第36話:たこ焼きの保温と、物流CEOの絶望
旅館のテレビ画面。
大阪・道頓堀の煌びやかなネオン。
鉄板の上で焦げるソースの匂い。
「小腹空いたね。本場のたこ焼き、食べたいな」
未亜がポツリと呟いた。
時刻は夕方。
富士山麓の老舗高級旅館『天月閣』の最上級スイート。
大阪まで行くとなれば、最寄り駅まで下り、新幹線。
往復の交通費は数万円。時間も片道数時間。
ポケットから、黒曜石のような円盤を取り出す。
拾った『古代の転移装置』。
実家の地下ダンジョンを経由する「延長コード」。
これを使えば、移動時間はゼロ。
「新幹線代、浮くじゃん」
円盤の表面に触れる。
視界の端で『論理最適化』のスキルを起動。
半透明のホログラムウィンドウを展開。
『プロセス:転移座標の再設定』
『ステータス:単一座標(実家)への固定リンク』
現在の設定は、旅館と実家を繋ぐだけ。
スマホのマップアプリで目的地を検索する要領。
座標のパラメータを直接書き換える。
ターゲットを『大阪・道頓堀のたこ焼き屋前』に設定。
緯度と経度を入力し、空間の結び目をピンポイントで繋ぎ直す。
カチリ。
ホログラムの表示が『正常』に切り替わる。
「ちょっと買ってくる。お茶淹れ直して待ってて」
「えっ? カケル君、どこに……?」
驚く未亜と、部屋の隅で正座しているセレナ。
円盤を起動。
青白い光が足元を包む。
視界が一瞬ブレる。
空間の切り替わり。
旅館の藺草の香りが、ソースと青のりの匂いへと一変。
「らっしゃい! 兄ちゃん、たこ焼きどうや!」
喧騒。
行き交う人々。大阪の熱気。
浴衣にサンダル履きのまま、道頓堀のど真ん中。
目の前には、テレビで紹介されていた有名なたこ焼き屋。
「大盛り一つ。マヨネーズ多めで」
「おおきに! アツアツやで!」
小銭を払い、舟形の容器を受け取る。
爪楊枝が二本刺さった、出来立てのたこ焼き。
火傷しそうなほどの熱。
「冷めないうちに帰るか」
人目につかない路地裏へ移動。
再び円盤を起動し、座標を『天月閣のスイートルーム』に戻す。
青白い光。
視界のブレ。
「……え?」
未亜が目を丸くしていた。
部屋を出て、光に包まれて消えてから数十秒。
手には、湯気を立てる本場のたこ焼き。
「買ってきたぞ。アツアツだ」
「カケル君……それ、本当に大阪の……?」
「ああ。テレビでやってた店だ」
テーブルにたこ焼きを置く。
未亜が恐る恐る爪楊枝を手に取り、一つ口に運んだ。
「はふっ、あつっ……! 美味しい! 表面カリカリで、中がトロトロ……っ!」
満面の笑み。
新幹線に乗れば往復数万円かかるグルメ旅行。
たった数百円のたこ焼き代だけで完結。交通費の完全なゼロ化。
「セレナも食うか?」
部屋の隅で、置物のように固まっている金髪の少女に声をかける。
「わ、私にまで……。神の奇跡を、このような下等な粉食に……」
「冷めるぞ」
「い、いただきます……」
神の端末であった令嬢が、震える手でたこ焼きを頬張る。
その目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
熱いのか。
平和な夕暮れだ。
――同時刻。大阪、道頓堀の路地裏。
「……今のは、なんだ」
行き止まりの路地。
高級スーツの初老の男が、呆然と立ち尽くしていた。
リチャード・ウォン。
世界最大規模の物流ネットワークを牛耳る多国籍企業『グローバル・エクスプレス』のCEO。
極秘の商談を終え、迎えの車に向かう途中。
眼の前。
浴衣にサンダル履きの青年が、たこ焼きの舟を片手に、青白い光と共に虚空へと消え去った。
「光学迷彩? いや、空間そのものが歪んだ」
リチャードは、青年が消えた空間を手で探る。
何も無い。空気。
だが、長年のビジネスマンとしての直感が、最大級の警鐘を鳴らす。
「空間転移……。まさか、実用化されているというのか……!?」
物流。
物を運ぶという物理的な制約との戦い。
時間、燃料、人件費。
あの技術が世に出れば。
世界中のトラックも、飛行機も、タンカーも、一瞬にして無価値になる。
「世界の前提が崩れる。あの男は、物流の概念そのものを破壊する悪魔か……!」
リチャードの額から、冷や汗が流れ落ちる。
たった一個のたこ焼き。
それを運ぶためだけに、世界的企業が何兆円つぎ込んでも到達できない神の領域を、あの男は息をするように行使した。
「探せ。日本の全ネットワークを使え。あのサンダル履きの男を、絶対に見つけ出すんだ!」
部下に怒鳴り散らすCEO。
極上のたこ焼きに舌鼓を打つあずかり知らない場所で。
今度は世界の物流を牛耳る巨大な権力が、狂気にも似た執念で青年の行方を追い始めていた。




