第5話 丹波幽閉と、甚内の誓い
文明十一年(1480年)師走。
冬の京は、底冷えのする寒さに包まれていた。
政元は、例によって気軽に外出していた。
護衛はつけていたが、殿は人目を避けることに頓着しない。
町人の姿を眺め、寺社の古文書を見せてもらい、
時には山伏の修行場にまで足を運ぶ。
その自由奔放さは魅力でもあったが――
この日は、それが災いした。
夕刻。
京兆家の屋敷に、血相を変えた使者が駆け込んだ。
「殿が……丹波国にて……一宮宮内大輔の一族に……
拉致されました!」
広間は凍りついた。
甚内は、手にしていた文を落とした。
「……殿が……?」
家臣たちは一斉に立ち上がり、怒号が飛び交う。
「一宮め……! 内藤と争っておきながら……!」
「守護代を恨むならともかく、なぜ殿を……!」
「いや……殿を“人質”にすれば、
丹波国の租税権を有利にできると踏んだのだ……!」
丹波国では、守護代・内藤元長と国人一宮氏が
租税減免の権利を巡って争っていた。
一宮氏は敗れ、三十余名が討たれた。
追い詰められた一宮氏は、
守護代より上位の権限を持つ“丹波国守護職”である政元を拉致し、
交渉材料に使うという暴挙に出たのだ。
甚内は震える声で問うた。
「……殿の……ご安否は……?」
「不明……!」
その言葉は、甚内の胸を深く刺した。
翌日。
京兆家の重臣たちが集まり、緊急の評定が開かれた。
政元の席は空いたまま。
その空白が、屋敷全体に重くのしかかる。
「幕府に訴えるべきではないか」
「いや、幕府を巻き込めば、
丹波国そのものが戦乱に沈む。
殿の命も危うい」
「では、どうするのだ!」
議論は紛糾した。
その中で、ある案が出た。
「……殿の代わりに、
将軍家の弟君・義覚様を細川家当主に据えるべきではないか」
広間がざわめいた。
義覚は僧籍にあるが、
将軍家の血筋であり、
細川家の“後継”として申し分ない。
甚内は、思わず立ち上がった。
「お待ちください!」
重臣たちの視線が一斉に甚内へ向く。
「殿は……まだ生きておられます!
必ず……必ず救い出せます!」
「甚内殿……しかし、安否は不明なのだぞ」
「それでも……!」
甚内は拳を握りしめた。
「殿は……この京兆家の柱です。
殿を失えば……細川家は……
再び乱に沈みます!」
重臣たちは黙り込んだ。
甚内はさらに続けた。
「殿は……山伏を保護し、
情報網を築いてこられました。
その山伏たちが……必ず殿の行方を掴みます。
どうか……どうか、もう少しだけ……!」
甚内の必死の訴えに、
重臣たちはついに頷いた。
「……よかろう。
義覚様擁立案は、いったん見送る」
甚内は深く頭を下げた。
(殿……必ず……必ずお救いします……!)
文明十一年二月。
政元の安否は依然として不明だった。
もし殿が既に亡き者であれば――
あるいは、一宮氏との抗争の中で殺害されていれば――
細川家は、出家していた細川勝之を当主に据える案を検討し始めた。
京兆家は揺れていた。
その頃、丹波国では、
細川方と一宮氏の間で戦闘が始まっていた。
だが、戦況は膠着した。
一宮氏は政元を“盾”にしている。
細川方は、殿を傷つけるわけにはいかない。
甚内は焦燥に駆られていた。
(殿……どこに……)
そんな甚内のもとに、
山伏の頭領が密かに訪れた。
「甚内殿……殿の居場所、掴めました」
「……!」
「一宮氏の本拠の一つ、
山中の砦に幽閉されております」
甚内は震える声で言った。
「……殿は……ご無事なのですか……?」
「監視されておられますが……生きておられます」
甚内は膝から崩れ落ちそうになった。
「……殿……!」
甚内は山伏たちと共に、
丹波国の山中で密かな工作を始めた。
一宮氏の内部には、
内藤元長との争いで疲弊し、
政元殿を人質にしたことを後悔する者もいた。
甚内は、山伏の情報網を使い、
その中でも特に影響力のある人物――
一宮賢長に接触した。
賢長は、甚内の言葉に耳を傾けた。
「……政元殿を解放すれば、
細川家は一宮氏を滅ぼすことなく、
和議の道を開くでしょう」
「……しかし……我らは……」
「殿は、あなた方を恨まれません。
むしろ、丹波国の安定を望まれるお方です」
賢長は長く沈黙し、
やがて静かに頷いた。
「……わかった。
政元殿を……お返ししよう」
文明十一年三月。
夜明け前の山中。
一宮賢長とその子が、
衰弱した政元を伴って砦を抜け出した。
甚内は山伏たちと共に待ち構えていた。
「殿……!」
政元は、やつれた顔で微笑んだ。
「甚内……来てくれたか……」
甚内は涙をこらえながら、深く頭を下げた。
「お迎えに参りました、殿……!」
政元は、震える手で甚内の肩に触れた。
「……そちが……動いてくれたのだな……」
「はい……殿を……お救いすると……誓いましたので……!」
政元は、静かに頷いた。
「……よく……尽くしてくれた……」
政元が帰京すると、
京兆家は歓喜に包まれた。
一宮氏は、
内藤元長・安富元家・庄元資らの追討を受け、
ついに敗北した。
甚内は、政元の寝所の外で、
静かに夜明けを迎えた。
(殿……本当に……ご無事で……)
胸の奥が熱くなる。
政元は、
甚内の働きを誰よりも理解していた。
そして甚内もまた、
この日を境に、
政元のために命を賭す覚悟を固めた。
――細川政元と甚内。
この二人の絆は、
丹波の山中で、確かに結ばれたのであった。




