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軽い気持ちで国民的アイドルと友達になったら、周りの美少女達から激重感情をぶつけられる件――え!? トップアイドルの君まで!?  作者: 沢田美


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また一緒に行こうね

 リゾート施設を出た帰りの電車の中、僕は一人でシートに沈んでいた。


 車窓の外を夜の街が流れていく。窓ガラスに映った自分の顔が、ひどく疲れた顔をしている。


 白須賀のライブ。天雨のキス。全員からの好意。そして――『友達以上恋人未満』と、自分の口から出た言葉。


 頭を抱えたいのに、抱える気力すら残っていない。そんな僕を差し置いて、スマホが鳴った。


『明日、約束通り、私とデートしてね』


 神崎玲音からだった。


 画面を見てため息をついた。明日はどんな修羅場が待っているのか。どんな重い言葉を浴びることになるのか。でも、葵との遊びに急遽呼び出した経緯がある。約束したのは僕だ。それなりの責任はある。


「不安しかない……」


 思わず声に出してしまった。隣の乗客が少し視線を向けた気がして、僕は窓の外へ顔を向けた。


※ ※ ※


 家に帰り、夕食とお風呂を済ませて、明かりを消した部屋でベッドに倒れ込んだ。


 目を閉じると、まぶたの裏にナイトプールの青い光がよみがえってくる。水着姿の白須賀たちの輪郭。天雨の柔らかな太ももの感触。それから――静かに近づいてきた天雨の唇。


「もう忘れられないくらい毒されたな……」


 呟いて、眠りに落ちようとした瞬間、枕元のスマホが鳴った。着信画面を見る。白須賀沙也加。


 仕方なく出た。


「……もしもし」


『あ、ごめんね、いきなり電話して』


 白須賀の声だった。しかし、どこか音が響いている。反響するような、湿った空気の中にいるような声だ。


「大丈夫だよ」


『ありがと。沢渡くんの声が聞きたくなって』


「なにそれ」

 

『ね、私今お風呂なんだけど、声変じゃない?』


 その言葉の意味が一拍遅れて頭に届いて、僕の思考が一瞬だけ止まった。電話越しに伝わってくる反響音。白須賀が今いる場所の、湿った空気の気配。


「ま、まぁ……」


『じゃあよかった。ねえ、沢渡くん。私今日いっぱい頑張ったよ? ライブもそうだし――なにより、みんな沢渡くんを独り占めしようとしてたのに、私、我慢した』


「……そうだね」


『だから、何か一言ほしいかも』


 睡魔が、ゆっくりと意識を引き込んでいく。白須賀の声が、遠くなったり近くなったりする。朦朧とした頭の中で、何かが口から滑り出た。


「よく頑張ったね……沙也加」


 電話の向こうで、何かが落ちる音がした。それきり、通話が切れた。


 切れた音を確認する前に、意識が落ちていた。


※ ※ ※


 翌日。晴れ渡った空の下、僕は水族館の前に一人で立っていた。


 昨夜のことはほとんど覚えていない。電話の履歴に白須賀との記録が残っているだけで、自分が何を話したのか、何を言ったのか、霧がかかったように思い出せない。


 ただ、白須賀からメッセージが届いていた。


『録音しておけばよかった』

『また言ってくれるように頑張るね』


 "録音"という言葉が出るくらいのことを、朦朧とした意識の中で言ってしまったらしい。一体何を言ったんだ、僕は。


「お待たせ、沢渡」


 声のした方へ顔を向けると、玲音がいた。


 薄い色のサマーワンピースに、目元だけを隠すサングラス。変装にしては軽装だが、芸能人のオーラというのは隠しきれないらしく、それでも十分に可愛かった。というか、むしろこういうラフな格好の方が素に近い分だけ、目を引く。


「可愛い、よく似合ってるよ」


 自然と出た言葉だった。


 玲音は頬を赤く染めたまま、人差し指を僕の唇へそっと当てた。触れるか触れないかの力加減で、でも確かに押さえている。


「そういうのを軽々しく言わないで……照れちゃうから」


「わかりました」


「分かればよし。じゃ行こっか」


 玲音は指を離して、僕の手首を掴んで歩き出した。人混みの中へ、引き込まれるように。


※ ※ ※


 館内へ入ると、夏の熱気が一枚薄い膜みたいに剥がれた。


 冷房の効いた空気に、少し湿った海の匂いが混じっている。ナイトアクアリウム仕様の館内は照明が落とされていて、水槽だけが深い青や紫を抱え込んでいた。


 最初のクラゲ展示の前で、玲音は足を止めた。


 丸い水槽の中を、半透明の傘がゆっくり上下している。光の色が変わるたびに、漂う生き物というより、夜の中に浮いた呼吸みたいに見えた。水槽の青い光が玲音の横顔を淡く照らして、普段の鋭さが消えて、静かな輪郭だけが残っている。


「こういう落ち着いた場所、沢渡好きでしょ」


「まあ、周りに気を遣わなくていいから」


「だと思った」


 玲音は優しく笑った。アイドルとしての笑顔じゃなく、素に近い笑顔で。


※ ※ ※


 大水槽のトンネルに入ると、頭上をエイが横切っていった。


 薄青い光が床に落ちて、歩くたびに足元が水面みたいに揺れる。子どもの歓声が天井に吸われて、少し丸くなった。


 僕と玲音は、いつの間にか歩幅をそろえていた。


 肩が触れそうで触れない距離。玲音は近すぎる位置には来ない。けれど、離れる気もないらしく、僕が歩調を落とせば、同じだけ歩みを緩める。水槽の青い光が二人の間を泳いで、消える。


「綺麗だね」


「そうだね」


「私とどっちが綺麗?」


 玲音はサングラスを少しだけ押し上げて、意地悪な顔をしながら言った。


「強いて言えば玲音さんの方が綺麗」


「もう、素直なんだか素直じゃないんだか」


 玲音はそう言って、僕の横腹を肘で軽く突く。その仕草がおかしくて、僕は少しだけ笑った。


 そのままいくつかの展示を回った。小さな水槽の中を色鮮やかな魚が泳ぐのを見ては、お互いに「可愛い」と言い合って、気づけば巨大な水槽の前に立っていた。


 ジンベイザメが、ゆっくりと水の中を横切る。小さなサメ、嵐のようなイワシの群れ。大きなものも小さなものも、それぞれの速度で泳いでいる。水槽の青が、玲音の横顔に静かに溶けていた。


「……どうして、デートしたいなんて言ったの?」


「それ聞いちゃう?」


「聞くでしょ、普通」


「それもそっか」


 玲音は水槽から視線を外さないまま、少しだけ口調を変えた。


「私、欲張りな沙也加みたいにアンタを強引に取りに行けないし、他の子がアンタを取りに来てるのを静かに静観するつもりもないの」


「……」


「私は私のやり方でアンタを取りに行く。アンタが拒否しても、それでも諦めない」


 玲音の空いた手が、僕の手をしっかりと握った。指と指が絡む。水槽の光が、繋がった手の上を静かに流れていく。


「白須賀さんと一騎打ちになっても?」


「そこら辺は私にも軍配が上がるようにするから、安心してよね」


「それはそれで安心できないけど……」


「てか、そこで沙也加の名前出すあたり……沢渡、性格悪いわね」


「否定できない」


 僕がそう言うと、玲音は「何それ」と言って笑った。手は、まだ離れていなかった。


※ ※ ※


 タッチプールの前で、玲音は足を止めた。


「ここ、苦手かも」


 水面を覗き込んでから、小さくそう言う。


「さっきまで綺麗だったのに、急に生っぽい」


「水族館にそれ言う?」


「今さらだけど」


 ヒトデやナマコに混じって、小さなエイがゆっくり底を滑っている。玲音は恐る恐る指先を伸ばして、水面をそっとなぞった。


「うわ」


「何」


「思ったより温度ある」


 その感想がおかしくて、僕は思わず声に出して笑った。


 玲音がじとっとした目を向けてくる。


「いま、確実に笑った」


「いや、言い方が」


「笑うようなこと言ってないでしょ」


「ちょっとだけ」


 玲音は唇を尖らせたまま、もう一度手を水に入れた。


 次の瞬間、小さなエイが方向を変えて、彼女の指の間をぬるりとすり抜けた。


「……っ」


 短い悲鳴と一緒に、玲音の体が後ろへ傾いた。大きく倒れるほどではない。でも、床が濡れていて、重心が崩れかけているのは分かった。


 考えるより先に体が動いていた。玲音の腰のあたりへ腕を回して、引き寄せる。


 玲音の体が、ぴたりと止まった。


 薄暗い水色の光の下で、彼女がこちらを見上げる。目を見開いて、唇だけがわずかに開いている。距離が近い。玲音の息が、かすかに僕の首元に届いてくる。


「……大丈夫?」


「……うん」


 返事が一拍遅れた。


 腕を離そうとした瞬間、玲音の指が僕のシャツの裾をそっと掴んだ。


「待って」


「え」


「今、ちょっとだけ、このまま」


 玲音はそのまま体勢を立て直して、ゆっくりと僕の胸元に額を押し当てた。力強くではなく、もたれかかるように。シャツ越しに、玲音の体温がじわりと伝わってくる。


「やっぱり、沢渡の体が一番落ち着く」


「その言い方はどこか危ういような……」


「ふふ、そのつもりで言ったんだよ?」


「……それはどうも」


 タッチプールの水が、静かに揺れていた。


※ ※ ※


 水族館を出る頃には、外の空気が少しだけやわらいでいた。


 昼の熱は薄れて、海からの風がちゃんと夜の匂いを運んでくる。行きよりも帰りの方が、僕たちの距離は明らかに近かった。


 手はつないでいない。けれど玲音は、僕のシャツの袖を二本の指で軽く摘んでいた。引っ張るほどではない。でも、離れない。離す気もない。そんな微妙な力加減だ。


「今日、ちゃんとデートだったね」


「まあ、デートするって言ったし」


 夕焼けに染まった空を見上げながら答えると、玲音は僕の肩にそっと頭を預けた。軽い重さが、肩に乗る。


「また行こうね、沢渡」


 玲音の声が、少しだけ柔らかかった。


「……その時があったら、一緒に」


 淡い約束をして、その日は終わった。


 夕焼けの中を、袖を摘まれたまま歩いていた。その感触が、家に帰ってからもしばらく残っていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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