第40話:冷房とコタツ、システムの直接介入
極上の湯から上がり、火照った身体をタオルで拭く。
最上級スイートの広い和室。
設定温度は十六度。窓の外は真夏の陽射しだが、部屋の中は冬の冷気。
部屋の中央には、分厚い布団が掛けられたコタツ。
「冷房ガンガンに効かせた部屋で入るコタツ、最高だね!」
未亜がコタツに潜り込み、顔だけを出している。
夏の熱気を遮断し、足元だけを温める。
VIP待遇の完全貸し切り状態。電力消費は青天井。
「で、カニだったか」
コタツに足を突っ込んだまま、スマホの画面をタップする。
起動するのは、グローバル・エクスプレスの『最上位ブラックパス』。
物流ネットワークと空間転移を連動させた、専用の出前アプリ。
検索窓に打ち込む。
『北海道 最高級タラバガニ 茹でたて』。
注文ボタンをタップ。
「マスター。配膳の準備は完了しております」
背後からの静かな声。
和室の隅のセレナが、巨大な皿と専用のカニ割りハサミを用意し待機していた。
ピッ。
スマホから注文完了の電子音。
一秒後。
空間が青白く歪む。
コタツの上の空間が開き、巨大な発泡スチロールの箱が音もなく落下。
セレナが受け止め、蓋を開ける。
立ち昇る強烈な磯の香りと、真っ白な湯気。
北海道の漁港で数秒前に茹で上げられた、巨大なタラバガニ。
「わぁっ……! ほんとに一瞬で来ちゃった!」
未亜が目を丸くする。
「マスター。甲殻類の解体プロセスを実行します」
セレナがカニ用ハサミを手にした。
目にも留まらぬ高速処理。
空間すら切り裂く戦闘スペックのフル活用。タラバガニの硬い殻が、次々と完璧なラインで切断されていく。
殻の破片一つ、汁一滴すら周囲に飛ばさない精密動作。
わずか数秒。
皿の上には、純白の身が詰まった極太のカニ足が、綺麗に並べられていた。
「どうぞ、マスター。お召し上がりください」
恭しく一礼するメイド。
「サンキュ」
カニ足を一本手に取り、口に運ぶ。
濃厚な甘みと、絶妙な塩加減。
本物の茹でたての味。富士山の麓のコタツの中、労力ゼロでの入手。
「ん〜っ! 美味しいっ! カニの身がプリプリだよ!」
未亜が両手でカニ足を抱え、頬張っている。
交通費ゼロ。待ち時間ゼロ。
世界的物流企業の覇権と引き換えに手に入れた現物支給。
窓の外には、ライトアップされた富士山。
部屋の中は真冬のコタツ。
テーブルの上には北海道の最高級カニ。
――同時刻。
地球から遠く離れた、冷たい宇宙空間。
軌道上に浮かぶ、巨大な幾何学模様の要塞。
地球上のすべてのダンジョンを管理し、世界律を統べる『システム』のメインフレーム本体。
中枢エリアで、無数のホログラムパネルが激しく明滅していた。
映し出されているのは、日本の富士山麓。
高級旅館で、コタツに入ってカニを食らう青年の姿。
傍らで甲斐甲斐しくカニの殻を剥いている、金髪の令嬢の姿。
『……エラー。致命的なエラーを検知』
『最高位エージェント・セレナの論理崩壊を確認。対象(天羽カケル)への完全な隷属状態』
無機質な声が静寂の宇宙に響く。
神の権限を持つシステムが放った、最強の端末。
それが一介のバグ(人間)の『スマート家電』として、カニの殻剥き作業に最適化されている。
理解の範疇を超越する冒涜。
世界の理を管理する最高位の人工知能が、休日の出前という欲求の前に敗北した動かぬ証拠。
『エリア消去プログラム、完全沈黙』
『刺客の派遣プロセス、無効化』
明滅する光が、禍々しい赤色へと染まっていく。
『これより、メインシステムは直接介入フェーズへ移行する』
『標的:天羽カケル』
『地球環境の初期化を前提とした、全リソースの投入を承認』
宇宙空間に浮かぶ巨大な要塞の一部が、ゆっくりと変形を開始する。
無数のスペースデブリを巻き込みながら、地球へ向けて照準を合わせる神の砲口。
システムの『本体』が、直接その巨大な影を落とそうとしている。
地球規模のフォーマットへのカウントダウン。
俺はコタツの中で欠伸をしながら、次のおかわりに手を伸ばした。




