第19話:浄水器のカートリッジと、一生分の日用品デリバリー
ピンポーン。
モニターに映るのは、目深に帽子を被った配達員の女。
玄関のドアを開けると、恭しく美しいケーキの箱を差し出してきた。
「グローバル・メディカ様からの手配品です。……どうぞ、ご賞味を」
口元に浮かぶ、微かな嘲笑。
箱を受け取ると、女は足早に去っていった。
冷房の効いたリビングに戻り、テーブルに箱を置く。
視界の端で『論理最適化』のスキルを起動。
半透明のホログラムウィンドウ。スマホのセキュリティスキャン画面と同じだ。
『プロセス:食品の安全性スキャン』
『ステータス:未知の猛毒因子の混入』
『警告:一口で致死量に到達』
真っ赤な警告ログ。
箱の隙間から、毒のオーラが漂っている。
あの製薬会社に恨みを持つ裏社会の連中が、配送ルートに細工をしたらしい。
小さく息を吐く。
ホログラムパネルに干渉する。
難解な解毒の呪文などいらない。家庭用の浄水器のカートリッジを通すのと同じ理屈だ。
対象の空間に極小の活性炭フィルター(魔力の網目)を設定し、毒の成分だけを濾過して無害な水分子へと変換する。
カチリ。
赤いエラー表示が、流れるように『正常』へと切り替わる。
これでただの美味しいケーキだ。
「わぁっ! すごい、宝石みたいなケーキ!」
箱を開けると、未亜が目を輝かせた。
極上のスイーツを堪能する、至福のティータイム。
「カケル君、明日のお買い物なんだけど。特売のお米とお水、私が買ってこようか?」
「いや、いい」
未亜の足は治ったばかり。重い買い物袋は持たせられない。
自分で買い出しに行くのはただの労働だ。それに、一般の配送ルートを使えば今回のように細工されるリスクがある。
スマホを取り出し、『白紙委任状』の差出人であるハワードに電話をかけた。
「はい」
『お、天羽様ァァッ! いかがされましたか!? もしや、あの白紙委任状の金額がお決まりになったのでしょうか!? 一兆でも二兆でも、我が社の全資産を――』
「いや、現金はいらないです」
『なっ……!?』
「何億も口座に入ったら、税金の手続きとか確定申告が面倒なんで。それより、安全な流通網が欲しいんです」
残ったケーキをフォークで切り分けながら、要求を伝える。
「連れに重い買い物袋を持たせたくないんで。一生分の日用品と食料品を、定期配達してくれませんか。途中で変な輩が手出しできない、完璧に安全な専用ルートで」
電話の向こうで、ハワードが息を呑む音がした。
『い、一生分の生活物資……? 完璧な専用物流網……?』
「ええ。洗剤とかトイレットペーパーとか、あと新鮮な野菜とかお米。頼んだらすぐ届くネットスーパーみたいな感じでお願いします」
静寂。
世界中の権力者が血眼で欲しがる神薬の独占供給。その対価が、トイレットペーパーと野菜のデリバリー。
『神の奇跡の対価が……日用品のサブスクリプションだと……!?』
ハワードの声が、歓喜と畏怖で震え上がっている。
『お、お安い御用です! 直ちに世界最大の軍事物流ネットワークを買収し、天羽様専用の超VIP向け無償定期便を開通させます! 衛生軌道上の軍事衛星も監視用に割り当て、アリ一匹の侵入も許さぬ完璧な安全をお約束しましょう!』
「おお、それは助かる」
翌日の朝。
一軒家の前に、装甲車のような漆黒の大型トラックが横付けされた。
降りてきたのは、完全武装した元特殊部隊の屈強な配達員たち。周囲を油断なく警戒しながら、恭しく最高級の食材と日用品が入ったコンテナを玄関に運び込んでいく。
「カケル君、これ……すごい量のお肉と野菜! しかも全部タダなの!?」
「ああ。便利な定期配達を頼んだからな。これからは、重い荷物持たなくていいぞ」
「ありがとう、カケル君!」
満面の笑みでコンテナを覗き込む未亜。
税金の心配はゼロ。スーパーに行く手間もゼロ。
世界最高峰のインフラを専用のパシリに変えた。
エアコンの効いた部屋。淹れたてのコーヒー。
究極の引きこもり生活は、今日から完全なものとなった。
――だが。
その平和な光景を、遠く離れたビルの屋上から見つめる女がいた。
昨日、毒入りケーキを届けた虚無の暗殺者。
スコープの先には、笑顔でコーヒーを飲む俺の姿がはっきりと映っている。
「……信じられない。致死量1000倍の『絶望の雫』を食べて、なぜピンピンしているの……?」
彼女の顔から、余裕の笑みが消え失せている。
神話級の猛毒すら通用しないイレギュラー。
そして、ターゲットの家を護衛する、異常な数の重武装トラックと監視衛星の気配。
「……ただのFランク探索者じゃない。結社本部に緊急通信。最高警戒レベル『黒』の化け物が――」
暗殺者が通信機に手を伸ばした、その時。
背後の空間が、音もなく歪んだ。
世界を裏から支配する結社のトップすら恐れる、『真の絶望』を纏う新たな影。
平穏な日常のすぐ外側で、裏社会のパワーバランスが致命的に崩れ去ろうとしていた。
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