第30話:魔法の絨毯と、システムの強制フォーマット
夏の眩しい日差しを、漆黒のフロントガラスが柔らかく遮断する。
一般道を抜け、高速道路のゲートへ。
特命官から受け取った永久無料のVIPパスが、ETCのレーンを滑らかに通過させた。
「カケル君、本当に全然揺れないね! 魔法の絨毯に乗ってるみたい!」
助手席で、未亜が声を弾ませている。
膝の上には、無償デリバリーのパシリから受け取った高級スイーツの箱。
冷暖房完備。設定温度二十四度。
外は猛暑だが、車内は完璧な別天地だ。
移動による疲労。
長時間の運転や揺れる車内は、インフラ構築において排除すべき明確なノイズ。
元クランが五十億円を投じて開発した最新鋭の魔導装甲車。それを『モバイルバッテリー』と『静音扇風機』の論理で魔改造した無音エコカー。
駆動系は摩擦ゼロの超静音モーター。
路面の凹凸を完全に吸収する魔力サスペンション。
時速百キロで巡航していても、コップに入れたコーラの水面すら微動だにしない。
「美味しいっ。景色もすごく綺麗だね」
未亜がマカロンを頬張り、青空と海を眺める。
国家の威信をかけた最強兵器の、ファミリーカーとしての浪費。
ダッシュボードに視線を落とす。
ホログラムのカーナビは、赤いエラーを明滅させていた。
『――目的地:富士樹海・未踏破S級領域』
特命官が手配した最高級旅館『天月閣』の住所を入力しても、システムが弾く。
明確なバグだ。
だが、問題ない。
『天月閣』がある富士山麓の温泉街と、ナビが示すS級領域の方角は完全に一致している。
近くまで行ってから、スマホの地図アプリを見れば済む。
「カケル君、あーん」
「ん」
差し出されたマカロンを口に放り込む。
上品な甘さ。
面倒な運転の疲労はゼロ。
国家権力が実家の外壁塗装と防音工事を無料で進めているという事実。
『外泊』という概念の、快適なインフラ化の完了。
富士山に向かって真っ直ぐに伸びるハイウェイを、ただ滑るように進んでいく。
――その頃。
目的地である富士山麓の温泉街。
立ち並ぶ高級旅館の一つの屋根の上に、一人の少女が静かに降り立った。
豪奢なドレス。風に揺れる金髪。
管理者の端末である令嬢、セレナ・フォーン・ブレイブ。
「ここが、標的の向かっている座標……」
虚ろな瞳で、眼下に広がるのどかな温泉街を見下ろす。
彼女は、自身のトラウマである『黒騎士』をゴミ扱いしたバグ、天羽カケルを直接確認し排除するため、日本へやって来た。
だが。
到着した瞬間から、脳内にけたたましい警告音が鳴り響いていた。
『警告。対象エリアの空間位相に異常を検知』
『世界律の書き換えプロセスが進行中。エラー領域の完全消去を開始します』
「……え?」
セレナが息を呑む。
温泉街を取り囲む富士の樹海。
広大な森が不気味な黒いノイズに侵食され、ドロドロと溶け始めている。
空が、血のような赤に染まる。
大地が脈打ち、空間そのものが異界へと作り変えられていく。
「システムが……この地域一帯を、S級ダンジョンとして書き換えている……?」
管理者の強硬手段。
黒騎士すら通用しなかった異常なバグ(カケル)の排除。システム(神)は個別の刺客を送ることを放棄した。
標的が向かっているこの富士山麓一帯を、空間ごと『未踏破S級領域』へと変異させ、丸ごと消去する。
「待って……! 私はまだ、ここに!」
悲痛な叫びも虚しく、空は完全に黒い亀裂に覆われた。
『プロセスの実行を優先。エージェント・セレナの退避を棄却します』
『これより、当該座標に存在する全データの初期化を実行』
切り捨てられた。
バグを排除するための大規模フォーマット。システムの一部である彼女自身も巻き込まれた。
温泉街の平和な景色が、凶悪なモンスターと絶望の瘴気に飲み込まれていく。
偽りの記憶に苦しみ、自らの意志で真実を確かめに来た令嬢の決意すら、システムは無慈悲なバグ処理プログラムとして飲み込んでいく。
「あ……あああ……っ!」
絶望の淵に立たされるセレナ。
世界を統べる神の悪意が、富士の裾野を最悪の魔境へと変貌させた。
そして。
そんな地獄の中心へ向けて。
「んーっ、富士山が大きくなってきたね!」
「ああ。ナビは壊れてるけど、道は合ってるみたいだな」
一切の揺れも騒音もない、極上のプライベート空間。
鼻歌交じりの幼馴染を乗せた漆黒のエコカーが、呑気にウインカーを点滅させながら、破滅のS級領域へと滑り込もうとしていた。
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