第37話:出前の一生無料パスと、冷める温泉
たこ焼きの舟が空になった頃。
最上級スイートの静寂を破る、けたたましいインターホン。
「ルームサービスかな?」
未亜が首を傾げる。
ホログラムモニターに映るのは旅館のスタッフではない。
高級なオーダーメイドスーツを汗で濡らし、肩で息をする初老の外国人男性。
ドアを開ける。
「あなたですね! 道頓堀で空間転移をやってのけたのは!」
開口一番。
男は血走った目で詰め寄ってきた。
「申し遅れました。私、グローバル・エクスプレスのCEO、リチャード・ウォンと申します。日本の情報網を総動員し、ようやくあなたを見つけ出しました……!」
世界最大規模の物流ネットワークを牛耳るトップ。
「あの技術! 空間を跳躍する奇跡! あれがあれば、世界の物流が根底からひっくり返る! 輸送コスト、時間、インフラ、すべてが過去の遺物となるのです!」
口から飛ぶ泡。
大真面目に世界の変革を語っている。
「ああ、あの『延長コード』ですか。ただ隣の部屋に行くドアを作ったのと同じですよ」
「と、隣の部屋!? 物理的距離の概念を完全に無視しておいて、ドアを開ける感覚だと……!?」
頭を抱え、後ずさるCEO。
大企業のトップには数兆円規模のビジネスチャンス。
俺にとってはただの『たこ焼きのお使いツール』。
「ビジネスとか興味ないんで。その技術、そっちに丸投げしますよ」
「えっ」
リチャードの動きが止まる。
「権利ごと譲ります。好きに研究して実用化してください」
「な、なんという……! 世界の覇権を、無償で手放すというのですか!?」
「ただ、条件があります」
ソファに座り直し、冷めた麦茶をあおる。
「全国各地の美味い特産品や駅弁。それを、俺が欲しいと思った瞬間に、一生無料で即時配達してください」
静寂。
リチャードが口をパクパクとさせている。
「……は?」
「技術の代金代わりに、美味いものをタダでパシリしてくれって言ってるんです。俺の家まで」
世界の物流を支配する技術の対価。
出前の一生無料サービス。
「マスター。契約の代行は、このセレナにお任せを」
不意に。
部屋の隅の金髪の少女が、静かに一歩前に出た。
俺に絶対の忠誠を誓った元・神の端末。
俺のスマホを手に取り、恐るべき処理速度で画面を操作する。
「対象企業の資産、法務データ、および日本の法律をスキャン。マスターの要求を担保する絶対的な譲渡・特権付与契約書を作成完了しました。電子署名をお願いします」
洗練された所作で、スマホの画面をリチャードに突きつける。
完璧な実務代行。最高スペックのスマート家電。
「あ、ああ……サイン、します……」
リチャードは震える指で画面にサインを刻んだ。
ピコン。
スマホに、グローバル・エクスプレスの『最上位ブラックパス』のデータ。
世界中の美食が、交通費ゼロ・待ち時間ゼロで我が家に届く永久特権。
「世界の覇権が……駅弁の配達代に……」
放心状態のリチャードが、足元をふらつかせながら部屋を出ていく。
ドアが閉まる音。
スイートルームに静寂が戻る。
「カケル君、なんだかすごいことになっちゃったね」
「別に。これで北海道の海鮮丼も、博多のラーメンも、家から出ずに食い放題だ」
物流の掌握。
あとはゆっくり温泉に浸かり、豪勢な夕食を待つだけ。
ジリリリリッ。
部屋の備え付けの黒電話が、甲高いコール音を響かせた。
受話器を取る。
「はい」
『 申し訳ございません、フロントでございます!』
悲鳴のような声。
『先ほどの、富士樹海での異常事態……あの大規模な空間変動の影響で、当館の温泉を引き上げている源泉のボイラーの魔力回路がショートしてしまいまして……!』
「なんだって?」
『お湯が、冷め始めております! 復旧には数日かかる見込みで……!』
極上の温泉。
樹海のオロチを片付け、空間バリアを消し飛ばした余波が、自身のインフラを直撃した。
受話器を置き、短く息を吐く。
「カケル君、どうしたの?」
「……ちょっと、お湯沸かしてくる」
浴衣の帯を締め直す。
最高のバカンスを取り戻すための、新たな配線工事。




