今度は僕が応える番
玲音との水族館から三日後。夏休みも終盤に差し掛かり、その終盤を飾るのは僕の部屋――のはずだった。
「おーい、裕二。何ボーッとしてんの」
僕の視界には、賑わった屋台の列が広がっている。焼きとうもろこし、射的、くじ引き。夏祭りの定番が並んで、人波が熱気と一緒に流れていく。
姉の優花は焼きとうもろこしを齧りながら、僕の前をルンルンと歩いていた。何も予定のなかった貴重な一日を、半ば強引に近くの大きな祭りへ引き摺り出されている。
「……なんで僕は外に駆り出されているんだ」
「アンタ、部屋にいてもゲームしかしないでしょ?」
何も言えなかった。言えないまま視線を前へ向けると、人波の中に見覚えのある姿が見えた。
結城葵だった。友人らしき数人と浴衣を着て、楽しそうに屋台の前を歩いている。
「……」
「どったの? 裕二」
焼きとうもろこしを齧りながら優花が振り返る。
「なんでもない」
「そういえばさ、裕二の周りにいる女子友達の話、あんまり聞かせてもらってないんだけど」
優花の目が僕を捉えた。鋭いというより、純粋に興味を持っている目だ。それが余計に面倒くさい。姉に話せば話したで、どこへ転がるか分からない。
それに今日は完全に一人の日だった。白須賀と玲音はアイドル活動の取材で来れない。天雨は塾がある。柊先輩は家族と祭りを楽しむらしい。明日香と静も来ない。今日だけは、誰にも追われない時間が確約されていた。
「姉ちゃん、ちょっとトイレ行ってくる」
「行ってら〜。私は適当にそこら辺にいるから。――あ! 花火までには戻ってきた方がいいよー!」
「はいはい」
※ ※ ※
トイレから出て、ふと視線を上げた先に小山があった。
街が一望できそうな緩やかな丘で、中央には一本の大きな木が立っている。木製のフェンスで緩く仕切られていて、人影は見当たらない。祭りに来た人間は花火がよく見える土手か、屋台の近くへ集まるだろう。ここはそのどちらからも距離がある。
でも、僕にとっては好都合な場所だった。
小山の頂上に辿り着くと、予想通り誰もいなかった。遠くから祭りの喧騒が届いてくるのに、ここだけは風の音しかしない。こういう静かで平和な空間の方が、よほど僕の性に合っている。
でも――それでいてどこか寂しいとも感じた。
白須賀といれば、重いけれど、僕への優しさがちゃんと伝わってくる。
天雨といれば、重いけれど、僕という存在をまるごと受け止めてくれる。
柊先輩といれば、しっかりと管理されながらも、その隙間に確かな好意が見える。
玲音といれば、お互いに笑える時間が必ずある。
明日香といれば、周りごと明るくなる日常が見えてくる。
静といれば、自分でも知らなかった自分の何かが見えてきそうな気がする。
「……何考えてるんだ、僕は」
独り言が口から漏れた。
「結局、僕は皆からの好意から逃げて、目を背けて、ただ誰か一人を決められないだけの、愚か者だ」
言ってから、馬鹿らしくなって軽く笑った。誰を選ぶのかを、恐れているだけだ。覚悟も、相手も、まだどちらも定まっていない。
でも――いつかは答えを出さなきゃいけない。
「なんか、静かだな」
いつもは誰かがそばにいて、重い感情をぶつけてくる。それに押し流されているうちに一日が終わっていく。なのに今日だけは、ただ静かだ。
また来年、この小山の上で、僕は誰といるのだろうか。未来の自分は、ちゃんと"答え"を持っているだろうか。
遠くから、アナウンスの声が流れてきた。
『まもなく、花火が上がります』
「今年も一人か。去年は部屋で見たけど、今年は外で花火か……それだけで、少しはマシかな」
その瞬間、街全体が一度だけ静かになった気がした。
「沢渡くん」
声が聞こえた。
風が微かに揺れた。振り返った視界に、浴衣姿の白須賀沙也加がいた。
淡い白地に水色の朝顔を散らした浴衣。帯できゅっと絞られたウエストの細さと、浴衣の合わせから覗く鎖骨の白さが、祭りの灯りに柔らかく照らされていた。ゆるく下ろした髪が夜風に揺れて、その横顔がまるで一枚の絵みたいだった。
「よっす。一人で黄昏てた?」
「な、なんで……」
「仕事が早く終わってさ。試しに沢渡くんいるかなーって来たら、それっぽい人が見えて――気づいたらここにいた」
土手の方からカウントダウンを叫ぶ声が、波のように届いてくる。
「そろそろ始まるね」
白須賀は夏の終わりを惜しむような顔をした。夜空を見上げて、それからゆっくりと僕へ視線を戻す。その目が、優しかった。
遠くで、花火が打ち上がる音がした。
その瞬間、白須賀が動いた。
細い腕が伸びて、僕の体をぎゅっと抱きしめる。浴衣越しに伝わる柔らかな感触と体温が、夜気の涼しさの中でひときわ温かかった。甘い香りが鼻先を包む。白須賀の顔が僕の胸元に埋まって、その呼吸がシャツ越しに届いてくる。
「会いたかった!」
それと同時に、白須賀の顔が上を向いた。
柔らかい唇が、僕の唇に重なった。
花火が夜空に広がる。光が弾けて、僕たちを橙と金で照らした。
「……今のは反則だよ」
「えへへ、本当に会いたかったんだから仕方ないじゃん?」
白須賀は満面の笑みのまま、僕の胸に額をそっと押し当てて、安心しきったように目をつぶった。
その顔を見ていたら、僕の中の何かがゆっくりと緩んだ。考えるより先に腕が動いて、白須賀の細い体をそっと抱きしめていた。
「――ッ」
白須賀の体が、かすかに揺れた。驚いたような、それでいて嬉しそうな、そんな仕草だった。
「……僕はまだ、答えを出せない」
この半年が、頭の中を流れていった。白須賀、天雨、柊先輩、玲音、明日香、静――それぞれの顔と、それぞれの言葉と、それぞれが向けてきた感情の重さ。全部、ちゃんと届いていた。
「でも――いつか、君のことを好きだと言えるようになっていたい」
白須賀は少しの間、黙っていた。
それから、僕の胸元に顔を埋めたまま、静かに言った。
「分かった。私、それまで待つよ」
「ありがとう……白須賀さん」
「うん。でも私も、もっともーっと! 沢渡くんの一番になれるように頑張るから!」
そのセリフはどこか重かった。でも、その重さの奥に、確かな温もりが混じっていた。
腕の中の白須賀が、もう一度だけぎゅっと力を込めてきた。花火が夜空に次々と弾けて、光と音が夏の終わりを染め上げていく。
こうして、僕の夏休みは幕を閉じた。
この半年で、僕は様々な出会いと沢山のものを受け取った。だから今度は――僕がそれに応える番だ。
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