隣は誰?
翌朝、僕のスマホには、沙也加から一枚の画像が届いていた。
白い背景に、細かく時間が区切られたスケジュール表。
そこには彼女のリハーサル予定、仮眠時間、移動時間、ボイストレーニング、取材、衣装合わせまで、びっしりと書き込まれていた。全国ツアーに向けて、彼女の日常はもう学校生活の延長ではなく、巨大なステージを作るための工程表に変わりつつあった。
けれど、僕が何より目を奪われたのは、表の端に赤字で追加されていた欄だった。
『裕二に報告する時間』
朝七時二十分。
昼休み。
リハ後。
寝る前。
まるで当然みたいに、彼女の一日の中へ僕が組み込まれていた。
さらに、その下には小さく補足がある。
『裕二側も、誰と話したか報告』
重い。
昨日、スマホを見せたいと言い出して、僕に止められたばかりなのに、沙也加はもう別の手段を作ってきた。
管理ではない。
本人はきっと、恋人同士の共有だと思っている。
それが一番厄介だった。
『これならスマホ見ないで済むよね?』
『私、ちゃんと我慢してる』
続けて届いた文面を見て、僕は思わず額に手を当てた。
沙也加の中では、これは我慢なのだ。
僕のスマホを直接確認しない代わりに、毎日報告させる。彼女にとっては、それがぎりぎりの譲歩だった。
僕が返事を迷っていると、さらにメッセージが届く。
『嫌?』
短い。
短いのに、やけに重い。
ここで「嫌」と答えたら、彼女はきっと傷つく。けれど、全部を受け入れれば、僕の日常は彼女のスケジュール表へ組み込まれていく。
それでも、僕は返信した。
『嫌じゃない』
『ただ、無理のない範囲にしよう』
既読は一瞬だった。
『無理はするものじゃなくて、裕二のためならできちゃうものだよ』
朝から、愛が重すぎる。
※ ※ ※
学校へ着くと、沙也加の席は今日も空いていた。
午前中はボイストレーニングと振付確認らしい。昨夜の電話でそう言っていた。ツアーの準備が本格化すれば、こういう日が増える。それは分かっているのに、隣の席が空いているだけで、教室の景色は妙に薄く見えた。
その空白を見ていた時、前方から結城のメッセージが届いた。
『今日の放課後、少し会いたい』
『白須賀さんいない日ばっか狙ってるみたいで嫌だけど』
『でも、会いたい』
読み終わる前に、今度は玲音から来た。
『沙也加、今日かなり詰まってる』
『でも、あの子がいない間に周りが動くのも分かる』
『あんた、ちゃんと選んだ側の顔してなさいよ』
さらに、昼休み前には柊先輩からも呼び出しが来た。
生徒会室の書類整理。
理由はそれだけだった。
けれど、行けば行ったで、そこには桜井会長がいて、柊先輩がいて、天雨までいた。
完全に包囲網だった。
生徒会室の空気は、暖房のせいだけではなく妙に熱がこもっていた。机の上には資料が広がっている。だが、誰も最初から書類だけを目的にしている顔ではなかった。
桜井会長が頬杖をついて、楽しそうに僕を見る。
「裕二くん、今日、白須賀さんいないんだよね」
「仕事です」
「そっか。じゃあ、今日は誰が裕二くんの隣にいるかで揉める日だ」
「会長」
柊先輩が静かに制した。
けれど、その制止にはあまり力がなかった。
柊先輩自身、僕の方を見ていた。副会長としての落ち着いた目ではある。けれど、その奥には、以前よりはっきりした感情があった。
「あなた、白須賀さんに報告するんでしょう」
「たぶん」
「なら、正確に書きなさい。生徒会室で会長と私と天雨さんに囲まれていた、と」
「それ、かなり誤解されませんか」
「事実よ」
否定できないのが痛かった。
天雨は窓際に立ったまま、静かに言った。
「白須賀さんは怒るでしょうね」
「分かってるなら、止めてくれ」
「止めないわ」
天雨は僕を見た。
「あなたが誰に囲まれるのか、白須賀さんにも知ってもらった方がいいと思うから」
その言い方に、胸の奥が少し冷えた。
これは、ただの忠告ではない。
天雨なりの牽制だ。
沙也加に対しても、僕に対しても。
自分は引いていないと、静かに示している。
桜井会長は面白そうに目を細めた。
「いいねぇ。彼女持ちになってからの方が、むしろモテてる」
「全然よくないです」
「でも、みんな本気だから大変だよね」
その軽い言葉が、妙に本質を突いていた。
みんな、本気なのだ。
沙也加を選んだことで終わった恋など、どこにもなかった。終わらなかった感情は、それぞれ形を変えて、僕の周りに残っている。
天雨は静かに隣へ立つ。
柊先輩は世話焼きの顔で距離を詰める。
結城は会いたいと素直に言う。
玲音は沙也加を気遣うふりをしながら、自分を忘れさせない。
そして沙也加は、その全部を知れば知るほど、僕を自分の中へ組み込もうとする。
スマホが震えた。
画面には沙也加の名前。
『昼の報告、まだ?』
僕は生徒会室の三人を見た。
桜井会長は笑っている。
柊先輩は無表情に近い顔で書類を整えている。
天雨は何も言わず、こちらを見ている。
僕はため息をついて、正直に打った。
『生徒会室にいる』
『会長と柊先輩と美鈴さんもいる』
『書類整理を手伝ってる』
送信。
既読はすぐについた。
数秒後。
『へえ』
その二文字だけだった。
怖い。
続けて届く。
『私がいない日に、みんなで裕二を囲んでるんだ』
『そっか』
『帰ったら、詳しく聞くね』
やっぱり怖い。
桜井会長が、僕の顔だけを見て噴き出した。
「白須賀さん?」
「はい」
「怒ってる?」
「静かに怒ってます」
柊先輩が小さく息をついた。
「あとでちゃんと説明しなさい」
天雨は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「白須賀さん、忙しくてもあなたのことは逃がさないのね」
まったくその通りだった。
※ ※ ※
夜、沙也加からの電話は予定より遅かった。
声は疲れていた。
でも、その奥に溜まったものは、疲労だけではなかった。
「裕二」
「お疲れ」
「うん。今日、ランスルーの仮確認した。立ち位置も少し変わった。足、痛い」
「大丈夫か」
「大丈夫じゃないかも」
珍しく弱い声だった。
だが、次の言葉で空気が変わる。
「でも、それより聞きたいことある」
来た。
「生徒会室で、何してたの?」
僕は全部話した。
会長にからかわれたこと。柊先輩が正確に報告しろと言ったこと。天雨が止めなかったこと。
沙也加は黙って聞いていた。
聞き終えると、ぽつりと言った。
「みんな、私がいない時をちゃんと狙うんだね」
「偶然だと思う」
「本当に?」
返事に詰まった。
沙也加は小さく笑った。
笑ったのに、声は笑っていなかった。
「いいよ。分かってる。裕二は私の彼氏だもん」
そこで一拍。
「でも、私がいない裕二の時間に、他の子がいるのは嫌」
重い。
けれど、今日はキスを求める方向ではなかった。
もっと別の重さだった。
「だから決めた」
「何を」
「裕二ノート作る」
「……何それ」
「裕二がその日、誰と何を話したか書くノート。私がツアーでいない日も、帰ってきたら読めるように」
想像以上だった。
「沙也加、それはさすがに」
「分かってる。重いよね」
沙也加の声が少しだけ弱くなる。
「でも、欲しい。裕二の一日が欲しい。私がいないところで、裕二が誰に笑ったのか、誰に困らされたのか、誰に優しくしたのか、知らないまま寝るの嫌」
電話越しに、彼女の息が震えた。
「スマホは見ない。だから、裕二の言葉でちょうだい」
重い。
管理に近い。
けれど、彼女なりに踏みとどまった結果でもあった。
僕はしばらく黙った。
そして答えた。
「毎日は無理だ。でも、沙也加がいない日は話す。ちゃんと、僕の言葉で」
沈黙。
それから、沙也加が小さく息を吐いた。
「……うん」
少しだけ泣きそうな声だった。
「それで我慢する」
我慢。
沙也加の愛は、明らかに危うい方向へ加速している。
けれど彼女は、僕の言葉で踏みとどまろうとしている。
その必死さが、重くて、どうしようもなく愛おしかった。
「裕二」
「うん」
「私、全国ツアーで遠くに行くけど」
「ああ」
「裕二の一日は、私のところに帰ってきてね」
その言葉は、恋人の願いというより、祈りに近かった。
僕は静かに頷いた。
「帰すよ」
電話の向こうで、沙也加が安心したように息をした。
その夜、僕は初めて“沙也加に話すための一日”を意識した。
誰と会い、何を話し、どこで迷ったのか。
沙也加がいない日も、僕の時間は彼女へ繋がっていく。
その事実が怖いくらい重くて、でも、もう拒みたいとは思えなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!




