第6話 懐刀の影、京兆家の光
政元が丹波から帰京してから、京兆家は再び活気を取り戻した。
政元の幽閉は家中に深い傷を残したが、同時に――
政元の中に、何か新しい火が灯ったようにも見えた。
それは、甚内が最もよく感じ取っていた。
(殿は……変わられた。
以前よりも、強く、鋭く……そして、遠くを見ておられる)
政元殿は、人事において大胆だった。
父祖代々の家臣団を尊重しつつも、
新たな才を見出すことに躊躇がなかった。
新参の北方甚内の存在が、家中の混乱を防いだ。
信濃国から来た弓の名手・赤沢朝経。
阿波守護家の家臣であった三好之長。
どちらも、当初は京兆家中で目立つ存在ではなかった。
だが――。
「甚内、あの者……面白いな」
政元がそう言った者は、
必ずと言っていいほど重用された。
赤沢朝経は軍事の要として、
三好之長は政務と軍略の両面で頭角を現し、
やがて京兆家の柱となっていく。
さらに四国・土佐国では、
国人領主の一人にすぎなかった長宗我部元秀を引き立て、
土佐の有力者へと押し上げた。
甚内は、その背景を知っていた。
(殿は……人を見る目がある。
奇癖は多いが、才を見抜く直感は本物だ)
政元は旅を好んだ。
鷹狩りはもちろん、
寺社巡り、修験道の山行、
そして――異例の長旅。
「甚内、越後へ行くぞ」
「……えっ、越後……でございますか?」
「手紙では伝わらぬ。
会って話す方が早い」
政元は、そう言って笑った。
大大名が越後国まで赴くなど、
この時代では考えられない。
だが殿は、
“実際に会って話す”
という価値を何より重んじた。
奥州へ修行に出ようとしたという噂も、
あながち誇張ではない。
畿内近辺では、
船旅に出ることもしばしばあった。
甚内は、殿の旅支度を手伝いながら思った。
(殿は……枠に収まらぬお方だ。
だが、その自由さが……京兆家を動かしている)
しかし、旅と修行に傾倒する殿は、
政務を家臣に任せることも多かった。
やがて、京兆家の政務は
「内衆」と呼ばれる重臣たちの合議によって進められるようになった。
守護代、奉行、宿老――
彼らが政元の代わりに政務を担う。
だが、政元はただ任せるだけではなかった。
「甚内、内衆の合議には規定が必要だ。
好き勝手にしてはならぬ」
殿は、内衆を統制するための式条を制定した。
甚内は、その草案作りを手伝った。
(殿は……放任ではない。
“任せるべきところは任せ、
締めるべきところは締める”
その線引きが、誰よりも明確だ)
政元は、貿易にも強い関心を持っていた。
特に、明国との日明貿易――
莫大な利益を生む遣明船の利権は、
殿にとって見逃せないものだった。
「甚内、日明貿易は細川が握るべきだ。
大内に任せてはならぬ」
大内氏は、応仁の乱で敵対した西軍の主力。
その大内氏が貿易利権を握っていることを、
政元は快く思っていなかった。
「殿、九州の少弐氏を動かすのはいかがでしょう。
博多・平戸の港を押さえれば……
大内氏の影響力は大きく削げます」
「……甚内、それだ」
政元はすぐに動いた。
少弐氏に働きかけ、
遣明船の通過ルートを細川氏の掌中に収める。
大内氏は締め出され、
日明貿易の利権は細川氏が独占した。
甚内は、殿の決断力に舌を巻いた。
(殿は……奇癖の裏に、
鋭い政治感覚を隠しておられる)
こうした施策の多くは、
政元自身の直感と才覚によるものだった。
だが――。
その影には、
北方甚内という懐刀の存在があった。
甚内は、殿の奇癖を制し、
殿の野心を形にし、
殿の直感を制度に落とし込み、
殿の旅癖を政治に結びつけた。
政元は、甚内を呼ぶとき、
以前よりも柔らかな声を出すようになっていた。
「甚内、そちの意見を聞かせよ」
その一言が、
甚内の胸を熱くした。
(殿……私は……
殿のお力になれているのでしょうか)
政元は、甚内の問いに答えるように言った。
「甚内。
そちは……我が懐刀よ」
甚内は深く頭を下げた。
「……身に余るお言葉にございます、殿」
政元は微笑んだ。
「そちがいてくれて、よかった」
その言葉は、
甚内の胸に深く刻まれた。
――細川政元と北方甚内。
この二人の絆は、
京兆家の未来を大きく動かしていくことになる。




