成功の余韻
全国ツアー初日の翌朝。
目を覚まして最初に見たのは、沙也加から届いていた大量のメッセージだった。
『起きた』
『全身痛い』
『脚が私のものじゃない』
『肩の労働組合が再結成した』
『でも幸せ』
『昨日、本当に見てた?』
『夢じゃない?』
『裕二、起きて』
『起きたら返事して』
『まだ?』
最後のメッセージが届いたのは、つい三分前だった。
時計を見ると午前七時前。
僕は半分眠ったまま返信する。
『起きた』
『夢じゃない』
『ちゃんと全部見た』
既読は一秒でついた。
『よかった』
『おはよう、裕二』
先ほどまでの怒涛のメッセージが嘘みたいに、最後だけ普通だった。
『おはよう』
『身体、大丈夫か?』
『大丈夫じゃない』
『でも今日は午後から取材』
『午前中は休める』
『褒めて』
何を褒めればいいのだろう。
それでも、休む時間を確保したこと自体は進歩だった。
『ちゃんと午前中休むのは偉い』
『そこじゃない』
『昨日の私をもっと褒めて』
欲しがり方が露骨だ。
僕は少し考えてから、文字を打った。
『歌もダンスもすごかった』
『会場全部が沙也加を見てた』
『僕も目を離せなかった』
『一番眩しかった』
送信した直後、少し恥ずかしくなった。
だが、取り消す前に既読がつく。
しばらく返信が来なかった。
言いすぎたかと思った頃、ようやく一通届く。
『今日もう仕事できない』
『何でだよ』
『嬉しすぎるから』
『裕二のせい』
理不尽だった。
けれど、画面の向こうで沙也加がどんな顔をしているのか、なんとなく想像できた。
『休んでろ』
『うん』
『裕二の文章、保存した』
『落ち込んだ日に読む』
『消せ』
『もうスクショした』
対応が早すぎる。
『裕二褒め言葉フォルダに入れた』
そんなものが存在していたらしい。
裕二ノートの次はフォルダ。
沙也加の僕に関する記録媒体が、着実に増えている。
※ ※ ※
学校へ着くと、教室は昨日のライブの話題で埋まっていた。
沙也加本人は休みだ。
初日翌日くらいは学校を休むよう、事務所から強く言われたらしい。それでも午後には取材が入っているのだから、休みと呼んでいいのかは怪しい。
「昨日の白須賀さん、やばかったらしいよ」
「SNS、ずっとトレンド一位じゃん」
「映像ちょっと流れてたけど、あれ生で見たかった」
クラスメイトたちがスマホを見せ合っている。
ライブの内容そのものは撮影禁止だが、公式アカウントが公開した短いダイジェスト映像が凄まじい勢いで拡散されていた。ステージ中央に立つ沙也加。銀色の照明。会場を埋め尽くすペンライト。たった数十秒の映像なのに、昨日の熱が蘇ってくる。
コメント欄には、称賛が溢れていた。
初日から完成度が高すぎる。
白須賀沙也加はやっぱり本物。
泣いた。
次の公演が楽しみ。
全国を回った後、どこまで行くんだろう。
僕は自分の席に座りながら、妙な気持ちになっていた。
みんなが話しているのは、白須賀沙也加だ。
でも僕は、その人が今朝、全身痛いとメッセージを連打してきたことを知っている。褒め言葉をスクリーンショットして専用フォルダへ保存したことも知っている。
この温度差には、一生慣れない気がした。
「おはよう、沢渡くん」
天雨が席へ来た。
「おはよう、美鈴さん」
彼女は鞄を置きながら、教室で飛び交う沙也加の名前に耳を傾けていた。
「昨日のこと、もうかなり広がってるわね」
「ああ」
「当然だと思う。あれだけのものを見せたんだから」
天雨の声には、もう素直な敬意があった。
けれど、僕を見る目には別の感情も残っている。
「白須賀さんは?」
「午前中は休み。午後から取材らしい」
「午前中だけでも休むようになったのね」
「進歩だな」
「あなたが言ったの?」
「事務所から言われたらしい」
「そう」
天雨は少しだけ残念そうだった。
自分が心配して言ったことではないと分かっていても、沙也加が休むようになったこと自体は嬉しいのだろう。
「昨日、控室でちゃんと迎えられた?」
「ああ」
「泣いた?」
「それは本人に聞いてくれ」
「泣いたのね」
なぜ分かる。
天雨は僕の返事を待たず、自分の席へ座った。
その横顔は穏やかだったが、少しだけ寂しそうでもあった。
「美鈴さん」
「なに?」
「昨日、来てくれてありがとう」
天雨が目を瞬かせる。
「僕が言うことじゃないかもしれないけど、沙也加も喜んでたと思う」
「喜んでいたかしら」
「褒められたのは嬉しそうだった」
天雨はしばらく黙った。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「なら、行ってよかった」
そこで会話は終わった。
けれど、天雨の中でも昨日のライブが何かを変えたのだと思う。
諦めたわけではない。
僕への気持ちがなくなったわけでもない。
ただ、沙也加を見る目が変わった。
恋敵だから嫌いなのではなく、恋敵だからこそ、正面から認めなければならない相手になった。
それはきっと、天雨にとっても苦しい変化だった。
※ ※ ※
昼休みになると、生徒会室へ呼ばれた。
また何か書類かと思ったが、入った瞬間、桜井会長が笑顔でスマホを掲げてきた。
「裕二くん、見てこれ」
画面には、昨日のライブに関する記事が表示されていた。
白須賀沙也加、全国ツアー初日で圧巻のパフォーマンス。
初日から会場熱狂。
新曲初披露に涙。
見出しだけでも、成功の大きさが分かる。
「彼女、すごいことになってるね」
「元からすごい人ですけど」
「それでもさらに上へ行った感じ。裕二くん、置いていかれないようにしないと」
軽い口調だった。
だが、内容は冗談ではなかった。
沙也加はこれから全国を回る。公演を重ね、さらに多くのファンを熱狂させる。昨日より今日、今日より明日と、白須賀沙也加は遠くへ行く。
僕は彼女の帰る場所になりたいと言った。
けれど、ただ待っているだけでいいのだろうか。
僕自身も何かを見つけなければ、いつか彼女の眩しさを言い訳にして、距離を置いてしまうかもしれない。
「会長、余計なことを言わないでください」
柊先輩が書類を整理しながら言った。
「余計じゃないよ。大事なこと」
会長は笑顔のままだった。
「好きな人がどんどん遠くへ行く時、待つ方にも覚悟がいるからね」
僕は返事ができなかった。
柊先輩は小さく息を吐いたあと、僕を見る。
「ただ、焦る必要はないわ」
「柊先輩」
「白須賀さんが求めているのは、同じステージへ立つ人ではないでしょう」
その言葉に、昨夜の沙也加を思い出す。
帰る場所でいて。
彼女はそう言った。
「あなたはあなたの場所で、逃げずに立っていればいいのよ」
柊先輩の言葉は、いつも静かに核心へ入ってくる。
桜井会長が隣で頷いた。
「そうそう。裕二くんまでアイドルになる必要はないから」
「なる気はありません」
「意外と売れるかもよ。陰のある普通系男子」
「ジャンルが失礼です」
「白須賀さんの彼氏って公表した瞬間に炎上するけどね」
「最悪じゃないですか」
少しだけ緊張が解けた。
この人は核心を突いた直後に、必ず余計な冗談を入れる。
ありがたいのか迷惑なのか分からない。
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