表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
軽い気持ちで国民的アイドルと友達になったら、周りの美少女達から激重感情をぶつけられる件――え!? トップアイドルの君まで!?  作者: 沢田美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

67/73

決心と行動

 文化祭が終わって一週間が経った。


 季節は本格的に秋の色を深めていて、学校の木々は赤と黄色の境目を行き来し、風は朝晩になると明らかに冬を予感させる温度を混ぜてくるようになった。登校途中の銀杏の並木は、歩くたびに足元で葉を散らしていく。僕はその葉の散り方を、いつもより少しだけ長く眺めるようになった気がした。


 文化祭の後、白須賀はしばらく学校を休んだ。


 芸能活動のスケジュールが詰まっていて、特番の収録と冬に向けたプロモーションで動けないらしい。本人からの連絡はほとんど毎日来ていた。朝に「おはよ」、昼に「何食べた?」、夜に「今日は疲れた」。添えられる絵文字は日によって違った。ただ、それ以上のことは書かれなかった。あの準備室で自分のブラウスの釦を三つまで外した白須賀が、そこから一歩も踏み込まない文面で連絡を続けてくることの方が、かえって僕の胸の奥をじわじわと締めつけた。


 代わりに学校で僕の近くにいる回数が増えたのは、天雨美鈴の方だった。


 天雨は白須賀が不在の教室で、静かにいつもの立ち位置を維持していた。声高にアピールすることもなく、あからさまに距離を詰めることもない。ただ、昼休みに屋上へ上がれば必ずいた。放課後の下駄箱で偶然みたいに遭遇する回数が、確実に増えていた。偶然ではないことを、僕も天雨も分かっていて、それを誰も口にしない。そういう微妙な均衡の上で、この一週間は流れていた。


 ときおり、柊先輩が廊下で声をかけてきた。体調管理の確認から入って、何気ない世間話で終わる。その世間話の中に、いつも少しだけ先輩の熱が混じっていた。玲音からの連絡も途絶えなかったし、明日香と静からも短いメッセージが届いた。結城葵は林間学校以来、前よりも一段深い距離感で僕の日常へ滲み込むようになっていた。


 みんな、それぞれの場所で、僕の返事を待っていた。


 返事――そう呼べるかどうかは別として、僕がいつか自分の内側を明かす時のことを、ずっと待っている人たちだった。


 僕自身はと言えば、文化祭の夜以来、ずっと頭の中に靄のようなものを抱えていた。


 あの準備室で何があったかを、誰にも言えなかった。白須賀にすら、あの日以降、一度もあの話題に触れていない。白須賀の方からも触れてこなかった。触れないまま、けれど確実に、あの出来事は僕と白須賀の間に一本の線を引いていた。その線の上で、僕はずっと立ち尽くしていた。


 自分の中に答えがないわけじゃなかった。


 林間学校の前日、生徒会室で桜井先輩にあの人の名前を口にしたとき、僕は自分で自分の輪郭をはっきり掴んだはずだった。あの名前を声に出した瞬間、胸の奥で確かに何かが定まった。だから、答えがない、わけじゃない。ただ僕は、その答えを持ったまま、口を噤み続けていただけだ。


 みんなから向けられる感情を受け止めると決めたのは、夏の終わりだった。花火の下で、あの約束をした時は、本気でそう決めたつもりだった。けれど、受け止めるというのと、答えるというのは、別の話だった。答えを出すということは、必ず誰かを選ばない、ということを同時に意味する。それが、怖かった。


 他の誰かを拒むという行為を、僕は最初からずっと避けていた。それは優しさの顔をしていたけれど、その実は逃げだった。選ぶ勇気がないから、選ばないで済む状態を維持していた。全員に対して中途半端な形で立ち続けることが、一番痛みが少ないように見えた。誰も突き放さないで済むから、自分の手は汚れなくて済むと、どこかでそう思っていた。


 陰キャのままだった頃の自分が、まだ抜けきっていなかった。


 恋愛をめぐって必ず生まれる傷と、選ばなかった人への負い目と、その先で自分を嫌いになる可能性と――そういうものの全部を、もう一度引き受けるほどの覚悟が、僕にはなかった。好きな人を自覚したあとも、その自覚を行動に繋げられなかったのは、ただひたすらにそれが理由だった。


 明日香が海で言ったあの言葉は、耳に残り続けていた。資格なんて、最初から誰にもない。分かっていた。分かっていたのに、その言葉を自分の足元に置くことが、どうしても怖かった。


 靄は、そういう僕の臆病さの形をしていた。


 文化祭から八日目の放課後だった。


 その日、僕は図書室の隅で少し遅くまで残っていた。課題のためというより、単純に家へまっすぐ帰る気になれなかったからだ。窓際の席で文庫本を開いていたけれど、ページはほとんど進んでいなかった。目は文字の上を滑って、頭の中では色々な顔が、順番に交替で浮かんでくる。


 一時間ほどそうしていたら、スマホが震えた。


 画面に出ていたのは、玲音の名前だった。


『今、学校の近くにいる。少しだけ会えない?』


 文面に、絵文字はついていなかった。


 玲音から来るメッセージにしては、珍しく事務的な温度だった。何かあったのだろうか、と思いながら、僕は文庫本を閉じて返事を送った。


『どこにいる?』


『学校の裏の、川沿いの公園。見ればすぐ分かる』


 鞄を持って、図書室を出た。


※ ※ ※


 学校の裏手に抜ける道を通って、川沿いの公園へ向かった。


 夕方の五時を少し過ぎていた。空はまだ明るさを残していたけれど、西の方から橙色が広がり始めていて、もうすぐ暮れるのが分かる光量だった。公園には人影がほとんどなかった。ベンチがいくつかと、遊具が少しと、川の方へ向いたフェンスだけの、狭い街の公園。


 そのフェンスの前に、玲音が立っていた。


 キャップを目深に被って、薄手のパーカを羽織っている。変装らしい変装ではないけれど、遠目からだと神崎玲音だとは気づかれにくい格好だ。玲音は川の方を向いたままで、僕の足音が近づいても振り返らなかった。振り返らないのが、少し不自然だった。


「玲音さん」


 声をかけると、玲音はようやく顔だけをこちらへ向けた。


 その顔が、いつもの玲音の顔ではなかった。表情そのものは淡々としていたけれど、目の奥に、言葉にするのをためらっているような色が浮かんでいた。玲音は何かを判断しかねている時にこういう顔をする。芸能界で色々なものを見てきた人間の、状況を見極めようとしている時の顔だった。


「呼び出してごめん」


「ううん。近くにいたんだし」


「隣、座って」


 玲音はベンチの方へ歩いていって、川を見渡せる位置に腰を下ろした。僕はその隣に座った。ベンチの木は秋の夕方の冷たさを少しだけ吸っていて、座った瞬間にひやりとした。


 しばらく、玲音は黙っていた。


 川の水面は夕陽の光を受けて、細かく光っていた。鳥が数羽、川の中州の草の上に止まっている。遠くで小学生の声が響いていた。


 玲音はキャップのつばを少しだけ持ち上げて、川の方を見たまま口を開いた。


「沙也加のこと、話していい?」


 その問いかけに、僕は少しだけ身構えた。


 玲音の声の温度が、いつもと違っていた。恋敵を牽制するような張り詰め方ではなかった。もっと奥の、もっと柔らかな、けれどだからこそ重たい温度だった。


「うん」


 玲音は頷いて、また川の方へ視線を戻した。


「沙也加はね、デビュー直後は、まだあの子もそんなにバカみたいに売れてなかった」


 初めて聞く話だった。


「その頃の沙也加、ちょっと普通じゃなかった。仕事の量がおかしいのに、一回も休まないし、一回も弱音吐かない。ステージから降りても笑ってる。あれ、絶対どこかで歪むなって、私でも分かってた」


 玲音の声は、いつもより低かった。普段アイドルとして話す時のトーンではなく、友人として何かを語るときのトーンだった。


「でも沙也加、歪まなかったの。不思議なくらい、歪まなかった。ずっと、あの完璧な"白須賀沙也加"のままでいた」


 川の水面で、魚か何かが跳ねた音がした。


「私、ずっと不思議だったの。なんでこの子は壊れないんだろうって。でもね、最近分かった」


 そこで玲音は、ようやく顔をこちらへ向けた。


 まっすぐ、僕を見ていた。


「沙也加、壊れない場所を自分の外に作ったんだと思う」


 言葉の意味を、一拍遅れて理解した。


「その場所が、沢渡なんじゃないの?」


 玲音は、僕の反応を見極めるような目で、続けた。


「沙也加が壊れないためには、沢渡がいる場所が壊れちゃいけない。沢渡が揺らいだら、たぶん沙也加の全部が崩れる。あの子はそれを分かってるから、文化祭のあとも、連絡は送ってくるけど、それ以上を踏み込めないんだと思う」


 文化祭のあとのことを、玲音は知らないはずだった。あの準備室での出来事は、誰にも話していない。白須賀も話していないはずだ。けれど玲音は、白須賀が連絡だけ続けて踏み込まずにいるというその事実から、何かを正確に読み取っていた。やはり同業として長く並んで立ってきた人間の観察眼は、ずば抜けて鋭かった。


 僕は、膝の上で手を組んだまま、川の方を見ていた。


 夕陽が水面で砕けている。砕けた光の粒がゆっくり流れて、川の下流へと運ばれていく。


「玲音さんは」


 自分の声が、思ったよりかすれていた。


「なんで、それを僕に言いに来たの」


 玲音はしばらく黙っていた。キャップのつばに指を添えて、少しだけ深く被り直した。


「私も、沢渡のこと好きだから」


 それは、僕が今まで玲音から聞いたことのない種類の告白だった。


 玲音は、いつも軽口の中にほんのわずかだけ本音を混ぜてくる人だった。正面からまっすぐ「好き」と言われたのは、この瞬間が初めてだった。けれど、その言葉が、今の玲音の口からは、ひどく重く響かなかった。重くなかったのではなく、諦めを含んでいたからだった。


「でも、沙也加の場合は違うの」


 玲音は続けた。


「他の子と比べるのも失礼だけど、沙也加は、沢渡が曖昧にしている間ずっと、たぶん一番無理してる。無理したまま、周りには完璧を見せ続けてる。それ、本当は誰にも気づかれないまま、ゆっくり壊れていく種類のやつだと思う」


 川の音が、耳の中でやけに大きく聞こえた。


「私、沙也加が壊れるところ、見たくない」


 玲音の声は、震えていなかった。震えていなかったぶんだけ、本気だった。


「だから沢渡、頼むから、ちゃんと答え出してあげて」


 玲音は、僕の方を見なかった。


 川の方を見たまま、続けた。


「私も含めて、みんな曖昧なままにしてるの、沢渡のためじゃないよ。沢渡が優しいのは分かってる。全員を傷つけないようにしてるのも、分かってる。でもね、その優しさがいま、一番沙也加を追い詰めてる。他の子は大丈夫。私も大丈夫。美鈴ちゃんも、たぶん大丈夫。でも、沙也加だけはたぶん、本当にダメになる」


 胸の奥で、何かがゆっくりと沈んでいくのを感じた。


 玲音の言葉は、白須賀について話していた。白須賀を守ってほしい、と言っていた。恋敵について、一番近くで戦ってきた相手のために、自分の恋を半分捨てて僕の前に座っていた。それはそのとおり受け取るべき言葉だった。


 けれど同時に、玲音の言葉は僕の内側の別のところにも刺さっていた。刺さったのは、白須賀という固有名詞よりももっと手前にある、「曖昧にしている」という一点だった。この一週間ずっと、靄の中で立ち尽くしていた僕の足元を、玲音はまっすぐに指差していた。


 他の子は大丈夫、と玲音は言った。


 それは、白須賀が一番危ういという話のつもりで玲音は口にしたのだと思う。けれど、その言葉が正しいとしても、正しくないとしても、どちらにしても同じ結論へ辿り着く。僕が曖昧を続ける限り、誰かに負担がかかり続ける。濃度の差はあっても、全員が少しずつ、それぞれの形で擦り減る。一番大きい擦り減り方を引き受けているのが誰なのか、それは僕が決めることじゃない。けれど、擦り減らせ続けていること自体は、僕の責任だった。


 そしてもうひとつ、玲音の言葉に刺された場所があった。


 答えを出すというのは、誰を選ぶかを決める、という意味だけじゃない。自分の内側に既にある答えを、行動の形に変える、ということだ。僕の答えは、林間学校の前日にはもう持っていた。持ったまま、この一か月以上、僕は一度もそれを動かさなかった。動かさないまま全員の前に中途半端な姿で立ち続けていた。それは全員に対する不誠実だった。選ばれなかった人への不誠実ですらなく、その手前の、選ばないという態度そのものが不誠実だった。


 玲音は、そのことを名指ししなかった。


 名指ししないまま、ただ「答えを出してあげて」とだけ言った。その"誰に"が曖昧なことは、たぶん玲音自身も分かっていた。分かっていて、自分が口にできる最大限のところで止めてくれた。そういう人だった。


 僕は、玲音の横顔を見た。


 キャップの下で、玲音は川を見ていた。夕陽の赤が、玲音の輪郭を淡く縁取っていた。


「玲音さん」


「……ん」


「ありがとう」


 玲音は、少しだけ肩を震わせた。


「それ、本当に言う?」


「言う。玲音さんが来てくれなかったら、たぶん僕、あと一週間くらい同じ場所で立ち尽くしてた」


 玲音はしばらく黙っていた。


 それから、キャップのつばの下で、小さく笑ったのが、肩の動きで分かった。


「バカだね、本当」


「知ってる」


 玲音は立ち上がった。


 ベンチから離れる時に、一度だけ振り返った。キャップのつばが、ほんの少しだけ持ち上がって、玲音の目が見えた。目は、少し赤かった。


「ちゃんと、動いてあげて」


 玲音は最後に、そう言い直した。


 「伝えて」ではなく「動いて」だった。たぶん玲音は、僕が誰に向かって何をするかを、自分では決めないようにしている。決めないまま、ただ、動くことだけを頼んでいた。そういう線の引き方を、玲音はちゃんと選んでいた。


 玲音は公園から出ていった。


 僕はベンチに座ったまま、玲音の背中が夕陽の中に溶けていくのを見送った。


※ ※ ※


 家に帰った後、夕食を食べて、風呂に入って、自分の部屋のベッドに腰を下ろした。


 窓の外では、秋の風が木の葉を揺らす音がしていた。いつもの夜だった。いつもの夜のはずなのに、胸の奥はもう、いつもの夜ではなかった。


 スマホを手に取る。


 画面を開くと、今日もいつもの時間に届いた短い文面が表示された。短くて、絵文字はいつもの小さなマークひとつ。文化祭のあとずっと続いていた温度のままの連絡だった。


 僕はしばらく、その文字を見つめていた。


 見つめたまま、林間学校の前日、生徒会室で口にしたあの名前を、頭の中でもう一度だけ呼んだ。声に出さずに、自分の内側の一番奥で。その名前は、声に出した時と同じ重さで、胸の奥にしっかりと落ちた。


 答えは、ずっとそこにあった。


 僕はただ、それを動かす勇気を持っていなかっただけだ。全員を傷つけないで済む方法を探しているふりをして、実際には、選ばれなかった誰かに対して責任を持つ立場に立つことから逃げていた。その逃げの時間が、誰かを擦り減らし続けている。玲音がそれを教えてくれた。


 逃げない、と決めた夏の約束を、ようやく本当の意味で果たす時が来たのだと思った。


 指先が、メッセージの入力欄に触れる。


 打ち込む相手は、あの名前の人だった。生徒会室で桜井先輩に初めて声に出したあの人で、いま画面の向こうで僕の短い返事を待っている人――とは限らない相手だった。いま僕が送るメッセージの行き先は、いま毎日短い連絡をくれている人とは、別の人かもしれない。同じ人かもしれない。それを僕は画面を伏せて、自分の胸の中だけで確かめた。


 確かめて、短く打ち込んだ。


『近いうちに、二人で会える時間ある? ちゃんと話したいことがある』


 送信した。


 既読がつくまで、少しの時間があった。


 その少しの時間のあいだ、部屋の天井を見上げていた。天井の木目が、いつもより深く見えた。決めた、と今度ははっきり思った。この曖昧な空気を終わらせる。全員に対して誠実でいようとして全員を中途半端にしてきた、この半年以上続いてきた状態を、僕の側から終わらせる。選ぶということは、誰かを選ばないということで、その負い目を僕が引き受けるということだ。引き受けると、決めた。


 やがて、画面に既読の文字がついた。


 返事の文字が、ゆっくりと浮かび上がってきた。


 その文面を読んで、僕はスマホをそっと枕元へ伏せた。


 窓の外で、風がもう一度だけ木の葉を揺らした。


 明日か、明後日か、もう少し先か、それは分からなかった。ただ、動くことだけが、もう揺るがなかった。玲音が最後に言った言葉の通り、僕は動く。動いた先でその人に何を言うかは、もう胸の中で整っている。あとは、顔を見て、口に出すだけだった。


 その夜、僕はいつもより少しだけ早く目を閉じた。


 瞼の裏に浮かんだのは、生徒会室の窓から差し込んでいた、昼の秋の光だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ