修羅場
僕は朝から駅の改札前で立ち尽くしていた。
理由は単純だ。白須賀沙也加から送られてきたメッセージが、朝からずっと頭に引っかかっていたからである。
『明後日にイベントがあるから、絶対来てね!』
集合場所に指定されたのは、湾岸エリアの大型リゾート施設に隣接した駅前だった。今日はそこで、芸能事務所や配信会社が合同で主催する真夏の音楽イベント――ベイサイド・サマーフェスが行われるらしい。白須賀はそのメインアクトで、夜の大トリを任されている。
しかも、僕の手元にあるパスは一枚じゃない。
三枚。
僕の分と、天雨の分と、柊先輩の分だ。
最初に白須賀からメッセージが届いた時、意味が分からなかった。
『二人も一応呼んだよ』
『だって隠しても面倒だし、それなら最初から見せたほうが楽だから』
理屈がまるで分からない。でも、分かりたくない方向で意味が通っているのが、この人の怖いところだった。
「沢渡くん」
静かな声がして顔を上げると、天雨がいた。
白いブラウスに、淡い水色のロングスカート。普段の制服姿より柔らかいはずなのに、黒髪と涼しげな目元のせいで、むしろ凛とした印象が増している。しかも本人は、その格好で周囲の視線を集めていることへの自覚が薄そうなのが厄介だった。夏の空気の中に、天雨だけが少し別の温度で立っている。
「おはよう」
「……おはよう」
「顔が疲れてる」
「朝にも同じことを母さんに言われた」
「じゃあ、実際そうなんでしょ」
言い返せない。
少し遅れて、柊先輩も現れた。紺色のワンピースに薄いカーディガンを羽織っていて、いかにも"ちゃんとした人の休日"みたいな格好だった。学校で見るより少しだけ大人っぽく見えるのに、それを本人が全く意識していない様子がまた困る。
「待たせたかしら」
「いえ、今そろったところです」
「そう。ならちょうどいいわね」
柊先輩はそう言って、僕の持っているパスへ一度だけ視線を落とした。
「白須賀さん、随分わかりやすい招待をしてくるのね」
「ですよね」
「ええ。えらく挑発的だと思うわ」
その評価は、かなり正しい。
三人で改札を抜け、会場へ向かう人波に混ざった。海風が少しだけ湿っていて、空はこれでもかというくらい晴れている。色とりどりのTシャツやタオルを持った人たちの間を歩いていると、ようやく夏休みらしい空気が実感として湧いてくる。
ただし、その実感と同じくらい、僕の胃は落ち着かなかった。
「ねえ」
天雨が小さく言う。
「白須賀さんに"絶対来て"って言われた?」
足が止まりかけた。
「……なんで分かるの」
「私にも似たようなこと来たから」
天雨は少しだけ目を細める。黒い瞳が、まっすぐ僕を捉えている。
「"沢渡くんも来るから"って」
それはもう、隠す気がないどころの話ではなかった。
柊先輩が、その会話を聞いて小さく息をつく。
「本当に、見せ方が上手い人ね」
「褒めてます?」
「褒めていないわ」
そう言い切る先輩の声が妙に低くて、逆に少し安心した。
※ ※ ※
会場は、昼の時点ですでにかなりの熱気だった。
屋外ステージがいくつも組まれ、フードエリアや屋台が並び、さらに奥にはナイトプールと花火観覧席まである。音楽フェスと夏祭りとリゾート施設を全部まとめて混ぜたような空間で、何も知らずに来たらそれだけで一日分の情報量がある。
案内された関係者導線を抜けてメインエリアへ入ったところで、聞き覚えのある明るい声が飛んできた。
「いたーっ! 裕二くん!」
吉良明日香だった。
白のノースリーブにショートパンツ、その上から薄いシアーシャツを羽織っていて、眩しいくらい夏だった。金髪が陽射しを反射して、そこだけ光の密度が違う。明るいだけじゃなく、距離感まで一気に詰めてくる。
「来てくれたんだ! やったー!」
言いながら、そのまま僕の腕へ抱きつくように絡んでくる。柔らかな感触と甘い香りが一瞬で近づいてきて、僕は反射的に固まった。日焼け止めと、明日香の体温が混ざったその匂いが、夏の熱気の中でかえって存在感を持つ。
「ちょ、吉良さん」
「えへへ。だってほんとに来たんだもん。なんかテンション上がっちゃって」
全然悪びれない。
その少し後ろから、西条静がゆっくり歩いてくる。
黒のノースリーブワンピースに細いサンダル。長い髪はゆるくまとめられていて、涼しげというより、もう単純に綺麗だった。夏服になると、静の持つ静かな圧が増す。白い肌と黒い衣装の対比が、周囲の騒々しさの中で一点だけ切り取られたように見えた。
「明日香、最初からそれはやりすぎ」
「えー、だって久しぶりだよ?」
「この前会ったばかりじゃない」
静はそう言ってから、僕へ視線を移した。黒い瞳が、ゆっくりと僕の顔を確認するように動く。
「こんにちは、裕二くん」
「……こんにちは」
「その反応だと、まだ明日香の距離感には慣れていないのね」
「慣れたくはないです」
「そう。私はもう少し段階を踏むつもりだから安心して」
安心の欠片もなかった。あの海辺の夕暮れで起きたことが、脳裏をよぎる。耳たぶの感触と、静の低い声が。
横で天雨の空気が少しずつ冷えていくのが分かる。柊先輩は無表情だが、その無表情のまま全部を見ている感じが怖い。
「今日は二人とも出演なんですか」
話を逸らすように聞くと、明日香がぱっと笑う。
「そー! 私は昼のトークステージのMC補佐。静は夕方の朗読パートのゲスト。で、夜は沙也加ちゃんのライブ見る!」
「つまり、一日中いるのよ」
静が補足する。
「あなたも、最後までいるのでしょう?」
「そのつもりです」
「よかった」
静はそれだけ言って、ほんの少しだけ目を細めた。その一言に含まれた何かが、ずっと引っかかった。
※ ※ ※
昼のイベントを少し見たあと、僕たちは海沿いのフードエリアへ移動した。
焼きそば、かき氷、フルーツドリンク、チュロス。フェス飯らしい屋台が並んで、雑多な熱気の中を人が流れている。みんなでいれば、少なくとも一人に狙い撃ちされることはない。そう思った瞬間に、その認識は甘かったと知ることになる。
「沢渡くん、これ」
天雨が差し出してきたのは、ラムネ味のかき氷だった。
「買ってきたの?」
「うん。暑そうだったから」
「ありがとう」
受け取ると、天雨はほんの少しだけ近づいてくる。
「一口、食べる前に待って」
「え?」
天雨の親指が、僕の口元へそっと触れた。何かを拭うように。そしてそのまま、その指先を自分の唇へ運んで、ゆっくりと舐めた。
「さっきチュロスの砂糖がついてた。美味しいね、これ」
心臓がうるさかった。しかも、その動作があまりにも自然すぎる。まるで何でもない仕草のように見せながら、その目だけは全然普通じゃなかった。黒い瞳が、試すような静けさで僕を見ている。
「今の、白須賀さんに見られたら嫌な顔するかな」
ぼそりとそう言う。
「……なんでそういうこと言うの」
「試したくなったから」
天雨は静かに笑った。感情を絞り出すような、その笑い方が、思った以上に危うい。
そこへ明日香が割り込んでくる。
「ちょっと美鈴ちゃん、ずるーい! 私もやる!」
「何を」
「沢渡くんにお世話するの!」
そう言って、明日香が僕の腕に自分の腕を絡めてきた。柔らかな感触がギュッと密着する。甘い香りがまともに届いてきて、僕は視線の置き場を失った。
「かき氷だけじゃ足りなくない? ねえ、あっちに冷たいドリンクあるよ。一緒に行こ?」
引っ張られる。完全に引っ張られる。
「吉良さん、近い」
「だって近くないと意味ないじゃん」
意味がある前提なのが怖い。
そのとき、反対側から静の声がした。
「明日香、少し落ち着きなさい」
「静も来る?」
「行かないわ。私はここで待つ」
そう言いながら、静は僕を見た。夏の喧騒の中で、その視線だけが静止しているみたいだった。
「でも、戻ってきたら少し話して」
静かな命令みたいな言い方だった。
そこへ、追撃のように柊先輩も口を挟む。
「沢渡くん、飲み物を選ぶ前に塩分のあるものも摂りなさい。暑さで倒れたら面倒だわ」
「……先輩まで」
「何よ。体調管理を言っているだけだけれど」
そう言いながら、柊先輩は僕の持っているかき氷を一度だけ見る。
「それ、ほぼ甘味だけでしょう」
「だからって」
「焼きとうもろこしくらい食べなさい。買ってあるから」
なぜ買ってある。しかも差し出し方が自然すぎて、一瞬本当にただの気遣いに見えるのが困る。
でも多分、違う。
他の子たちみたいな露骨なアプローチじゃない。ないのに、"私もあなたの面倒を見られる"という事実だけをきっちり残してくる。
修羅場というものは、もっと大声で怒鳴り合うものだと思っていた。でも今のこれは、誰も怒鳴らないまま、全員が静かに攻めてくるタイプのやつだ。
そして、その真ん中にいる僕だけが、一番状況を理解できていない。
※ ※ ※
夕方が近づく頃、海沿いの遊歩道で、玲音に会った。
玲音はフェスのゲストパスを首から下げていて、白いTシャツに黒のショートパンツという簡素な格好なのに、普通の人には全然見えなかった。キャップを深く被っていても、分かる人にはすぐ分かる華がある。
「……なんか、ひどい顔してる」
会って早々、それだった。
「玲音さんも誘われたの?」
「そうよ。沙也加がどうしても来てほしいって」
玲音はそう言って、海のほうへ顎をしゃくる。
「沙也加、今かなり仕上がってるよ」
「分かる」
「ううん、多分まだ分かってない」
その言い方が引っかかる。
玲音はメインステージが見える位置で立ち止まり、少しだけ目を細めた。潮風がキャップの端を揺らして、隠れていた横顔がわずかに見えた。
「ドームのあと、沙也加の気持ちが楽になると思ってた人、多いの。やり切ったし、大きいのを成功させたし。でも逆だった」
「逆?」
「欲が増えた」
その答えに、思わず黙る。
「東京ドームで届く感覚を知っちゃったから、今度は"もっと自分のものにしたい"ってなってる。曲も、客席も、自分の見せ方も、全部そう。で、多分その延長に沢渡も入ってる」
玲音は、ひどく冷静に言った。
「……笑えないんだけど」
「笑ってないし」
その通りだった。
玲音はそこで、少しだけ顔を寄せてくる。潮風と、かすかな香水の匂いが鼻先をかすめた。
「だから忠告。今日の沙也加、かなり危ない。夏フェスって空気もあるし、ライブ終わったあと絶対テンション上がるから」
「それ、もう忠告の意味なくない?」
「あるよ。一応、覚悟はできるでしょ」
そう言ってから、玲音はほんの少しだけ黙る。
「あと、私もいるから」
「……何が」
「いろいろ面倒になった時の保険」
返し方は雑だった。でも、玲音なりの気遣いなのは分かる。
「ありがと」
「別に」
玲音はそっぽを向く。けれど、キャップの端から覗く耳が少しだけ赤いのは、見なかったことにしておいた。
※ ※ ※
夜のメインステージが始まる頃には、会場の空気は昼間とは別物になっていた。
海辺の夜風。ライトで照らされた観客席。その上に広がる、夏の匂いを含んだ湿った空気。フェンス越しに打ち寄せる波の音が、歓声の隙間からかすかに聞こえてくる。
白須賀の名前がコールされるたびに、熱量が上がる。東京ドームを成功させたあとの初めての大きな夏フェス。注目度は、明らかに以前より上がっていた。
ステージ中央に白須賀が現れた瞬間、歓声が一段大きくなる。
白を基調にした夏の水着衣装。肩や二の腕の線がやけに綺麗で、それだけで周囲の視線を全部持っていく。ライトを受けた肌が滑らかに輝いて、遠い距離なのに、なぜか一瞬だけ目が離せなくなった。でも一番変わったのは、やっぱり立ち方だった。
東京ドームの前より強い。でも、強いだけじゃなく、少し柔らかくなっている。
客席との距離を、ちゃんと自分で選べるようになった感じがする。だから、一曲目からもう、完全に持っていかれる。
「……これ、ほんとにずるい」
明日香が、僕の少し隣でぼそりと呟く。
その通りだった。白須賀沙也加は今や"すごいアイドル"ではなく、"見たら気持ちごと持っていかれる存在"に近くなっている。
二曲目、三曲目と畳みかける。花火の演出が混ざり、海辺の夜空に音と光が広がる。歓声の中で、白須賀は一度だけ関係者エリアへ視線を向けた。
その瞬間、嫌な確信を持った。
探している。この人は今、この大勢の中で、また僕を見つけようとしている。
※ ※ ※
ライブ後半、少し空気が落ち着いたタイミングで、白須賀はマイクを持って笑った。
「今日、来てくれたみんなに、ちゃんと夏を渡したいなって思ってました」
その一言だけで、客席の熱が柔らかく変わる。
「でもね、さっきから思ってるんです。私が夏を渡したい人って、ほんとはもっと少ないのかもって」
その言い回しが、妙に私的だった。
客席は当然、自分たち全体へ向けた言葉として受け取る。でも僕だけは、なぜか息を止めた。
「今日ここにいるみんなのこと、大事にしたいです。でも、その中でも、ちゃんと見つけたい人がいると、やっぱり強くなれるんだなって思いました」
明日香が、すぐ横で「えっ」と小さく声を漏らした。静が僕の顔を見る。玲音は少し離れた場所で、完全に"やっぱりそうか"の顔をしていた。
やめてくれ。そういう空気になるな。そう思うのに、白須賀はステージの上で少しだけ目を細めて、やけに満足そうに笑う。
あれは絶対、気づいている。僕が今何を感じているかまで含めて。
ライブはそのまま、花火と一緒に一番盛り上がる曲へ入る。客席は熱狂している。でも、その真ん中で、僕だけは別の意味で心臓がうるさかった。
※ ※ ※
終演後。海沿いの遊歩道には、人の流れがゆっくりと動いていた。
フェスの余韻でぼんやりした頭のまま、僕は少し人の少ないデッキへ出た。夜風が少しだけ涼しい。遠くではまだ花火の残り香みたいな煙が、夜空の端を淡く染めていた。波の音だけが、騒ぎの後の静けさの中で続いている。
そこへ、足音が近づいてくる。
「見つけた」
白須賀だった。
ライブ衣装のままじゃない。白地に薄い青の花柄の浴衣へ着替えていて、髪も少しだけ下ろされている。夏祭りのポスターみたいな格好なのに、実物はそんな可愛いもので済んでいなかった。浴衣の合わせから覗く首筋の線が、夜の照明の中でやけに白く見えた。
「……早くない?」
「探したから」
答えが簡潔すぎる。
白須賀はそのまま僕の前まで来て、夜の海を背にして、ほんの少しだけ顔を傾ける。浴衣の袖が夜風で揺れるたびに、甘い香りがかすかに届く。
「今日、どうだった?」
またその質問だ。でも今夜は、東京ドームのあとよりもっと答えにくい。
「すごかった」
「うん」
「……夏って感じだった」
「それだけ?」
不満そうな顔をする。
「いや、もっといろいろあるけど」
「なら言って」
逃がしてくれない。
少し迷ってから、正直に言うことにした。
「白須賀さん、前より……なんていうか」
「うん」
「近くなったのに、もっと強くなった」
我ながら変な感想だと思う。でも白須賀は、その一言を聞いた瞬間に、嬉しそうに目を細めた。
「それ、かなり正解だよ」
そう言って、一歩だけ近づく。足元のサンダルが、デッキの木板をかすかに鳴らした。
「東京ドームのあと、私、自分で分かったの。遠く見えるのは嫌じゃない。でも、沢渡くんからまで遠く見えるのは絶対嫌」
夜風が吹く。浴衣の袖が揺れて、そのたびに白須賀の体温がほんの少し近くなる。日中の喧騒が嘘みたいに、このデッキだけ静かだった。
「だから、今日はもっと分かりやすくした」
「……さっきのMC?」
「うん」
やっぱりそうだった。
「沢渡くん、気づいてたでしょ」
「気づくよ、あれは」
「よかった」
白須賀はまるで褒められたみたいに笑う。
「だって、今日はちゃんと夏の思い出にしたかったから」
「どういう意味」
「私のこと、もっと焼きつけるって意味」
さらっと言うな。
白須賀はそこで、少しだけ目を細める。夜の光の中で、その瞳の奥に何かが揺れていた。欲しい。もっと深く。そういう感情が、隠しきれずに滲んでいる。
「ねえ」
「なに」
「キス、していい?」
心臓が止まりかけた。
「……ここで?」
「うん」
「人いるよ」
「少し遠いし、暗いし、大丈夫」
大丈夫の基準がおかしい。
「それに、今日のライブ見たあとなら、もう少し欲しくなっても仕方ないでしょ?」
理屈になっていない。でも、この人は本気でそう思っていそうで怖い。
返事を詰まらせていると、白須賀は少しだけ唇を尖らせた。
「じゃあ、お願いする」
「え?」
「キスして。って、ちゃんとお願いするから」
さらに悪化した。
浴衣姿の白須賀が、海辺の夜風の中で、少し上目に僕を見る。浴衣の合わせがわずかに揺れて、白い鎖骨の線が夜の光に滑らかに浮かんでいる。断るほうが、どう考えても難しい。
しかも、その顔の奥にあるものは甘さだけじゃなかった。欲しい。離したくない。今ここで、もっと深く自分を残したい。そういう熱が、隠しきれずに混ざっている。浴衣の胸元が、白須賀の呼吸のたびにわずかに揺れていた。
「……白須賀さん」
「うん」
「今、かなりすごいこと言ってる」
「知ってる」
即答だった。そして、少しだけ笑う。
「でも、沢渡くん相手なら、ずるくていいと思ってる。――それに、めちゃくちゃにされたい」
その瞬間、後ろのほうで誰かの足音がした。
振り返るより先に、声が飛ぶ。
「ちょっと待った」
明日香だった。
その少し後ろには、静。さらに少し距離を空けて、玲音までいる。いつの間にこんなことになっているんだ。
「なにしてんの、二人とも!」
明日香が叫ぶ。その声はいつもより一段高い。
白須賀は驚くどころか、むしろ面白そうに振り向いた。
「あ、見つかった」
「見つかった、じゃないよ!」
明日香は本気で焦っている顔だった。静は、かなり冷えた目をしている。普段無表情に近い静が、今夜だけは眼差しに温度がある。玲音は半分呆れたみたいな顔で僕を見ていた。
「……やっぱり面倒なことになってる」
玲音がぽつりと呟く。
その言葉の通りだった。
夏フェスの夜、海辺のデッキ、浴衣姿の白須賀、そして今まさにキスをねだられていた僕。ラブコメとしてはかなり美味しい場面のはずなのに、実際には胃が痛い。
しかも、ここからさらにまずくなるのは目に見えていた。
白須賀は、そんな空気の中で、少しだけ口元を上げる。
「ねえ、みんなもしかして」
その笑顔が、やけに綺麗だった。
「私が先に夏もらうの、嫌だった?」
明日香が言葉を失う。静の目が細くなる。玲音は天を仰ぎたそうな顔をした。
そして僕はようやく、本格的な修羅場というものが、音もなく始まる瞬間を理解した。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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