第11話:大根おろし錬金
雨の匂い。
低気圧が近づいているせいか、リビングのソファで未亜が顔をしかめていた。
「ごめんね、カケル君。古傷がちょっと、ズキズキして……」
無理して笑う彼女の膝を、タオルケットが覆っている。
探索者時代の怪我。天候が崩れるたびに痛むらしい。
無言で温かい麦茶を置き、地下室へ向かう。
作業台の上。昨日、百円ショップで買ってきたプラスチック製の大根おろし器。
その隣に、エメラルドに輝く『世界樹の若葉』を並べる。
神薬を完成させるには、昨日抽出したポーション液に、この葉の細胞壁を完全に破壊したペーストを混ぜ合わせる必要があった。
ただ、俺の体力はFランク。
すり鉢とすりこぎ棒で何時間もゴリゴリ擂り潰せば、腕がパンパンになる。それに無理な力をかければ摩擦熱が生じ、薬効成分が飛んでしまう。
視界の端で『論理最適化』のスキルを起動。
半透明のホログラムウィンドウ。スマホのシステム診断画面と同じだ。
『プロセス:薬草の粉砕』
『ステータス:摩擦熱と労力による成分劣化』
ホログラムパネルを操作する。
難しい錬金術の釜などいらない。大根おろし器の表面に並ぶプラスチックのトゲ。その一つ一つの向きと角度を、魔力波長に沿ってミクロの単位で調整していく。
抵抗を極限までゼロに近づけ、刃ではなく「波」で削るように設定を書き換えた。
カチリ。
赤いエラー表示が一斉に『正常』に切り替わる。
若葉を手に取り、おろし金に軽く滑らせる。
スッ。
空気を撫でているかのような、完全な無抵抗。
力など一切入れていないのに、若葉は瞬く間にサラサラの粒子となり、眩い光を放つペーストとなって受け皿に溜まった。
一切の摩擦熱を発生させない、100%の極限抽出。
「よし、できた」
ペーストの完成。
受け皿には、ほんの一滴だけ抽出の余りカスがこびりついている。洗って捨てるのも面倒だ。百均のタッパーに移し、スマホの『医療ギルド・オンライン査定アプリ』の回収ボックス機能へ放り込んだ。
同時刻。
東京都心、医療ギルド本部の特別解析室。
国家筆頭の錬金術師が、モニターに弾き出された成分解析結果を見て腰を抜かしていた。
「ば、馬鹿な!? このペースト、摩擦熱による魔力劣化が0.0001%も存在しない!?」
「所長! 一体どういうことですか!?」
白衣の職員たちがパニックに陥る中、錬金術師は震える手でタッパーを掲げる。
「あり得んのだ! 世界樹の葉のような強靭な霊草をすり潰せば、必ず魔力摩擦が生じる! それを防ぐには、絶対零度の霊峰の頂で、百人の賢者が氷のすり鉢で十年間祈りを込めながら擂り続けるしかないのだぞ!」
「じゅ、十年……!」
「それがなんだ、この完璧な細胞破壊は!? まるで分子レベルの超振動刃で、撫でるように斬り裂いたとしか思えん! いったいどこの神聖帝国が、これほどのオーバーテクノロジーを開発したというのだ!」
血走った目で絶叫する所長。
「しょ、所長! 出品者からメッセージが! 『百均のおろし器で擦った余りです。小銭になれば』と!」
「ひゃ、百均のおろし器だとォォォッ!?」
所長は泡を吹き、白目を剥いて倒れ込んだ。
地下から戻ろうとした時、スマホが震えた。
着信表示は『医療ギルド・トップ錬金術師』。
通話ボタンを押す。
「はい」
『あ、あ、天羽様でいらっしゃいますか!?』
「はい。タッパーのカス、売れました?」
『カ、カス!? あれほどの奇跡の結晶を!? 今すぐ特別医療報酬として一億円をお振り込み……いえ、国家予算を動かしてでも買い取らせて――!』
電話の向こうで、大の男が泣き叫んでいる。
「あー、現金はいらないです。確定申告とか税金の手続き面倒くさいんで」
『い、一億円を拒否……!?』
「腕が疲れないように、ちょっと百均の道具いじっただけですし。それより、この季節の変わり目に効くような、高級フルーツの詰め合わせとかないですか。連れが元気なくて」
トップ錬金術師が、息を呑む音が聞こえた。
世界中の権力者が血眼で欲しがる神の錬金術。その対価が、ただのフルーツ。
『し、承知いたしました! 現金はお支払いせず、ギルドの総力を挙げ、世界最高峰の完熟マンゴーとメロンのセットを、毎日ご自宅へ無料配送する永久契約を結ばせていただきます!』
「お、毎日。それは助かります」
通話を切断。
面倒な税金の手続きなしで、極上のデザートが確保できた。
リビングに戻る。
「カケル君、おかえり」
「明日から、毎日高級フルーツの詰め合わせが届くらしい。一緒に食おう」
「えっ、本当!? ふふっ、楽しみだな」
未亜が満面の笑みを浮かべる。
これで栄養をつけてもらえばいい。だが、根本的な痛みの解決には、まだ神薬の完成が必要だ。
先ほどのペーストを液に混ぜようとした際、視界のログに『微細なアク(不純物)の発生』という新たなエラーが表示されていた。手で濾過するのは面倒すぎる。遠心力で一気に弾き飛ばす道具が必要だ。
明日もまた、ホムセンか百均に行かなければならない。
――そして、翌日の夜。
平和な一軒家の周囲には、濃密な死の気配が潜伏していた。
近所の電柱の影、ゴミ捨て場の裏、隣の空き家。闇の魔導結社『暗殺課』の精鋭たちだ。
「……標的が百均から帰宅したのを確認。奴は今、油断しきっている」
通信機越しに、リーダーが冷酷に告げる。
「玄関付近の床には、例の未知の空間排除トラップ(お掃除ロボット)が敷き詰められている。だが、空中まではカバーしきれていないはずだ。二階の窓からガラスを溶かして直接侵入する。――やれ」
抜かれた凶刃の数々。
究極の堕落インフラを夢見る男の住処に、最悪の暴力が牙を剥こうとしていた。
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