久しぶりの再会
明日香に日焼け止めクリームを塗り終えた後、僕は気まずい空気の中でポツンと座っていた。
右隣には明日香、左隣には静、そして正面には、にこやかに微笑んでいる姉の優花。包囲網という言葉が頭をよぎった。
「明日香ちゃんてさ、もしかしてうちの裕二のことが好きなの?」
優花がとんでもないことをさらりと吐いた。
場の空気が、一瞬で張り詰めた。明日香がわずかに身を硬くする。静は表情を変えないまま、ただじっと、優花の言葉が空気に溶けていくのを待っているようだった。
「あ! いたいた!」
そんな張り詰めた空間へ、的外れなタイミングで飛び込んできたのは父さんと母さんだった。二人は相変わらず仲睦まじい空気を漂わせながら、こちらへ歩いてくる。
終わった。
脳裏にその四文字だけが浮かんだ。ただでさえ姉に会わせたくなかったのに、今度は両親まできた。
「あら、そのお二人は? 優花のお友達?」
母さんが首を傾けると、優花がにやりと笑い、母さんの耳元へ手を添えてこそこそと何かを告げた。
「えぇ!? 裕二のガールフレンド!? しかもあのショートドラマで共演してた子?!」
そこからはもう、めちゃくちゃだった。
母さんは優花と同じ温度感で明日香と静に近づいて、ドラマの話題と僕との関係を矢継ぎ早に聞きだした。明日香は笑いながら受け答えしていたが、静だけは静かな瞳で、事態の全容を俯瞰するように眺めていた。
※ ※ ※
そんなこんなで時間が過ぎていき、空はいつの間にかオレンジ色に染まっていた。
ビーチから人が引き始める中、僕は静に人気のない木立の中へ呼び出されていた。
木々の合間から差し込む夕陽が、砂浜の熱気とは別の、ひんやりとした空気を作っている。静はそこに立っていた。黒のビキニに羽織ったカーディガン越しに、夕陽が彼女の輪郭を淡く縁取っている。
僕が近づくと、静は何も言わずに小さな紙片を差し出した。
「これ、私の連絡先。受け取って」
「え……」
「じっとしていたら、取られそうだから」
静かな声だった。けれどその一言に込められた重さは、冗談でも謙遜でもなかった。彼女は本気でそう思っている。その目を見れば、分かった。
僕が紙片を受け取ったのを確認すると、静はゆっくりと一歩、距離を詰めた。
「ハグ、していい?」
その声が、思っていたより甘かった。
いつも静かで、感情の温度を外へ出さない彼女の声が、今だけ柔らかく溶けていた。その落差に僕の体は反応できなかった。
「ダメって言ったら?」
「……それでもするよ。私、こう見えて結構欲張りだから」
そう言って、静の細い体がゆっくりと僕へ寄り添ってきた。
薄いカーディガン越しに伝わる温もりが、じわりと肌に染みてくる。水着姿の彼女の柔らかな感触が密着した瞬間、潮風より甘い何かが鼻先をかすめた。理性の奥で何かが軋む音がした。それを必死に押し殺して、僕は静が離れるのをただ待った。
「裕二くん、案外ガタイいいんだね」
「そ、それはどうも……」
「私……変な気持ちになってきたかもしれない」
「……それはどういう意味で」
答えを探しながら呟いた瞬間、静の唇が僕の耳たぶにそっと触れた。
優しく、けれど確かな熱を持って——かぷ、と甘噛みをした。
僕の体が、完全に固まった。
静はそのまま、耳元で低く囁く。
「これが私の気持ち。明日香もきっと同じ気持ちなんだろうけど……私も、明日香と同じくらい、あなたのことを気にしている」
「……それはどうも」
気の利いた言葉など、出てくるわけがなかった。
静は離れなかった。十秒が過ぎ、二十秒が過ぎても、彼女は僕の胸のあたりに顔を埋めたまま、呼吸を整えるように静止していた。剥がそうとする気が、どうしても起きなかった。夕陽の中で悦に浸っている静の、その穏やかな顔を壊す気になれなかった。
「しーずーか! どこー!」
どこか遠くから、聞き覚えのある声が飛んできた。
静は、わずかに残念そうに目を伏せた。それからゆっくりと体を離して、いつも通りの静かな瞳で僕を見つめる。
「また連絡するね」
それだけ言って、彼女は踵を返した。夕陽に照らされた静の背中が、木立の向こうへ消えていく。その背中をしばらく眺めてから、僕は家族の待つ場所へ重い足を動かした。
※ ※ ※
家族の元へ戻ると、優花が僕の顔を見て不思議そうに首を傾けた。
「あれ? 何かあった?」
「……いや、何も」
「なんか耳たぶ、赤くない? 虫刺され?」
「そうかも」
スマホの画面で自分の耳を確認した瞬間、うっすらと残った歯型のような痕が目に入った。
その瞬間、画面が光った。
『今度、私とデートしてくれない?』
差出人は玲音だった。
静と明日香、そして次は玲音。僕はゆっくりと画面を伏せて、夕焼けに染まった空を見上げた。また面倒な明日がくる。
ところで、僕の本当の夏休みはいつやってくるのだろう。
※ ※ ※
家族旅行から帰った翌日、僕は珍しく何もない一日を手に入れた。
いつもであれば、白須賀か天雨か柊先輩のどこかから連絡が入り、重い何かを受け止めて、気づけば夕方になっている。それが日常だというのに、今日だけは静かだった。
ふと、昨日の明日香の言葉を思い出す。
『みんなの気持ちから、目を背けないでほしいな』
『資格なんて、誰にも最初からないんだから』
「……なんか、頭が痛いな」
ベッドから起き上がり、積んでいたゲームを起動する。そのままお昼過ぎまでコントローラーを握り続けた。気づけば部屋が蒸し暑くなっていて、僕はアイスが欲しくなり、近所のコンビニへ向かうことにした。
「いらっしゃいませー」
店員の声を背に、アイスコーナーからガリガリ君を一本取る。レジを通して外へ出ると、じりじりとした夏の熱気が足元から押し寄せてきた。
コンビニの日陰でアイスの袋を開けていたとき、視界の端に動きが入った。
ピンクに染めた明るい髪をした女子が、こちらへずんずん歩いてくる。胸元が大きく開いたキャミソール越しに、深い谷間が覗いている。彼女は迷いなく僕の顔を覗き込んで、目を丸くした。
「おや! おやおやおや! やっぱり君は!」
「……あの、どこかで会いましたか?」
「え!? 忘れちゃったの? 私だよ私! 結城葵だよ!」
結城葵。
その名前を聞いた瞬間、記憶の引き出しが開いた。幼稚園から中学まで同じ学校だった、数少ない僕の知り合い。ただし、目の前にいる彼女と、記憶の中にいる結城葵は、まるで別人だった。地味で大人しかった彼女が、これほどの変貌を遂げているとは。
「……久しぶり。随分と雰囲気が違うね」
「やっぱそうなるよね! 私は変わったけど、沢渡くんは相変わらずだねー!」
「ハハ……」
「そだ! 連絡先交換しよ! こうして再会した記念としてさ!」
こうして、また僕のスマホに新しい名前が増えた。
「ね! 明日暇? 良かったら少し付き合ってよ!」
結城は人懐っこい笑みを浮かべたまま、僕の返事を待っている。
夏の熱気の中、ガリガリ君が溶け始めていた。
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