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軽い気持ちで国民的アイドルと友達になったら、周りの美少女達から激重感情をぶつけられる件――え!? トップアイドルの君まで!?  作者: 沢田美


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上書き

 その日の帰り道、僕は最後まで落ち着かなかった。


 白須賀から届いた文面も、天雨から届いた短い予告も、どちらも画面を閉じた程度で消えるものではない。首元に残った熱が制服の襟へ擦れるたび、保健室で起きたことが嫌でも蘇る。乱れた呼吸も、押さえつけられた手首の感触も、柊先輩の静かな忠告も、何ひとつ整理できないまま僕の中へ積み重なっていく。


 駅へ向かう途中、夕暮れの街はどこまでも普通だった。


 信号待ちをする学生、買い物袋を提げた主婦、塾へ急ぐ小学生。誰も彼も、自分以外の誰かの感情に押し潰されそうになっているようには見えない。そんな平凡な景色の中を歩いていると、余計に自分だけが現実からずれている気がした。


 改札の前まで来たところで、僕はようやく足を止めた。


 そこに、天雨がいた。


 制服姿のまま、騒がしい駅前の雑踏から少し外れた柱のそばに立っている。特別目立つ動きをしているわけではないのに、彼女の周囲だけ空気が静かに見えた。黒髪も、整いすぎた横顔も、まるで最初からそこにいることが決まっていたみたいに馴染んでいる。


 それでも僕は一瞬だけ、本当に偶然かもしれないと思った。


 けれど、天雨は僕を見つけると、迷いなくまっすぐこちらへ歩いてきた。


 偶然ではなかった。


「来ると思ってた」


 第一声がそれだった。


 人の波に紛れてしまう程度の小さな声なのに、僕にはやけにはっきり聞こえた。


「待ってたのか」


「ええ」


 天雨は否定しない。


「今日は、先に行くって言ったでしょう」


 保健室のあと、画面越しに突きつけられた短い文面が、そのまま現実になって立っていた。


 僕は少しだけ息を吐く。


「何の用?」


「少しだけ話したい」


 簡潔だった。


 けれど、その簡潔さの奥にあるものは決して軽くない。断ろうと思えば断れたはずだ。なのに、天雨の目を見た瞬間、それがただの会話で済まないことも、ここで背を向けたらもっと面倒になることも分かってしまった。


 僕は黙って頷いた。


 天雨はそれを見て、ほんの少しだけ目を和らげる。そして人通りの多い正面口ではなく、駅舎の横手にある細い通路の方へ歩き出した。飲食店の裏手へ抜ける、あまり人の通らない道だった。夕方の光が建物の影に遮られて、少しだけ薄暗い。


 そこでようやく、天雨は立ち止まった。


 すぐ近くで電車のアナウンスが聞こえる。雑踏の音も遠くはない。けれど、この通路だけは妙に静かで、言葉ひとつがそのまま残ってしまいそうな空気があった。


 天雨は僕へ向き直る。


 目が合う。


 その瞳は静かだ。いつも通り静かで、落ち着いていて、取り乱したところなんてひとつもない。なのに、その奥にある感情だけが、前よりずっと深くなっている。


「副会長と白須賀さんのこと」


 そう言われて、喉が少し詰まった。


「説明してもらうつもりはないわ」


 天雨はすぐに続ける。


「見れば分かるもの」


 その声音には責める色がない。ただ事実だけを受け取って、その事実がどういう意味を持つのかを自分なりに整理し終えている響きだった。


「でも、確認したいことはある」


「……何を」


「あなたが、流されてるだけなのかどうか」


 真正面から来た。


 答えづらい問いだった。白須賀に押し倒されるようにキスをされたことも、柊先輩に指摘された“押しに弱い”という言葉も、どちらも今の僕には痛いほど当たっている。流されているだけではない。では、自分の意思で全部受け止めているかと聞かれれば、それもまた違う。


 僕が少し黙ると、天雨はわずかに目を伏せた。


「やっぱり、そういう顔をするのね」


 失望ではない。


 むしろ、予想通りだと確認する声だった。


「あなたはちゃんと悩んでる。だからこそ厄介」


 その言い方に、僕は思わず苦笑したくなる。けれど笑える状況でもなかった。


 天雨は一歩だけ近づく。


 距離が縮まる。電車の走る音が、逆にこの狭い空間を密室みたいに感じさせた。


「私、待てるって言った」


「……うん」


「でも、それは何もしないって意味じゃない」


 保健室の時より、さらに静かな声だった。


「待ってる間に、沢渡くんの中が他の子の気配ばかりで埋まっていくの、見ていられないから」


 天雨の指先が僕のネクタイに触れた。


 ネクタイを触るその動作ひとつひとつが妙に丁寧で、だからこそ余計に逃げにくい。


「白須賀さんは、分かりやすい」


 天雨は僕の襟元へ視線を落とす。


「見えるところに残す。見せつけるために」


 そこで視線が上がる。


「ずるいと思う」


 妬みや怒りをあからさまに見せない人が、こんなに率直に言うのは珍しかった。珍しいからこそ、その一言に詰まっているものの重さが分かる。


 天雨はそのまま、僕の襟を少しだけ整えた。首元を隠すみたいに、けれど完全には隠さない位置で止める。


「だから、私は違うやり方をする」


 その意味を考えるより早く、天雨は僕の胸元へ片手を置いた。


 押すほどではない。


 でも、逃げようとすればすぐ止められる位置だった。


「沢渡くん」


 距離が近かった。


「なに、美鈴さん」


「今から、少しだけ黙って」


 その言葉の終わりとほとんど同時に、天雨の唇が重なる。


 保健室での白須賀のそれとは違って、力任せではない。けれど、拒絶の余地を与えない強さがあった。柔らかいのに、逃がさない。静かなのに、強引。彼女そのものみたいなキスだった。


 僕が息を呑んだ瞬間、その隙を塞ぐみたいにもう一度重なる。


 角度を変えられて、背中が壁へ軽く触れる。大きな音も乱暴な動きもないのに、十分すぎるほど追い詰められていると分かる。


 天雨は唇を離したあとも、すぐには距離を取らなかった。


 吐息がかかるくらい近いまま、静かな目で僕を見る。


「これなら、見える痕は残らない」


 その一言で、天雨が何を考えていたのか分かった。


 白須賀みたいに目立つ印は残さない。残さない代わりに、もっと厄介な形で残すのだ。誰にも見えない場所に、自分だけの感触を。


「でも、あなたは忘れないでしょう」


 声が低い。


「首元を隠しても、これは消えないから」


 その言い方に、背筋がぞくりとする。たしかにそうだった。今のキスは、外から見て分かる印にはならない。ならないくせに、さっきの白須賀のものよりずっと消えにくく思えた。


 天雨はそこでようやく一歩下がる。


 下がったのに、視線は少しも逸れない。


「次に白須賀さんが近づいてきたら、今までのこと思い出して」


 淡々としているのに、その内容はまったく淡々としていない。


「副会長がまた近くにいても、思い出して」


 柊先輩の名前を出さないのは、天雨なりの線引きなのかもしれなかった。けれど、副会長という立場そのものにはきちんと嫉妬しているのが分かる。


「私、誰にも見えないところで残る方が向いてるみたい」


 そう言って、ほんの少しだけ口元を緩める。


 微笑んだというより、自分で自分を少しだけ諦めたような顔だった。


 その表情が、妙に綺麗で、ひどく危うかった。


※ ※ ※


 翌日、学校へ行くと、空気はさらに面倒になっていた。


 白須賀はいつも通り完璧なアイドルの顔で教室にいた。朝のホームルーム前、クラスの輪の中心にいてもおかしくないのに、あえて僕の隣に腰を下ろして、何でもないみたいに教科書を整えている。


 ただ、その目だけが違った。


 僕が席についた瞬間、白須賀の視線はまず僕の首元を見た。それから一拍遅れて、口元へ移る。何かを見抜こうとするみたいに、静かに、執拗に。


「おはよう、沢渡くん」


「おはよう」


「……なんか、今日ちょっと静かだね」


 白須賀はそう言いながら、机の下で僕の指先に軽く触れてきた。柔らかな接触。それだけなら偶然で済ませられる。けれど、すぐには離れない。


「昨日、よく眠れた?」


「普通に」


「ほんとに?」


 ほんとに、という言い方が妙だった。


 僕が答えに詰まると、白須賀はやわらかく笑った。


「そっか」


 それだけなのに、その笑顔の奥で何かがきしんだのが分かった。


 さらに、二時間目の休み時間。


 天雨がプリントを持って僕の机まで来た。必要な連絡事項を伝えるだけの、何でもない動きのはずだったのに、その距離が近い。白須賀の視線がすぐ横から刺さる。


 天雨はそんなことに一切気づいていないふりのまま、机へプリントを置く。そしてその瞬間だけ、指先が僕の手へ触れた。


 短い。短いのに、昨日の感触を思い出すには十分だった。


「確認しておいて」


 それだけ言って、天雨は去る。


 何でもない顔で。何も残していないみたいな顔で。


 けれど、その“何もなさ”が今の白須賀には一番効いたらしい。天雨が席へ戻ったあと、白須賀はしばらく何も言わなかった。言わなかったまま、ノートを開く手つきだけが少し乱れていた。


※ ※ ※


 昼休み、屋上の扉を開けた瞬間、白須賀に腕を取られた。


 有無を言わせない、というほど乱暴ではない。けれど、拒めるかどうかで言えば難しい強さだった。そのまま金網の陰になる位置まで引かれ、背中が冷たい壁へ触れる。


 風が吹いているのに、空気はひどく熱かった。


 白須賀は僕の前に立ったまま、数秒黙る。


 整った呼吸も、きれいに整えられた髪も、相変わらず完璧だ。だからこそ、その沈黙の奥にあるものが余計に怖い。


「……昨日、何されたの?」


 真っ直ぐだった。


 回りくどさがない分だけ重い。


「別に、何も」


「うそ」


 即答だった。


 白須賀は一歩近づく。


「分かるよ、それくらい」


 その目は笑っていない。


「首には残ってない。でも、なんか違う」


 ぎくりとする。たぶん、それが答えだった。


 白須賀はそれを見逃さなかった。


「やっぱり」


 その一言のあと、白須賀の指先が僕の唇に触れた。輪郭を確かめるみたいに、ゆっくりと。背筋がひやりとする。


「美鈴ちゃん、そういうことするんだ」


 やわらかな声なのに、言葉の芯が冷たい。


「見えるところじゃなくて、沢渡くんの中に残る方を選ぶんだ」


 さすがにそこまで分かるのかと驚くより先に、白須賀はもう僕の胸元へ両手を置いていた。押しつけるわけではない。ただ、逃がさない位置取りだけは完璧だった。


「ねえ、沢渡くん」


「なに」


「私、負けるの嫌だって言ったよね」


 その言葉と同時に、白須賀はぐっと距離を詰める。額が触れそうなほど近い。


「副会長さんにも、美鈴ちゃんにも、他の誰にも」


 白須賀はそこで、ほんの少しだけ目を伏せた。


「私の方がずっと前から好きなのに、あとから来たみたいな顔されるの、ほんとに嫌」


 その吐露は、怒りと同じくらい切実だった。


 次の瞬間、白須賀の手が僕の体を引く。乱暴ではない。けれど、確実に自分の方へ傾けるための動きだった。


「だから、教えてあげる」


 そう囁いてから、白須賀は僕の首元へ顔を寄せる。制服の襟を指先で少しだけ下げ、今度は見えるか見えないかぎりぎりの位置へ唇を押し当てた。吸いつくような感触。長い。あの日より明らかに長い。離れたあとには、熱がはっきり残る。


「これなら、美鈴ちゃんも気づくかな」


 白須賀はそう言って、満足そうに目を細めた。


 もう、隠す気がなかった。


 ただ自分を残したいのではなく、誰かに見せつけるために残している。そういう段階まで来ているのだと分かる。


「次にあの子があなたに触ったら」


 白須賀の指先が、今自分が印をつけた場所をそっと撫でる。


「私、たぶんもっと酷いよ」


 それは脅しだった。


 綺麗な顔のまま、少しも崩れずに告げられる脅しだった。


 僕が何も返せないでいると、白須賀は最後に一度だけ僕の唇へ軽く触れるようなキスを落とした。さっきみたいに乱暴ではない。ないのに、怒りも執着も全部そこへ混ざっているのが分かってしまう。


「これは、上書き」


 そう囁く声は、ひどく甘かった。


 でも、その甘さの中身はもう完全に危ういところまで来ていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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