第24話:粘着ローラーと、トラウマの権化
無音の結界の外側。
半グレどもを一瞬で消し飛ばした、圧倒的な暴力の顕現『黒騎士』。
神話の厄災とも呼ぶべきその存在は、赤いバイザーの奥で標的の一軒家を捕捉し、ゆっくりと歩みを進めていた。
休日に手入れしたばかりの、青々とした庭の芝生へと。
「あ、芝生が踏まれてる」
冷房の効いたリビング。
大画面テレビで映画を楽しんでいた俺は、窓の外の光景に目を向ける。
結界のミュート効果で足音はまったく聞こえない。だが、重そうな金属のブーツが、せっかくの芝生を無残に抉り取っているのが視覚的に鬱陶しい。
「カケル君、あの黒い鎧の人……なんか、すごく怖いよ……!」
未亜が不安そうに袖を掴む。
映画のクライマックスに、泥のついた足で庭を荒らす不審者。
明確なバグだ。
視界の端で『論理最適化』のスキルを起動。
半透明のホログラムウィンドウを展開する。
『プロセス:庭園への物理的侵入』
『ステータス:過剰重量による芝生の損壊』
『警告:景観の悪化と手入れのやり直し』
真っ赤なエラーログ。
大掛かりな攻撃魔法など必要ない。
カーペットのゴミを取る『コロコロ(粘着ローラー)』と、フローリングの『ワックスがけ』。日常の掃除テクニックを応用するだけだ。
ターゲットを『黒騎士の足元』と『装甲の表面』に設定。
地面の摩擦係数を強制的に『ゼロ(ツルツル)』に書き換える。同時に、装甲の表面には、地面に触れた瞬間に超強力な吸着力を発揮する『粘着』のベクトルを付与。
カチリ。
赤いエラー表示が、流れるように『正常』へと切り替わる。
ズサァァァッ!
窓の外。
一歩を踏み出そうとした黒騎士の足が、摩擦ゼロの芝生の上で漫画のように派手にスリップした。
宙を舞う漆黒の巨体。
背中から地面に激突した瞬間、『コロコロ』の強力な粘着力が発動。
地面にベチャリと張り付く、最強のエージェント。
黒騎士は起き上がろうと腕を突くが、地面はツルツル。
足を踏ん張ろうにも摩擦がなく、手足がシャカシャカと虚しく空回りする。
腕の力で身をよじると、今度は粘着力によって装甲が地面にへばりつき、不格好な体勢のまま完全に固定されてしまった。
無音の結界の外で、ピチピチと跳ねる黒い鎧。
恐怖の象徴は、完全に滑稽なギャグキャラクターへと成り下がっている。
「よし。これで芝生は荒らされないな」
「う、うん……? なんだか、一人で転んでじたばたしてるね……?」
未亜が拍子抜けしたように小首を傾げる。
俺は、窓の外でジタバタともがく黒騎士を横目に、ポップコーンを口に放り込む。
究極の引きこもりインフラは、今日も完璧に機能している。
――同時刻。
遠く離れた、豪奢な洋館の一室。
管理者の端末である令嬢、セレナ・フォーン・ブレイブは、遠隔視のモニターを前に激しく混乱していた。
「な、何が起きているの……!?」
画面に映るのは、自身のすべてを奪ったとされるトラウマの権化。
『黒騎士』。
その絶対的な恐怖の象徴が、一人のFランク探索者の庭先でツルツルと滑って空回りしている。シャカシャカと手足を動かすその姿は、まるで裏返ったカナブンのよう。
「あ、あり得ないわ! 神の遣いである黒騎士が……私の大切なものを奪った最悪の宿敵が、あんなギャグみたいな動きで……!」
セレナの脳内に埋め込まれた『偽装データの悲劇』と、目の前の『滑稽な現実』が激しく矛盾を起こす。
『……システムエラー。感情ロジックの不適合を検知』
脳内に響く無機質な警告音。
システムが設計した完璧なシナリオは、休日の掃除テクニックによって完全に破綻を来し始めていた。
ブーッ、ブーッ、ブーッ!
映画のエンディングロールが流れ始めた頃。
テーブルの上に置いていた俺のスマホが、突如としてやかましい振動音を立て始めた。
画面に表示されたのは『非通知設定』。
次なる鬱陶しいノイズが、平穏な空間に無理やり割り込もうとしていた。
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