風邪をひくのはこりごりだ
『なんか今日の沢渡くん強くない?』
確かに、あの時の僕はどうかしていたらしい。いつもは強気で重い彼女たちにあんな風に返せたのは、きっと熱のせいだ。
――そう、物理的に。
頭が痛い。今にも頭がかち割れそうだ。悪寒がして、体全体がじわじわと熱い。布団の中にいるのに、熱が布団を通り抜けてくる感じがする。
「裕二、大丈夫? もうすぐ学校――て! すごい熱じゃん!」
姉の優花が僕の額に手を当てた瞬間、目を丸くした。そのままドタドタと廊下を走って、大袈裟なくらいの勢いで母と父を僕の部屋へ引き連れてきた。
「熱、あるわね」
母さんがため息混じりに言って、体温計を差し出した。表示された数字は、38度をゆうに超えていた。
「学校休んで、病院行こっか」
「分かった……」
フラフラする視界のまま着替えて、自宅を出て車に乗り込む。運転席の父さんが、バックミラー越しに心配そうな目を向けてきた。
※ ※ ※
「風邪だね。この熱だと五日くらい休んだ方がいいよ」
五日。
"五日"も学校を休める。
――五日も!?
医者からの宣告は、僕にとってこの上なく喜ばしいことのようで、その反面ひっかかりもあった。
嬉しいのは、あの重たい感情の嵐から切り離されて、静かな部屋でゲームができるということ。ひっかかりというのは、授業についていけなくなることと――彼女たちの感情がこの五日でどう変化するのかが、少しだけ心配だということだ。
病院から帰ってきた僕は、息をするようにゲーム機の電源を入れた。ピッという音と、ファンが回り始める音が部屋に響く。
しかし、ゲームは長続きしなかった。体のだるさと熱っぽさが、集中力を根こそぎ奪っていく。僕はゲーム機を置いて、ベッドに横になったままスマホを手に取った。
お昼頃、最近入れたインスタを開くと、クラスメイトのストーリーが流れてくる。教室の景色、購買のパン、くだらない一コマ。いつもなら興味のない日常が、今日だけはどこか遠くのものに見えた。
スマホが震えた。
『病欠って聞いたけど大丈夫?』
白須賀からだった。
少し遅れて天雨からも、それからなぜか柊先輩からも連絡が来た。
「みんな、忙しいな」
独り言を呟きながら、熱っぽい頭のまま眠りについた。
※ ※ ※
「沢渡くんの寝てる顔、間近で見れば見るほど可愛いね」
「白須賀さん、そんなまじまじと見てたら起きちゃう」
暗闇の中から聞き覚えのある声がする。夢か現実かの境界線が、熱のせいでぼやけていた。
ゆっくりと意識が浮上して、朦朧とする視界がはっきりしてくる。目の前に、二人の顔があった。
「白須賀さん……美鈴さん……?」
掠れた声でそう言うと、二人が同時に僕の顔を覗き込んだ。白須賀の瞳がすぐ近くにある。近すぎて、息がかかりそうな距離だった。
「沢渡くん、熱っぽい顔してる。大丈夫? キツイ?」
白須賀の手が、そっと僕の額に触れた。その手のひらがひんやりと冷たくて、熱っぽい頭に気持ちいい。白須賀はそのまま手を離さずに、心配そうに眉を寄せている。熱で鈍った頭でも、彼女の体温と香りがまともに届いてきて、少し困った。
一方の天雨は、僕の手をそっと握ってきた。細い指が、優しく絡む。
「沢渡くん、ヨーグルトとか色々買ってきたから、食べられそう?」
天雨は袋からヨーグルトや消化に良さそうなものを取り出して見せる。その仕草が静かで、でもちゃんと僕のことを考えた選び方をしているのが分かって、何か言葉を返す前に胸の奥が少し動いた。
「ありがとう。ヨーグルト食べるよ」
「食べさせてあげようか?」
「なんでそうなる……」
重い体を起こして、揺れる視界の中でヨーグルトへ手を伸ばす。指先が容器を掴みかけて――思うように力が入らなかった。
数秒の沈黙。
「……食べさせてください」
背に腹は代えられないと思い、素直に言った。その瞬間、二人の顔が同時に緩んだ。白須賀はとりわけ分かりやすく、何かを企むような顔になった。
「じゃあ食べさせてあげるよ、沢渡くん♡」
待て。待て待て待て。
寝起きで頭が回っていなかったが、ここ僕の部屋だ。家族がいる。
「あ、あの、今のなかっ――」
「はいあーん」
白須賀はスプーンでヨーグルトをすくって、有無を言わさず僕の口元へ差し出した。柔らかく熱を持った白須賀の視線がまっすぐ僕を見ている。断る言葉が出てくる前に、スプーンが口に入ってきた。
食べさせられた。完全に。
それを見ていた天雨が、静かにスプーンを手に取る。私も、とでも言いたそうに。それからは交互に、白須賀と天雨が僕にヨーグルトや体に優しそうな食べ物を食べさせ続けた。病人扱いなのに、なぜこんなに落ち着かないんだろう。
「お腹いっぱいになった?」
「はい……今にも吐きそうなくらい」
「次、いつ頃来られそう?」
「来週ぐらいには……」
「えぇー、来週まで沢渡くんに会えないのか」
白須賀が露骨に残念そうな顔をする。そしてすぐに「また来ればいっか!」と持ち前の切り替えを見せた。天雨が「それは迷惑だよ」と静かに窘めていたが、白須賀は聞いているのかいないのかよく分からない顔をしていた。
なんやかんやで夕方六時近くまで居座った二人は、揃って玄関に立った。
「じゃね! 沢渡くん! 早く元気になってね」
白須賀は玄関先で振り返って、少しだけ声を落とした。
「会えない間も、ちゃんと私のこと考えてよね」
「それはどういう……」
「冗談だよ。――半分だけ」
白須賀は笑ってドアを開けた。
天雨は白須賀の後に続きながら、ドアの手前で一度だけ振り返った。
「また来るね、沢渡くん。これは報告だから」
「お知らせどうも……」
「どういたしまして」
天雨は静かに微笑んで、ドアを引いた。
玄関が閉まった。
静寂が戻る。
――と思った瞬間。
「ちょっと! 裕二! アンタ、白須賀沙也加ちゃんと友達だったの!?」
廊下から優花が飛び込んできた。ただでさえ頭が痛いのに、その声が頭に直接響く。続けて、母さんと父さんまで現れた。
「ただの友達だよ……多分」
「多分ってなによ!」
「まさか、あのトップアイドルと知り合いだなんて……羨ましいわね」
「母さん、その羨ましいは少し違う気がする」
「「え?」」
母さんと優花が揃って首を傾けた。
「それにしても、天雨さんもチョー可愛かったんだけど! なんであんな子が裕二の家に来てるの!?」
「友人だよ、友人」
「「どういう関係なの?」」
また重なった。今度は母さんと優花が声をそろえる。
僕は熱っぽい頭のまま、二人とも友人だと説明した。信じてもらえたかどうかは分からない。
この夜だけは、僕の体調を気にする暇もないくらい、家の中が少しだけ騒がしかった。
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