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軽い気持ちで国民的アイドルと友達になったら、周りの美少女達から激重感情をぶつけられる件――え!? トップアイドルの君まで!?  作者: 沢田美


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付き合ってます!!

 屋上から廊下へ戻った瞬間、前方から伸びてきた気配に、僕は足を止めた。


 冬の昼休みが終わる直前の校舎は、どこか中途半端な熱を孕んでいる。教室へ戻ろうとする生徒たちの足音、遠くで閉じられる窓の音、次の授業の準備を始める気配。その雑多な生活音の中にあって、その人の立つ周囲だけは、不思議と空気の粒が整って見えた。


 桜井美代先輩だった。


 品のある立ち姿と、視線を引き寄せてやまない整った顔立ち。この学校の生徒会長は、ただ廊下を歩いているだけで、その場の空気にひとつ薄い膜を張る。通り過ぎる生徒たちが自然に振り返るのも、別に不思議ではなかった。青みの強い髪が蛍光灯の下で淡く光って、まるで校舎の中に一人だけ、別の物語の登場人物が紛れ込んでいるみたいだった。


「あれ? 裕二くんじゃん!」


 迷いのない声だった。


 その呼び方に、隣を歩いていた沙也加の肘が、僕の脇腹へ静かに当たった。軽く触れる、ではなかった。細い肘の先に、確かな意思だけが込められているような、小さな牽制だった。


 横目で見ると、沙也加は笑っていた。


 誰が見ても綺麗な笑顔だった。綺麗すぎて、逆に分かる。あれは、機嫌がいい時の笑顔ではない。目元の角度だけは完璧なのに、その奥で別の感情が静かに研ぎ澄まされている時の顔だった。


 僕がその意味を理解するより少し早く、桜井先輩の視線が、僕ではなく僕の隣へ滑った。


「……あ」


 先輩の目が、ほんの少しだけ面白そうに細められる。


 その直後、先輩の後ろからもう一人、長身の人影が現れた。


 背が高く、肩幅が広い。制服の上からでも体格の良さが隠しきれていない男だった。桜井先輩の隣へ立つその動きには、遠慮がない代わりに馴れ馴れしさもない。長い時間を共有してきた人間だけが持つ、自然な距離感だった。


「初めまして」


 柔らかい声だった。


「美代の彼氏の、和樹景和(かすき・けいわ)です。サッカー部の部長もやってます」


 そう言って、和樹先輩は僕へ向かって手を差し出した。


 ごく普通の挨拶だった。普通の、はずだった。


 けれど、その手に先に触れたのは僕ではなかった。


 沙也加だった。


 笑顔のまま、一歩だけ前へ出る。細く白い指先が、差し出された和樹先輩の手をさっと取った。その動作はあまりにも自然で、一瞬だけ何が起きたのか分からなかったほどだった。握手のようでもあり、違うようでもある。絶妙に曖昧な力加減で、和樹先輩の手の行き先だけを自分の方へずらした格好になった。


 国民的トップアイドルに突然手を取られた和樹先輩は、さすがに少し面食らったらしい。けれどすぐに苦笑して、その場に合わせるように軽く手を返した。


 沙也加は笑っていた。


 やっぱり完璧な笑顔だった。けれど、その目の奥には、ごく薄く、しかし見逃しようのない光が宿っていた。


 ――近づくな。


 言葉にすれば、それだけの意味が圧縮されている目だった。


 桜井先輩は、その一連のやり取りを、面白そうに見ていた。止めない。驚きもしない。ただ、恋愛沙汰に対する嗅覚の鋭い人間特有の、少し楽しげで、少し意地悪な好奇心だけを目元へ浮かべている。


「へえ」


 先輩は小さく笑うと、今度は自分から沙也加へ手を差し出した。


「初めまして、じゃないかな。前から顔は知ってるけど、ちゃんと話すのは初めてだよね」


 それに対して沙也加もまた、即座に笑顔を切り替えた。


 さっきまでの静かな牽制を何もなかったみたいに引っ込めて、今度は誰が見ても愛想のいい優等生の顔になる。そういう切り替えの速さが、この人の一番怖いところかもしれなかった。


「はい。白須賀沙也加です。よろしくお願いします」


 柔らかい声音でそう返し、今度はちゃんと握手を交わす。


 僕はその横で、完全に蚊帳の外だった。


 和樹先輩がいて、桜井先輩がいて、沙也加がいて、その間に僕がいるはずなのに、やり取りの主導権は最初からずっと彼女たちの側にあった。男である僕だけが、会話の流れから半歩ずつ置いていかれる。この構図には妙な既視感があった。文化祭の準備中も、林間学校でも、結局いつもこうだった気がする。


 そこへ、廊下の奥から書類の角が光を反射した。


 柊先輩だった。


 腕に抱えたファイルと書類の束を落とさないように支えながら、いつもの落ち着いた足取りでこちらへ来る。その横顔には、相変わらず無駄がない。仕事の途中、という言葉がこれほど似合う人もなかなかいないだろうと思う。


 だが、桜井先輩がその姿を見つけた瞬間、空気がまた変わった。


「柊ちゃん!」


 弾んだ声だった。


 桜井先輩はそのまま、ためらいなく柊先輩へ抱きついた。


 書類の山が危うく傾ぐ。柊先輩は慣れた様子でそれを支え直しながら、片手で桜井先輩の肩を受け止めた。拒まない。受け止めることに躊躇がない。その距離感だけで、この二人の付き合いの長さが分かった。


「会長、危ないです」


「だって柊ちゃんいたから」


「理由になってません」


 言葉は淡々としているのに、柊先輩の声音には本気の拒絶が混じっていない。その微妙な甘さが、長年の親友という関係をいちいち説明するよりずっと分かりやすかった。


 桜井先輩は柊先輩にじゃれついたまま、今度は僕へ視線を向けた。


「ねえ、裕二くん。ちょっとだけ、生徒会の仕事手伝ってくれない?」


「どうして僕が」


 ごく真っ当な疑問だった。


 だが、桜井先輩はそれに答えなかった。


「いいからいいから!」


 その声の勢いだけで、質問の権利そのものを剥奪するタイプの押し方だった。


 和樹先輩が「美代」と苦笑気味に呼んだが、会長は気にしない。柊先輩の腕を引き、書類を押しつけ、さらに僕へ向かって「ほら」と手招きをする。気づいた時には、僕もその流れの中へ引き込まれていた。


 そして、そんな無茶苦茶な流れに、沙也加は一言も異を唱えなかった。


 唱えない代わりに、ぴたりと僕の後ろをついてきた。


 それが、この人なりの答えだったのだと思う。生徒会の仕事に興味があるわけではない。ただ、僕が巻き込まれたのなら、自分もそのままついていく。それだけの話だった。


※ ※ ※


 生徒会室へ入った瞬間、冬の校舎の冷たさが一段薄くなった。


 暖房の効いた部屋特有の、少し乾いた空気。机の上に積まれた書類、棚に並ぶファイル、窓際から差し込む午後の光。そのどれもがきちんと整っていて、この部屋だけは学校の中でも時間の流れ方が違うように思える。


 桜井先輩は適当に椅子を引くと、そのまま机の向こう側へ座った。会長席、というほど仰々しい場所ではないのに、この人が座るとそこが中心になる。柊先輩は書類を整えながら隣へ腰を下ろし、手際よく散らばった紙の順番を直していく。


 沙也加は室内を一度だけ見回した。


 生徒会室という空間に対する警戒と、ここにいる人物たちへの評価を、一瞬で終えたのだと思う。その上で、何も言わずに僕の隣の椅子へ座った。ごく自然な動作だった。自然すぎて、最初からそこが自分の場所だと決めていたようにさえ見えた。


 結果として、向かい合う形になった四人分の空気が、部屋の中で妙に均衡した配置を作る。


 桜井先輩は両肘を机につき、指を組んで顔の前へ持ってきた。


 何かを切り出す時の、この人特有の間だった。


「それでー?」


 楽しそうだった。


「二人は付き合ったの?」


 開口一番、それだった。


 室内の空気が、一拍だけ止まる。


 僕より先に反応したのは沙也加だった。


 ほんのコンマ数秒だけ、目元が揺れた。動揺と呼ぶほど大きな揺れではない。けれど、あの白須賀沙也加が一瞬でも表情の制御を乱したのなら、それは十分に“動いた”と言える。


 次の瞬間には、もう笑顔が戻っていた。


 アイドルとしての制御力が、こういう時ほど恐ろしく正確に発揮される。


「はい」


 さらりと答える。


「付き合わせてもらっています」


 あっさりしすぎていて、逆に現実味がなかった。


 学校では内緒。誰にも知られないように。そういう前提で続けてきた関係を、ほとんど初対面に近い桜井先輩へ向けて、沙也加はまるで今日の天気でも話すみたいに認めた。たぶん、もう隠すことに対する不満の方が大きくなっているのだろう。付き合ってからのこの人は、そういう意味でも前よりずっと重く、ずっと正直だった。


 僕も続いた。


「沙也加の言う通りです。付き合っています」


 自分の口から言葉にすると、改めて重みがあった。


 白須賀沙也加と付き合っている。


 その事実は、一ヶ月以上経った今でも、ときどき急に現実味を持って僕の前へ現れる。今が、まさにそういう瞬間だった。


 桜井先輩は、それを聞くと満足そうに笑った。


「そっか」


 その笑みは、どこか予想通りの答えを聞いた人間の顔だった。


「叶ってよかったね、裕二くん」


 林間学校の前日、この生徒会室で好きな人の名前を口にした時のことを思い出した。あの時、「付き合えるといいね」と言っていた人が、今、目の前でこんな顔をしている。


「時間はかかりましたが」


「でも、その分ちゃんと選んだってことでしょ?」


 そう言われると、否定はできない。


 沙也加が机の下で僕の袖をそっと引いた。短い動きだった。けれど、会話の流れに合わせてその力がわずかに強くなるあたり、本当に分かりやすい。


 隣で静かに、しかし確実に圧を蓄積させている。


 柊先輩は窓の方を向いたまま、しばらく会話を聞いていた。何も言わない。その横顔は相変わらず静かだったが、窓ガラスへ映る光の揺れのせいか、それとも本当にそう見えたのか、どこか整理しきれていない影が薄く差しているようにも見えた。


 桜井先輩は、その柊先輩を横目で見た。


 見て、にやりとした。


「何しょげてるのさ、柊ちゃん」


「しょげてないです」


 返事はすぐだった。


 けれど、少しだけ速すぎた。速すぎる返答は、時々それだけで本音の輪郭を浮かび上がらせる。


「してるじゃん」


 桜井先輩は楽しそうだった。楽しそうなのに、妙なところまで容赦がない。


「裕二くんのこと、好きなんでしょ」


 今度こそ、柊先輩の返答は一拍遅れた。


 その一拍だけで、肯定はほとんど済んでいた。


 普段なら、冷静な否定や、話題を流すための言葉がすぐ返ってくる人だ。なのに、今日に限ってはそれが出ない。出ないという事実が、そのまま答えの代わりになっていた。


 桜井先輩は容赦なく追い打ちをかける。


「だったら、目の前のトップアイドルから掻っ攫う勢いでいかないと!」


 生徒会室の午後の光の中で、その言葉はあまりにも軽やかに響いた。


 軽やかなのに、内容は少しも軽くない。


 柊先輩の口元が、わずかにだけ緩んだ。


 笑った、というより、苦いものを嚙み潰した拍子に少しだけ形が崩れた、そういう口元だった。大人で、冷静で、仕事のできる副会長であるこの人にも、どうしたって整理しきれない感情があるのだと、その一瞬だけで分かってしまう。


 そして、その瞬間だった。


 僕の隣の空気が、音もなく変わった。


 沙也加の笑顔は崩れなかった。


 崩れないまま、温度だけが下がった。


 ああ、この感じだ、とすぐに分かった。付き合い始めてから学んだことのひとつだった。この人が本当に危ないのは、感情を大きく露わにした時じゃない。逆だ。笑顔を消さずに、感情だけを静かに冷やした時の方が、ずっと重い。


「いいですよ」


 沙也加は、柔らかい声で言った。


 あまりにも柔らかくて、内容だけを聞かなければ肯定なのかと思うほどだった。


「受けて立ちますよ」


 その五文字に、怒りはなかった。


 威圧も、露骨な棘もない。


 ないからこそ、重かった。


 国民的トップアイドルが、副会長へ向けて、笑顔のまま宣戦布告をしていた。しかも、生徒会室という妙に現実的な場所で。窓から差す冬の午後の光の中、その言葉だけが異様に濃い密度を持って空気へ溶けていく。


 柊先輩は、真正面から沙也加を見た。


 感情を表へ出さない人の目に、この瞬間だけは、わずかな火が灯ったように見えた。それは怒りではない。対抗心とも少し違う。もっと静かで、もっと理性的で、それでも間違いなく熱を持ったものだった。


「怖いですね」


 柊先輩はそう言った。


 声音は静かだ。静かなのに、意味はかなり濃い。


「受けて立たれる立場になるとは思ってませんでした」


 それは敗北宣言ではなかった。むしろ、きちんと向き合う側の声だった。


 沙也加は笑ったまま、目を細める。


「怖いなら引きます?」


「引く必要があると思ってません」


 即答だった。


 その瞬間、生徒会室の空気はさらに少しだけ薄くなった。


 桜井先輩は、その攻防を見ながら頬杖をついたまま楽しそうにしていた。和樹先輩は扉の近くへ立ったまま、完全にこの場の空気に呑まれていた。たぶん、ここへ来た時点では、ただの恋愛話くらいにしか思っていなかったのだろう。けれど、今この部屋に流れているのは、そういう可愛い温度ではなかった。


 僕だけが、その中心で黙るしかない。


 止めるにも、何をどう止めればいいのか分からなかった。桜井先輩が軽やかに火をつけ、柊先輩が静かに火を受け取り、沙也加が笑顔のまま燃やし返している。そこへ僕の言葉が入る隙間なんて、最初からなかった。


 そして、そんな空気の上へ、昼休みの終わりを告げるチャイムが重なった。


 校舎中へ広がる金属的な音が、現実へ戻れと告げてくるみたいに耳へ落ちてくる。


 沙也加は立ち上がった。


 その動作は、驚くほど普通だった。椅子を引く手も、髪を耳へかける仕草も、さっきまでの宣戦布告をした人と同じとは思えないほど自然で、綺麗で、いつもの白須賀沙也加だった。


 けれど、机の下では違った。


 立ち上がる直前、沙也加の指が、僕の手首を一度だけ掴んだ。


 強くはない。


 でも、ただ触れただけでもなかった。


 確認するみたいに。縋るみたいに。さっきまで柊先輩へ向けていた静かな敵意とは、まったく別の温度で。


 手首一本分の重さしかないはずのその接触が、なぜかものすごく切実に感じられた。


 ――取らないで。


 ――ちゃんと私の方を見て。


 そんな言葉が、何も言わない指先の方から流れ込んでくるようだった。


 そして沙也加は、すぐに手を離した。


 離したあとには、もう何もなかったみたいな顔で扉の方へ向かっていく。


 それなのに、僕の手首には、その短い接触の重さだけが、妙にはっきりと残り続けていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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