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第28話:特命官の土下座と、トラウマの融解

ジリジリとアスファルトが焼ける匂い。

無音のエコカーが、一軒家の地下駐車場から地上へと滑り出る。


助手席には、旅行カバンを膝に抱えた未亜。

窓の外、休日の静かな住宅街。

我が家の手入れされた庭先に、見知らぬ中年男がへたり込んでいる。


仕立ての良いスーツ。

だが、その膝は生まれたての子鹿のように震え、顔面は蒼白。

男の視線の先には、「電子レンジの解凍モード」で内部コアを溶かした漆黒の重甲冑。ただの粗大ゴミが転がっている。


車を停め、運転席の窓を下ろす。


「あの、うちの庭で何か」

「ひぃぃぃッ!」


声をかけた瞬間、スーツの男は弾かれたように土下座した。

アスファルトに額を擦りつけ、ガタガタと全身を痙攣させる。


「お、お助けを! 私は内閣府、特命対策室の特命官! ど、どうかこの国を、いや、この星を滅ぼすのだけはご勘弁をォォッ!」


突然、星の存亡を託された。


「見ました! 衛星モニターで、すべてを! 世界を灰燼に帰すはずだった神話の厄災を、傷一つつけず、呼吸をするように機能停止させるその御姿!」

「ああ、あれ」


庭に転がる黒騎士に視線をやる。

装甲が分厚くて邪魔だったから、中身だけ温めて溶かした。


「あんな悍ましい悪魔を、完全無力化するなど……! あなたは、神か、それとも破壊の化身か……! もはや国家の軍事力など、あなたの前では赤子の玩具に等しい……!」


特命官が、血を吐くような悲痛な声で叫ぶ。

それよりも、処理すべき問題がある。


「いや、神とかどうでもいいんですけど。市役所の人ですか?」

「し、市役所……? いえ、内閣府の――」

「どっちでもいいですけど、あれ、回収してもらえますか」


庭の重甲冑を指差す。


「粗大ゴミに出そうと思ったんですけど、デカすぎて指定のシール貼っても持ってってくれないんですよね。景観も悪くなるし、近所迷惑だし」

「そ、粗大ゴミ……ッ!?」


特命官が、カエルを潰したような声を上げた。


「神話級の災厄兵器が、そ、粗大ゴミ……ッ!?」

「ええ。中身はドロドロなんで、外側の鉄屑だけですけどね。今日これから温泉旅行に行くんで、帰ってくるまでに片付けておいてください」


特命官の顔面が、さらに青ざめる。

世界を滅ぼす悪魔の残骸。可燃ゴミや空き缶と同じテンションでの処理依頼。


「お、恐ろしいお方だ……! 国家のトップである我々を、清掃業者として使うというのですね……ッ! し、承知いたしました! 即座に自衛隊の特殊部隊を配備し、責任を持ってこの『ゴミ』を回収、厳重保管いたしますゥゥッ!」

「助かります。じゃ、そういうことで」


窓を閉める。

アクセルを軽く踏み込むと、無音のエコカーは滑らかに走り出した。

面倒なゴミの処理も、国家権力が無料で代行。

これで心置きなく極上の温泉バカンスを楽しめる。


「カケル君、あの人、大丈夫かな……?」

「さあ。熱中症じゃないか。早く温泉で美味いもん食おう」


助手席の未亜が心配そうに振り返る。

そのままアクセルを踏み込んだ。


――同時刻。

遠く離れた、豪奢な洋館の一室。


管理者の端末である令嬢、セレナ・フォーン・ブレイブ。

彼女は、遠隔視のモニターの前で、頭を抱えて蹲っていた。


「ああ……あ、あああ……っ!」


喉から漏れる、ひび割れた悲鳴。

画面に映っていたのは、かつて彼女のすべてを奪った、トラウマの権化である『黒騎士』の最期。


『……システムエラー。記憶領域の不整合を検知』


脳内に、無機質なアラートが鳴り響く。

彼女の脳に刻まれた『黒騎士』は、絶対的な恐怖であり、決して抗えない絶望の象徴だった。

そのはずなのに。


「私の……絶望の記憶が……っ」


ガタガタと震える指で、自身の金髪を掻き毟る。


「電子レンジの冷凍弁当みたいに……チンされて、ドロドロに……?」


恐怖の象徴が、サンダル履きの青年に「粗大ゴミ」と呼ばれ、弁当のように中身だけを温められて沈黙した。

管理者が植え付けた『精巧な悲劇の記憶データ』と、眼の前で起きた『ギャグのような現実』の衝突。

二つの事象が、彼女の精神回路に致命的な矛盾を発生させる。


「ちがう、ちがう……! あいつは、あんな、あんな情けない……!」


私の過去は、私の悲劇は、一体何だったというのか。


『エラー率、危険域を突破。人格モジュールの崩壊危機』


セレナの虚ろな瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

システムが作り上げた完璧なエージェントは、休日のゴミ出しという小市民的な日常の前に、その精神を根底から粉砕されようとしていた。


そして、無音のエコカーの車内。

ダッシュボードのナビは、強制設定された目的地――『富士樹海・未踏破S級領域』へと、着実に距離を縮めている。

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