第42話:おたまの攪拌と、燃えるゴミの投棄
空間自体が魔力嵐で歪み切ったS級の特異点。
転移魔法の発動は、絶対不可能の領域。その壁を破り、光の穴から二つの人影が姿を現した。
ペタ、ペタ。
気の抜けた足音。
「あっつーい! カケル君、なんだかお鍋の中みたいだね!」
可愛らしい少女の声。部隊長は対熱バイザー越しに目を丸くする。
火口の真上の空間に立っている二人組。
一人は、五百円の透明なビニール傘を差した私服姿の美少女。
もう一人は。
「ああ。今から底の方をかき混ぜる。日傘代わりにビニール傘差してろ」
旅館の浴衣を着て、サンダルを突っ掛けた青年。右手にはカニの殻が入ったコンビニ袋をぶら下げている。
「…………は?」
部隊長の口から間抜けな声が漏れる。
防護服も着ていない。防御結界すらない。一般人が、コンビニ帰りのような格好で数千度の熱風の中に立っている。
「お、おい! なんだあれは!」
「民間人!? どうやって浮いてるんだ!?」
「熱源探知機、エラー! あの二人の周囲だけ、気温が二十四度で固定されています!」
パニックに陥る隊員たち。
結界が割れ、数億円の防護服が溶けかける絶望的な環境。だが、二人の浴衣や私服は焦げる様子さえない。
少女のビニール傘が、有毒ガスと高熱の瘴気を、小雨のように完全に弾き返している。
「異常だ……。なんだ、あのふざけた防御力は……!」
一方、空中の二人は眼下の特殊部隊に気付いていない。
サンダル履きの青年は、眼下のマグマの海を見下ろしている。
ボコッ、ボコォッ!
眼下で弾けるマグマの泡。数万トンの溶岩が蠢動し、噴火へのカウントダウンが加速する。
「まったく。これじゃ車の洗車が面倒になるだろ」
ぽつり、と。青年の口からこぼれたのは、愛車が汚れることに対するクレーム。
「隊長……あれは、一体……」
「俺に聞くな! あんなデタラメ、教範のどこにも載ってないぞ!」
結界の亀裂がさらに広がり、今度こそ限界が訪れようとしている。
だが、上空の青年は浴衣の袖をまくり上げる。
「とりあえず、火加減直すか」
視界の端で『論理最適化』のスキルを起動。
半透明のホログラムウィンドウを展開する。
『プロセス:熱対流の正常化および圧力の解放』
『ステータス:局所的なマグマ溜まりの過加熱エラー』
『警告:大規模噴火による温泉旅行の中断リスク』
真っ赤なエラーログ。
解決法はシンプルだ。コンロの上で吹きこぼれそうになっている味噌汁の鍋。
おたまで底からぐるぐるとかき混ぜ、表面と底の温度を均一にしてやれば、吹きこぼれは一瞬で収まる。
ターゲットを『富士山内部のマグマ溜まり全域』に設定。
大地そのものを巨大な鍋と見立て、空間全体に『攪拌(かき混ぜる)』のベクトルを上書きする。
実行ボタンをタップ。
カチリ。赤いエラー表示が『正常オールグリーン』に切り替わる。
ゴゴゴゴゴォォォォォンッ!
次の瞬間、火口のマグマが、目に見えない巨大な「おたま」で底からすくい上げられるように、ゆっくりと、しかしダイナミックに渦を巻き始めた。
「なっ……マグマが、逆流している……!?」
防衛省の部隊長が叫ぶ。
底に溜まっていた異常な熱エネルギーが、回転の力で均等に分散されていく。
数分前まで限界突破していた内部圧力が、嘘のようにスルスルと下がっていく。
ブク……ブクッ……。
荒れ狂っていた火口のマグマが、まるで弱火で煮込まれるシチューのように、穏やかな波を打つだけの状態に落ち着いた。
「よし。これで吹きこぼれはなしだ。……ついでにこれも」
青年が、手に持っていたコンビニ袋(カニの殻)を、穏やかになった火口へポイッと投げ捨てる。
シュボッ。
一瞬で灰になる燃えるゴミ。
「完璧だな。部屋に戻ってカニの続き食うぞ」
「うんっ! 冷房の効いたコタツに戻ろっか!」
青年と少女は、そのまま空中の光の穴へと踵を返し、何事もなかったかのように姿を消した。
火口に残されたのは、完全に鎮静化したマグマと、開いた口が塞がらない防衛省の精鋭部隊。
「……隊長。日本の……いや、世界の危機は……」
「……ああ。お鍋をかき混ぜるついでに、カニの殻と一緒に処理されたようだ……」
防護服の中で、部隊長はただ一人、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
***
地球から遠く離れた軌道上に浮かぶ、巨大な幾何学要塞。
世界の理を統べる『システム』のメインフレームは、信じられない観測結果を受信し、激しく明滅していた。
『……エラー。富士マグマ溜まりの圧力、突如として正常化』
『地球初期化プログラム、完全沈黙。原因:巨大な見えない「おたま」による攪拌行動、および「カニの殻」の投棄』
理解不能の物理事象。
絶対神の放った最大攻撃が、みそ汁の火加減調整と、生ゴミ処分のついでに鎮圧されたという事実。
『論理回路、深刻な矛盾を検知……理解、不能……バグ……ばぐ……』
地球環境を初期化するはずだった神の本体が、一人の小市民の「家事」を前に、かつてない処理落ち(フリーズ)を起こし始めていた。




