者に負ける魔将がいなくなる。それに――あの髪飾りを握る指を、見てしまった。
「どうして、剣を抜かないの」
氷の向こうから、セレスの声がした。
「抜けば、私を倒せるでしょう。あなたは、五魔将で一番強いんだから」
「……お前を倒す理由がない」
「理由なら、あるわ。私は、あなたの邪魔をしてる」
氷の槍が、兜の横をかすめた。
鉄兜の頬当てに、白い霜の筋が走る。
「なのに、あなたは避けてばかり。……どうして?」
(言えるか、そんなこと)
答えれば、二章のことも原作のことも、全部話さなければならなくなる。
陣の中心まで、あと十歩。
大剣の柄に手をかけたまま、俺は踏み込んだ。
中心の紋様を、内側から断ち切る。
陣が目を覚ます、その瞬間に。
そのとき、地上から、ひときわ大きな歓声が響いてきた。
――灯籠が、放たれたのだ。
陣の光が、一気に強くなった。
赤黒い線が、床から浮き上がるように輝き出す。触媒の石が、一斉に明滅をやめて、まばゆく燃え上がった。
(今や!)
大剣を抜いた。
中心の紋様めがけて、振り下ろす――。
その刃が、空中で止まった。
腕が、動かない。
肩から先が、透き通った氷に包まれていた。
腕だけではなかった。
足も、胴も、背中も。気づいたときには、俺の体は首から下を、分厚い氷の塊に閉じ込められていた。
大剣を振り上げた姿勢のまま、氷の像のように。
「……ごめんなさい」
セレスが、陣の中心に立っていた。俺のすぐ目の前に。
彼女の手のひらから、白い霧が細く立ちのぼっている。
避けた氷の槍は、全部、囮だったのだ。俺が陣の中心に近づくまで、時間を稼ぐための。
「あなたが避ける方向は、全部分かってた。……まるで、私の技を何度も見たことがあるみたいに、正確に避けるから」
(……テストで覚えた避け方が、そのまま読まれた)
正確すぎる回避は、逆に読みやすい。
デバッガーとして、こんな初歩的な罠に引っかかるなんて。
「セレス。この陣が動けば、町の人間が大勢死ぬ」
「知ってる」
「勇者も、死ぬ」
「……知ってる」
セレスの声が、震えていた。
外套の内側から、雪の結晶の髪飾りが覗いている。
「でも、妹が……」
言いかけて、セレスは唇を噛んだ。
それ以上は、言わなかった。
背を向けて、セレスは貯水槽の出口へ歩き出す。
銀の髪が、氷の槍の林の向こうに消えた。
足元で、陣が完全に目を覚ました。
赤黒い光が、天井を突き抜けるように立ちのぼる。
地の底から、何か巨大なものが這い上がってくるような、低い振動が水路全体を揺らした。
遠く、地上から。
祭りの笛と太鼓をかき消すように、鐘の音が鳴り響いた。
カン、カン、カン、カン――。
火事か、敵襲のときにしか鳴らされない、早鐘だった。




