それでも僕たちはここに集まる
新学期が始まったばかりの学校は、相変わらず少しだけ忙しかった。
体育館での校長先生の長い話。続く先生たちの長い話。夏休み中に溜まった課題の提出。久しぶりに登校した体に、学校という場所の重力がじわじわと戻ってくる。やっぱり夏休みは終わったのだと、そういう意味でも実感させられる一日だった。
昼休みのチャイムが鳴って、僕は久しぶりに屋上へ向かった。
廊下を抜けて、鉄の扉を押し開ける。夏の終わりの風が、ぬるく頬を撫でた。空は高くて青い。遠くに積乱雲の名残みたいな白い雲が浮かんでいて、それ以外は何もない。
そして、そこには二人がいた。
白須賀と天雨。柵に背を預けた白須賀と、少し離れた場所で文庫本を膝に開いていた天雨。二人の視線が、扉を開けた僕に同時に向けられた。
「やっぱり来た」
「来たわね」
声が重なった。白須賀の声と天雨の声が、珍しく同じタイミングで重なる。二人は一瞬だけ互いを見て、それからまた僕へ視線を戻した。
その視線が、二つ同時に降りかかってくる。
重い。種類は違うが、どちらも確かに重い。白須賀の視線はどこか嬉しそうな熱があって、天雨の視線は静かで、それでいて逃がす気のない冷たさがある。
でも――それが今の僕には、どこか心地よかった。
僕は少しだけ頬を緩めて、二人の方へ歩いた。
白須賀の隣に腰を下ろすと、夏の終わりの風がもう一度だけ屋上を吹き抜けた。
天雨は文庫本を静かに閉じて、膝の上に置いた。閉じた拍子に、しおりが少しだけはみ出している。読んでいたのか、読んでいるふりをしていたのかは、分からない。
「二人とも、示し合わせてたの?」
聞くと、白須賀が「まさか」と笑った。
「偶然だよ。でも、沢渡くんがここに来るのは分かってた」
「私も」
天雨が静かに続ける。
その二言が重なって、また少しだけ空気が凝縮した気がした。どちらも笑っていない。笑っていないのに、穏やかに見える。その穏やかさの奥に、諦める気がまるでないものが漂っているのが分かる。
僕は空を見上げた。雲がゆっくりと動いている。
「夏休み中、色々あったね」
「色々どころじゃないでしょ」
白須賀がすかさず言った。
「ナイトプールに花火に、水族館。沢渡くん、私がいない時もずいぶん楽しそうだったみたいだし」
「白須賀さん、なんでそれを知ってるの」
「知ってるよ。だって」
白須賀は当然のような顔でこちらを見る。
「沢渡くんのこと、ちゃんと見てるから」
さらっと言われると返事に詰まる。天雨は白須賀の言葉を聞いて、視線を窓の方へ逃がした。表情は動かないが、その横顔がわずかに色づいている。
「美鈴さんはどうだったの、夏休み」
「普通だったわ。塾と、あとは沢渡くんのことを考えてた」
「そう言い切るんだ」
「言い切るくらいじゃないと、あの人には負ける気がして」
天雨の視線が白須賀へ流れた。白須賀はそれを受けて、少しだけ微笑んだ。牽制でも挑発でもなく、ただ穏やかに。
「負けないよ。私は私のやり方でいくから」
「私も」
二人がまた同時に言った。
今度は二人とも、少しだけ笑った。奇妙な連帯感みたいなものが一瞬だけ生まれて、それがすぐに消える。
僕はため息をついた。
「二人とも仲良くなってる?」
「なってない」
「全然なってない」
即答だった。声だけが、またぴったり重なった。
※ ※ ※
昼休みが半分ほど過ぎた頃、屋上の扉が開いた。
顔を向けると、柊先輩だった。
サブバッグを肩にかけて、手にはコンビニの袋を持っている。扉を開けた先に僕と白須賀と天雨が揃っているのを見て、一瞬だけ目を細めた。それから何事もなかったように中へ入ってきた。
「やっぱり全員ここにいたのね」
「先輩も来るの分かってた」
白須賀がそう言うと、柊先輩は「そうかしら」と言いながら僕の反対側に腰を下ろした。
白須賀、僕、柊先輩の順に並んで、天雨が少し離れた場所から見ている。この配置が何かを意味しているような気がして、でも考えるのをやめた。
「沢渡くん、これ」
柊先輩がコンビニの袋から何かを取り出して差し出した。おにぎりと、ほうじ茶のペットボトルだった。
「先輩、どうして僕の分まで」
「新学期初日の昼休みに屋上へ来る人間が、ちゃんと昼食を用意しているとは思えなかったから」
的確すぎて言い返せない。実際、今日の昼は何も持ってきていなかった。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
柊先輩は自分の分のサンドイッチを取り出して、静かに食べ始めた。その横顔が、いつもと変わらず整っている。でも、少しだけ――耳の先が赤い気がした。
白須賀が、柊先輩の動作をちらりと横目で見てから、僕の腕に自分の腕を絡めてきた。
「沢渡くん、ほうじ茶飲む前に私に一口ちょうだい」
「自分のあるでしょ」
「沢渡くんのが飲みたいの」
柊先輩が、その会話を聞いて小さく息をついた。音がしないくらい静かなため息だったが、聞こえた。
天雨は文庫本を再び開いていたが、ページが全くめくれていないのに気づいた。
「沢渡くん」
白須賀が少しだけ声を落として言う。
「また、ここに来てね。毎日じゃなくてもいいから」
「それはまぁ、来るよ」
「約束ね」
「約束ね、て大げさだよ」
「大げさじゃないよ」
白須賀は僕の腕に絡めた自分の腕に、少しだけ力を込めた。柔らかな感触が伝わってくる。髪が頬にかかって、甘い香りが近づく。
「夏休み、花火の時。沢渡くんが自分から抱きしめてくれたでしょ」
「……うん」
「あれ、毎日思い出してる」
声が低かった。囁くような声で、僕だけに届けようとしている。
柊先輩のサンドイッチを持つ手が、わずかに止まった。天雨のページが、今度こそめくれなくなった。
「毎日は……重いかも」
「それくらいが私には普通なの」
白須賀は悪びれなく言って、それからふっと笑った。
「でも、沢渡くんも言ってたでしょ。応えるって」
「言ったよ」
「なら、もう少し私に優しくしてくれると嬉しいんだけど」
「十分優しくしてるつもりだけど」
「全然足りない」
間髪入れずに返ってきた。
柊先輩が、サンドイッチを口に運ぶ手を再開させながら、静かに言った。
「白須賀さん、少しくらい他の人の時間も考えなさい」
「先輩もここにいるんだから同じでしょ」
「私はおにぎりを届けに来ただけよ」
「そういう建前が一番ずるいと思うけど」
白須賀と柊先輩の言葉が、穏やかなのに刃物みたいに応酬する。二人とも笑っている。笑っているのに、その眼差しの奥にあるものは笑っていない。
天雨がようやく口を開いた。
「二人とも、沢渡くんが疲れてる」
三人の視線が一斉に僕へ集まった。
疲れているというより、圧に押されていたのは確かだ。でも、それを正直に言う気にもなれなくて、僕はほうじ茶のペットボトルを開けて一口飲んだ。
「疲れてはないよ」
「顔に出てる」
「天雨さんに言われると信じてしまうな……」
「美鈴、でしょ」
天雨が静かに訂正した。その声がわずかに低くて、耳に残った。
白須賀が、僕の腕をぎゅっと引き寄せた。
「ずるい、私も名前で呼んでよ」
「さっき言ったでしょ。ちゃんとした関係になってから」
「十分ちゃんとしてる」
「白須賀さんの基準は僕より高い気がする」
白須賀は唇を尖らせた。柊先輩は静かに空を見上げた。天雨は、文庫本の表紙をゆっくりと指でなぞっていた。
空が、夏の終わりの青さで広がっている。
チャイムが鳴るまでの時間、屋上には四人分の沈黙と、風の音だけが残った。
うるさいのに、静かだった。重いのに、どこか――悪くなかった。
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