第12話:サラダスピナーの脱水と、最高級肉の定期便
深夜のリビング。
冷房の効いた静寂の中、テーブルの上に置かれたビーカーを睨む。
大根おろし器で抽出した『世界樹の若葉』のペーストをポーション液に混ぜたことで発生した、微小なアク。
視界に展開した『論理最適化』のホログラムウィンドウには、無情なエラーが点滅している。
『ステータス:不純物の混入1%』
『警告:後遺症因子の完全除去に支障あり』
1%でも濁りがあれば、未亜には飲ませられない。
完全に痛みを消し去り、究極の引きこもりインフラを完成させるためには、純度100%の「真の神薬」が必要不可欠。
とはいえ、コーヒーのペーパーフィルターでポタポタと何時間も濾過するのは、気が遠くなるほど面倒くさい。
今日、百円ショップで買ってきた調理器具を手に取る。
洗ったレタスなどの水気を切る『サラダスピナー』。
ハンドルを回すことで内部のザルを高速回転させ、遠心力で水分だけを外側に弾き飛ばす主婦の味方。
これの論理を空間と魔力に応用すれば、アクだけを一瞬で分離できるはず。
ホログラムパネルに干渉しようとした、その時。
ジュウゥゥッ。
音もなく、リビングの窓ガラスが溶け落ちた。
夜の闇から床に足をつくことなく滑り込んできたのは、黒装束に身を包んだ複数の男たち。
「動くな、Fランク。貴様の命と、隠し持つ遺物を戴く」
警察の警備の隙を突き、さらに床のお掃除ロボットの感知エリアも避けて侵入を果たした暗殺者たち。鋭い殺気が、冷房の効いた部屋を満たす。
だが、俺は彼らを一瞥すらせず、パネルの操作を続けた。
「……ちょうどいいな」
どうせなら、部屋の空中に湧いたゴミも一緒に水切りしてしまおう。
ターゲットを『抽出液のアク』と『部屋の空中の異物(暗殺者)』に設定。
床面だけを掃くお掃除ロボットとは違う。部屋の空間そのものに、目に見えない強烈な回転のベクトルを付与する。出力を最大に。
カチリ。
赤いエラー表示が、流れるように『正常』へと切り替わる。
ギュイィィィンッ!
「な、なんだこの理不尽な引力はァァッ!?」
「体が、勝手に回るぅぅっ!」
突如として発生した圧倒的な遠心力。
暗殺者たちは為す術もなく、まるで洗濯槽の中のゴミのように空中でぐるぐると振り回され始めた。
手にしていた呪いの短剣も、ポケットの中の暗器も、遠心力でポンポンと壁に叩きつけられていく。
「ひぃぃぃっ、目が回るぅぅっ!」
「た、助け――」
ドシャァッ!
遠心力の極致。彼らは文字通り「不純物」として窓の外へ弾き出され、庭のブロック塀に激突して白目を剥いた。
深夜の庭に無残に折り重なる、黒装束の山。
同時に、テーブルの上のビーカーからも濁りが弾き飛ばされた。
一切の曇りがない、極限まで澄み切った黄金の液体。
不純物ゼロ。純度100%の真の神薬が完成した瞬間。
「よし、手間が省けた」
完成した神薬を小瓶に移し替え、大きく欠伸を一つ。
翌朝。
家の前には、またしても黄色い規制線とパトカーの列。
知らせを受けて飛んできた保安庁の長官が、庭に転がる暗殺者たちを見て絶叫していた。
「ば、馬鹿な! 彼らは世界各国の要人を葬ってきた、最悪の闇結社の精鋭部隊! なぜ、こんなゴミ袋のように丸まって気絶しているのですか!」
「いや、ちょっと部屋の不純物を水切りしただけですよ。サラダスピナーと同じ理屈で」
「さ、サラダスピナー!? 洗濯機ではなく!?」
長官は血の気を失い、回収された暗殺者の短剣を見てさらに震え上がる。
「しかもこの短剣! 触れた者を即死させる神話級の呪具ですが、魔力が完全にスッカラカンになっています! 洗剤で丸洗いされたかのように! 天羽様、あなたは一体どれほどの浄化魔術を……!」
「だからただの水切りですって。それより、あいつら窓ガラス溶かしたんで、修理代と迷惑料もらえませんか。冷房の冷気が逃げて困るんです」
ドライに要求すると、長官はハッと息を呑み、土下座の勢いで頭を下げた。
「も、もちろんです! 修理代に加えて、国家の脅威を排除していただいた謝礼として、最高級・松阪牛の定期便を手配いたします! 毎月、極上の霜降り肉をご自宅にお届けしますので、どうかご機嫌を直して……!」
「おお、肉の現物支給。それは助かります」
高級フルーツの毎日配送。
そこに最高級肉の定期便が加わった。
スーパーの9割引きパスと合わせれば、我が家の食卓はもはや王侯貴族と同等である。
嵐のように去っていく警察と長官を見送り、リビングへと戻る。
キッチンでは、起きてきた未亜が朝食の準備を始めていた。
ポケットには、完成した純度100%の神薬。
これを今日の夕食後の紅茶にでも混ぜて飲ませれば、彼女の足は完全に治る。
待ちに待った瞬間は、もうすぐそこまで来ていた。
――しかし。世界の裏側は、その平和を許しはしない。
同時刻。ヨーロッパの深き森に佇む、古城の最奥。
闇の魔導結社の首領が、精鋭部隊の全滅報告を受け、手にしていたワイングラスを粉々に握り潰していた。
「あの家は、化け物の巣か……」
滴り落ちる赤ワインが、血のように床を濡らす。
「よかろう。ならば結社が誇る『災厄の魔獣』を解き放て。あの街ごと、灰燼に帰してくれるわ」
底知れぬ悪意に満ちた命令が、薄暗い空間に響き渡る。
俺の平和なインフラを脅かす次なる絶望が、すでに海を渡ろうとしていた。
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