国民的アイドル!!
そんな予感だけが、妙に確信めいて胸に残った。
実際、その予感は外れなかった。
最初のMCを終えたあとの白須賀は、それまでよりさらに強かった。
いや、強いというより、もう完全に空間の支配権を握っていた。
ここから先は一曲ごとに客席を温めるんじゃない。最初に掴んだ熱を、自分の色に塗り替えながら最後まで持っていく。その覚悟が、ステージの端から端まで見える。
アップテンポの曲では、花道を走る足取り一つで歓声が跳ねた。
センターステージへ出るタイミング、カメラへ視線を投げる角度、片手を上げるだけで起きるペンライトのうねり。全部が噛み合いすぎていて、見ているこっちの感覚まで引っ張られる。
「やば……ほんとに全部持ってくじゃん……」
明日香が呆けたように呟く。
その気持ちはよく分かった。
神代も二階堂も、もう白須賀を“気になる女の子”みたいな尺度では見ていなかった。
あの二人は俳優だ。人が立つ舞台や、人前で空気を作る仕事の難しさくらい分かっているだろう。だからこそ、今の白須賀がどれだけ異常なことをやっているかも、僕よりずっと伝わっているはずだ。
「……勝てるわけないな、これ」
神代が苦く笑う。
軽口みたいな言い方なのに、その奥にあるのは悔しさより納得だった。
二階堂は拍手のタイミングを逃したみたいに、ただ前を見たまま小さく息を吐く。
「一人でドームを支配するって、こういうことか」
その言葉に、僕は少しだけ鳥肌が立った。
支配、という表現は大げさじゃない。
実際、白須賀は今、何万人もの感情の流れを一人で握っている。
曲の終わりで一瞬だけ静けさを作る。
次の瞬間に笑う。
それだけで歓声の質が変わる。
アイドルというより、もはや現象だった。
※ ※ ※
中盤、衣装チェンジを挟んだブロックでは、空気がまた一段変わった。
さっきまでの白を基調にした王道の輝きとは違い、今度の衣装は黒と深紅が差し色になっている。可愛いというより、少しだけ挑発的で、強さを前へ出したデザインだ。
スクリーンへ映るたび、客席から上がる歓声の温度が明らかに上がる。
「……反則じゃない?」
明日香が素で言った。
たしかに反則だった。
あれだけ王道のアイドルでいながら、こういう色気まで似合ってしまうのはずるい。しかもただ“綺麗なお姉さん”に寄るんじゃなくて、ちゃんと白須賀沙也加のまま、少しだけ危うい熱を見せてくる。
曲が始まる。
低いベース音が響いて、白須賀は一歩、二歩と前へ出る。
その瞬間、スクリーンに抜かれた目が、やけにまっすぐだった。
気のせいかもしれない。
でも、その視線が客席全体を見ながら、ほんの一瞬だけこちらの関係者席を掠めた気がした。
心臓が変に鳴る。
この広いドームで、そんなことあるわけがない。
そう思うのに、次の煽りの時も、その次のターンの後も、妙に“見られている”感じが消えない。
「……ねえ」
隣の静が、視線をステージへ固定したまま小さく言った。
「今、少しだけあなたを探しているように見えたのだけれど」
「気のせいじゃないですか」
「そうかしら」
静の返し方は静かだった。
でも、その声に少しだけ含みがあるのが分かる。
反対側では明日香も、なぜかちらっと僕を見たあと、またすぐにステージへ視線を戻した。
「裕二くん、やっぱりなんかある?」
「ないよ」
「ほんとかなあ」
ほんとかなあ、で済ませないでほしい。
ただでさえ、僕の中では“もしかして”の感覚が消えていないのだから。
玲音のほうを見ると、あいつは腕を組んだまま、ほんの少しだけ口元を歪めていた。
気づいている顔だ。絶対に気づいている。しかも、多分面白がってすらいる。
※ ※ ※
ライブは後半へ入っていく。
途中の映像演出を挟み、少し空気を落としてから、白須賀は二度目のMCへ入った。
ここは最初のMCより、もっと客席との距離が近かった。
「ここまで来てくれて、ほんとにありがとう」
その一言だけで、客席の熱がまた少し柔らかくなる。
「今日ね、ここまでずっと楽しいです。すごく。でも、楽しいだけじゃなくて、ちゃんと一曲一曲、受け取ってもらえてる感じがして……それが、思ってたよりずっと嬉しい」
さっきより少しだけ声が近い。
広いドームへ向かっているのに、まるで一人一人へ話しているみたいな響き方だった。
「私、ずっと“ちゃんと届くライブ”にしたかったんです」
その言葉で、胸の奥が少しだけざわつく。
ちゃんと届く。
それは多分、何度も白須賀が悩んで、練習して、ようやく掴みかけた場所の話だ。
「だから今日ここで、みんなの顔を見ながら歌えてるの、ほんとに幸せです」
客席から大きな歓声が返る。
白須賀は笑った。
そしてその直後、ほんの少しだけ目線を泳がせるみたいに客席を見渡してから、続けた。
「……ちゃんと、見ててくれる人もいるしね」
その言い方が、やけに私的だった。
客席は当然、それを自分たち全体へ向けた言葉として受け取る。
でも僕だけは、一瞬だけ息を止める。
気のせいだと言い切れない。
なぜなら、あの間の置き方は、どこか知っている白須賀の癖に近かったからだ。
明日香が「え、今の何?」みたいな顔でスクリーンと本人を見比べる。
静は何も言わない。ただ、僕の横顔を一度だけ見た。
玲音は遠くの席から、完全に“そういうことね”の顔をしている。
やめてほしい。
そういう察しのいい顔をされると、こっちが一番困る。
※ ※ ※
後半ブロックは、一気に畳みかける構成だった。
盛り上がりの核になる曲を連続で入れて、ペンライトの色が何度も切り替わる。客席のコールは揃いすぎていて、むしろ怖いくらいだ。
でも、その大きな波の中心で、白須賀は少しも押されていない。
いや、押されていないどころか、自分からもっと高い熱へ引っ張っている。
花道の先で立ち止まり、片手を上げる。
それだけでドーム全体が応える。
笑う。
客席がまた揺れる。
歌いながら一瞬だけ目を閉じて、次の瞬間にはもう別の感情へ切り替わっている。
その密度が、とんでもなかった。
「これ、もうニュースになるやつじゃん……」
明日香が半分呆然としたまま言う。
神代が苦笑しながらうなずく。
「なるだろうな。しかも“成功した”で済まないレベルで」
二階堂は何も言わなかった。
でも、さっきから一度も視線を切らしていない時点で、全部分かる。
静は小さく息を吐いた。
「……ここまで来ると、もはや恋愛とかで測る話ではないわね」
「でも、多分そういうのも混ざるよ」
珍しく、明日香が真面目な顔で言った。
「だってあんなの見せられて、なんとも思わないほうが難しいし」
その言葉に、僕は変に反応してしまいそうになる。
今、彼女たちが言っているのは、アイドルとしての白須賀のことだ。多分。多分そうなのに、どこか別の意味まで混ざって聞こえるのは、自分が気にしすぎているせいかもしれない。
でも、そう思っていたところへ、ステージの空気がまた変わった。
照明が一気に落ちる。
歓声が少しずつ静まり、白須賀が一人でセンターへ戻る。
最後のブロックだ、とすぐに分かった。
※ ※ ※
あのバラードだった。
前日リハーサルで、最後まで苦しんでいた曲。
歌い上げればいいわけじゃなくて、でも感情を出しすぎても違う。その難しさが、通路越しに見ていてすら伝わってきた曲だ。
最初のピアノ一音だけで、ドームの空気が変わる。
さっきまでの熱はそのまま消えたわけじゃない。
でも、それを無理に引っ張らずに、今はただ“次の一音を聞くための静けさ”へ変えている。
白須賀はマイクを握り、前を見た。
歌い始める。
それだけで、僕はすぐ分かった。
リハーサルの時とは違う。
音程とか技術とか、そういう話じゃない。
もっと単純に、彼女が“何を届けたいか”を、もう迷っていない。
綺麗すぎない。
でも崩れてもいない。
感情があるのに、感情だけで押し切っていない。
東京ドームの何万人へ向かって歌っているはずなのに、妙に近く聞こえる。
しかもその近さが、軽くも安くもない。
歌詞の一つ一つが、やけに真っ直ぐだった。
怖かったこと。
それでも立ちたかったこと。
届いてほしかったこと。
誰かに見ていてほしかったこと。
もちろん、曲そのものの意味もある。
でも今の白須賀が歌うと、その全部に彼女自身の今が混ざる。
途中、スクリーンへ抜かれた顔が少しだけ揺れた。
泣いているわけじゃない。笑っているわけでもない。ただ、いろんなものを通り越して“今ここで歌えていること”そのものが、そのまま表情になっていた。
明日香が隣で、小さく鼻をすする音がした。
振り向くと、少しだけ目が潤んでいる。
「……やだ、これ」
「泣いてる?」
「泣いてないし」
泣いていた。
神代も二階堂も、もう言葉がなかった。
静は相変わらず静かなままだが、握った手元だけが少し強くなっている。
玲音は遠くで腕を組んだまま、最後まで一度も目を逸らしていなかった。
そして僕は、自分の中で何が動いているのか、うまく言葉にできなかった。
すごい、では足りない。
遠い、でもない。
誇らしい、も少し違う。
ただ、多分、僕は今、白須賀沙也加が“国民的アイドル”になる瞬間を見ている。
そうとしか思えなかった。
歌が終わる。
一拍、二拍。
ドームが完全に静まり返る。
次の瞬間、歓声と拍手が一気に爆発した。
それは最初の登場時とも、アップテンポ曲の盛り上がりとも違っていた。
熱いというより、もう、圧倒された人間たちがどうしても返さずにいられなかった音だった。
白須賀はその真ん中で、少しだけ息を吐いて、そして笑った。
その笑顔が、たまらなく綺麗だった。
※ ※ ※
アンコールまで終わった頃には、僕は妙に現実感がなくなっていた。
ライブそのものは大成功だった。
いや、“成功”なんて言葉でまとめるのも雑なくらいだ。客席の熱、終演後も鳴り止まない歓声、関係者席の空気、どれを見ても、白須賀沙也加が今夜ここで、一段上の場所へ名前を押し上げたのは明らかだった。
多分、明日のニュースは全部これだ。
“国民的アイドル”という呼び方が、今夜を境に冗談じゃなくなる。
客席照明が上がり、観客が少しずつ動き出す。
関係者席でも、それぞれがようやく息をつき始めていた。
「……完全にやられた」
神代が素直に言う。
「俺、しばらくあの人のこと普通に見れないかも」
「最初から普通では見てなかっただろ」
二階堂が珍しく乾いた声で返した。
でも、その顔に浮かんでいるのは悔しさより、むしろどこか満足に近い疲れだった。
明日香は両手で顔を押さえる。
「やばい。ほんとにやばい。沙也加ちゃん、あれでまだ年近いの意味わかんない」
「分かる必要はないわ」
静が静かに言う。
「理解の外にあるものを見せられた時、人はまず圧倒されるものだから」
その理屈は妙に冷静だったが、静自身の声も少しだけ熱を帯びていた。
僕が何も言えずにいると、少し離れた席から玲音が立ち上がるのが見えた。
玲音はこっちへは来ない。
でも、通路へ出る前に一度だけ僕のほうを見て、小さく口元を上げた。
“ほらね”と言われた気がした。
何に対してかは、言わなくても分かる。
その時だった。
「沢渡様でいらっしゃいますか?」
知らないスタッフに声をかけられて、僕は思わず肩を揺らした。
「……はい」
「白須賀様が、お呼びです」
その一言で、心臓が一気に変な鳴り方をする。
明日香がぱっと顔を上げた。
静の目が少しだけ細くなる。
神代と二階堂は、ああ、という妙な納得の顔をしていた。
「……今から?」
聞き返すと、スタッフは丁寧にうなずく。
「はい。終演後のご挨拶の合間ですが、お時間をいただきたいと」
逃げたい。
でも、ここまで来て逃げられるわけもない。
僕が立ち上がると、明日香がなぜか真剣な顔で言った。
「裕二くん、あとで感想聞かせて」
「今その話?」
「今だから」
静はそれ以上何も言わなかった。
ただ、僕を見る目だけが少しだけ深かった。
神代は苦笑しながら肩をすくめる。
「行ってこいよ。今日の主役に呼ばれてるんだから」
二階堂も、妙にあっさりと言った。
「今夜一番近くで見た感想、ちゃんと渡してやれ」
その言葉に背中を押される形で、僕はスタッフのあとを追った。
ドームの裏側は、終演直後だというのにまだ熱を持っていた。
スタッフが走り、関係者が行き交い、どこか遠くで撤収の音が鳴っている。
でも、その全部より今は、たった一つのことしか頭になかった。
白須賀が僕を呼んだ。
あのライブのあとで。
あの東京ドームを完全に自分のものにしたあとで。
何を言われるのか分からない。
分からないのに、なぜか、今夜がまだ終わっていないことだけははっきり分かった。
そして多分。
ここから先は、ライブの成功とは別の意味で、もっと取り返しがつかない。
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